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四畳半神話体系的大学生活

私が初めてこの本を読んだのは確か中学生か高校生のころ。当時大学生がどんなものか知らない私は、京都が舞台の変な小説だなというくらいの感想しか持たなかった。その数年後、私もめでたく京都の国立大学に合格し、京都で学生生活を送った。親から提示された大学進学への条件は「自宅から通える大学」であるということ。私は浪人をしたということもあり、自宅から通える京都の大学を選んだ。特に何も思い入れもなかったが、神戸の大学に通っていた母からは、「絶対に京都が良い。何個大学があると思ってんの。」とよく言われていたのを思い出す。

今年の春から社会人となったわけであるが、大学と大学院の計6年間、人生の約4分の1を過ごした左京区への思いは日々増すばかりである。先日、実家に帰省した妹から「wowowのオンデマンドで四畳半のアニメみられるで」と言われた。アニメをちゃんとみたことがなかった私は、この機会にと思い、2晩で全てみ終えた。一言で感想を述べると、感動して小説をもう一度読み直そうと思ったほどであるということである。

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物語は複数の選択肢のうち、もしこれを選んだ大学生活であるならば…といった風に進んでいく。映画サークル「みそぎ」なら…、樋口と呼ばれる謎の8回生のもとに弟子入りしたとしたら…、ソフトボールサークル「ほんわか」なら…、秘密結社「猫福飯店」なら…、という具合に、主人公には複数の選択肢が存在した。しかし、どの選択肢をとったとしても、行きつく終着地は同じ。小津という人の不幸で3杯の飯が食える、月の裏側からやってきたような顔色をした人物と意気投合し、小津が師匠と崇め奉る樋口師匠のもとに出入りすることになり、蛾が苦手で他を一切寄せつけず、自分の道をひた走る明石さんと出会う。

最初、私はアニメをみていて、主人公と同じ気持ちになった。あのときあの選択をしていたら、薔薇色のキャンパスライフをこの手につかむことができたのではないかと。入部した軽音楽部でギターではなく、ベースを選んでいたら…とか、応用生物学なんてやめて、デザイン学のほうへ転部していたら…とか、長い夏休みを毎日グータラ過ごすのをやめていたら…とか。なかでも一番後悔しているのは、研究室選択に失敗したことである。毎日何のために学校に行っているのかわからなくなるくらい、周りの人に相談しても苦しみをわかってもらえず、精神的につらい時期もあった。アニメをみてこれまでの自分の選択を思い出し、主人公の時計の針が巻き戻されるシーンをみて、「ああ、私の時計の針も戻せたらな…」と大学生活を終えた身であるにも関わらず、考えしまった。

しかし、アニメをみすすめるうちに、また小説を読みすすめるうちに、「ちがう、そうじゃない。」ということが理解できた。この物語はそうした選択をとった自分に対する後悔の念を示したいのではなく、結局どの選択をしていても、終着地は同じであるということを伝えたかったのだなと、大学生活を終えた今になって、やっと気づくことができたのだ。

限られた人としか交流を持たない私は、他人の人脈の広さをうらやましがったり、基本1人で行動することが多かった私は、友人のキラキラとしたSNSの投稿を眺めて、私の青春は何処へ…などと思ったりもした。しかし、私が過ごしてきた大学生活は、周りからすれば不毛だと思われるかもしれないが、私はその不毛を自分なりに謳歌してきたのだ。私にしか経験のできなかった大学生活を送ることができたのだ。

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物語に多く登場する「川」は私にとっても思い出深い場所である。
私の大学は高野川のすぐそばにあったため、実験の息抜きと称して頻繁に高野川のお気に入りスポットへ足を運び、紙パックのジュースを飲み終えるまで、「空洞です」を聞きながら現実逃避をしたこと。
下鴨神社境内の糺の森で毎年開催される古本市で、意識が朦朧となるような暑さの中、もはや何を探しているのかわからなくなりながら、「JAWS」の映画パンフレットを探し当て、デルタの橋の下を吹き抜ける風で涼みながらジュースを飲んだこと。
北白川を探索してみようと散歩し、見つけた見知らぬパン屋で買ったレーズンパンを、鴨川デルタの晴天下で食していたら、トンビに奪われ、目の前でエサと化してしまったこと。
出町座で映画をみたあと、夕暮れの鴨川デルタで余韻に浸りながら、缶コーヒーをすすったこと。
休日、研究室での蚕の世話を終えたあと、カナートを目指し高野川を歩いていると、鹿と遭遇したこと。

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他人にとっては、なんだそれと思えるようなことも、私にとってはもう2度とない大学生活の記憶なのだなと思った。猫ラーメンの描写では、部活のバンド練のあとに食べた天天有の「煮卵ネギメンマ多い目ラーメン」の味を思い出し、恋しくなり、大量の蛾が発生する描写では、私が研究していた蚕のことを思い出した。カフェコレクションを発見し、すっかりお気に入りの場所となり、週1回のペースで明太子スパゲッティを食べに行ったこともあった。この物語には人々のそれぞれの大学生活を想起させ、「あー、あんなこともあったな」と自己肯定感を与えてくれる力があると思った。少なくとも私はその力によって、自分の大学生活が不毛なものであったとしても自分らしい、良いものであったとのだなと思うことができるようになった。

私は大学院での修論審査会を終えた次の日、引っ越しをした。中学生の初めに転校して以来、13年間住んだ団地をあとにしたのだ。3姉妹の勉強部屋は玄関に入ってすぐ左の部屋。学生生活の大半を過ごしたこの部屋から3つの勉強机がトラックの荷台へと運び出され、現れたのはスッカラカンの四畳半であった。

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