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思い出 in 台湾

 去年の今頃は台湾にいた。というのも、大学が募集していた2週間の台湾研修に参加したからだった。
 これまでの私はこのような海外研修があっても、積極的に参加する方ではなかったし、親にも「やっとやってみる気になったのね」的なことを言われた。たしかに機会は与えられているのに、それに対する私の感度が低かったり、積極性が低かったのは否めない。
 なぜ台湾に行こうとしたのか?それはただただ研究室にいたくなくて、旅行で休むなんて口が裂けても言えないし、合法的に研究室にいなくてもよくなる方法は…?と考えたときに、ちょうどいいじゃんってなったからだ。いわゆる海外逃亡ってやつか。

 台湾はとにかく蒸し暑いなというのが最初の印象だった。研修が行われる大学まで、最寄駅からスタコラ歩いて行った。
 大学に到着したら、まず研修参加費と引き換えに寝袋を渡された。この寝袋が、この後私をどれほど苦しめるかなんて、このときの私は知る由もなかった。
 この旅で一番印象に残っているのは、毎日の授業や観光でもなく、学生寮生活なのだ。普段、実家暮らしの私には体験できない貴重なものであったと同時に、すごくすごく過酷であった。そう、この寝袋がすべてのはじまりだったのだ…。
 部屋に入ると5台のごく普通の2段ベッドがあった。でもおかしい。寝具がない。枕?シーツ?ベッドマット?ない。私は理解した。あの手渡された寝袋をこの板の間に敷いて寝ろ、という意味であったということを。
 部屋は長年使用されていなかったみたいで、とても汚れていた。ベッドはホコリだらけ、シャワールームも洗面台も砂だらけで、電気もつかない。なんだコレはと思った。学校の帰り道に寄ったスーパーで掃除道具を買って、2日目の晩に同居人と掃除をした。使えるようにはなったけど、シャワーのお湯はとても熱く、温度調節がうまくできないし、なにより湯舟がなかったのがつらかった。疲れを癒しきれなかった。

 部屋には研修に参加していた、他の大学の日本人と韓国人とインドネシア人がいた。外国人の学生は夜も遅くまで帰ってこないことが多くて、あまり接することがなかったけど、部屋が一緒だった日本人の2人とはよく喋った。その時間が一番幸せだった。大学でどんなことをしているのかとか、その日の授業の終わりにグループでどこに行って、何を食べたとか。ほんとにたわいもない会話だったけど、楽しかった。

 そうしているうちにだんだんと眠くなってくるのだが、ここからがやっかいだった。あの忌まわしい寝袋だ。2段ベッドの板の間に、薄っぺらいクッション。身を縮こめて中に入り、ジッパーを締める。寝返りも、うてない。枕は機内用の簡易のものにバスタオルを巻いてカサを高くした。初日は本当に大変だった。疲れて眠たいけれど、寝袋のぺらいクッションのせいで体が痛くて、30分ごとに目が覚めた。それでもお構いなく次の日の授業はやってくるのである。

そんな寮生活も2日も経つと慣れてくるものなのである。同居人と湯舟がなくても大丈夫やねとか、もう寝袋でも寝れるわとかそんな会話をしたと思う。それでも研修の終わりの方になると、実家の布団が恋しくなったし、実家の何でもない布団で寝るのが楽しみになってきた。

朝起きて、夕方まで授業を受けて、晩御飯は街に出てグループと一緒に食べて、寮に戻ってきてシャワー浴びて、同居人と喋って、寝袋で寝る。これを10回ほど繰り返すと、研修も終わりが近づいてきた。
さすがに寝袋生活が終わることに未練はなかったが、苦楽を共にした同じ部屋の友達との別れは寂しかった。

最終日、みな全然違う大学から来ているし、帰りの飛行機もバラバラで、寮を出て行く時間もバラバラだった。部屋から次々と同居人がいなくなるのは、たった2週間過ごしただけだったけど虚無感があった。
使っていた寝袋をスーツケースに無理やり詰めたせいで、荷物が重量オーバーになったことは親に大笑いされた。

 この研修を通して、私は確実にタフになったと自負している。もうどこにいても寝袋があれば寝れるよと。普通に旅行しただけでは味わえない、台湾も体験できた。今もこの台湾研修を思い出すと、頭の中にあの寝袋の雪の結晶模様がチラつく。

みんな元気にしてるのかなあ〜〜?

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