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石膏アートにふれて【上手だねとそれなに?のお話】

先日
「アートとふれあおう」
というイベントに参加してきました。

石膏を扱ったアートイベントです。

石膏って初めてだわ〜と思いながら参加してきました。
皆さんは石膏にふれあった経験はありますか?
私は最近、石膏像をもとに絵を描いたりしましたが、石膏そのものを扱うのは初めてだったのです。

そして、感想をひとことで言うなら
非常に楽しかったのです。

今日は、参加中の時間を思い出しながらつらつらと感想や思ったことを書いていこうと思っています。
(いろいろあるのでたぶん記事は数回に分けます。)

まず、主催は市の教育部文化課でした。
近隣で「アートを通した居場所づくりの活動をしている」とある団体が協力しており、私の友人はそこに所属していたので、今回お声掛けして頂けました。

イベントの先生は、元気な女性の方です。
幼児から高齢者まで、教育、医療、福祉など多方面で造形作家として活躍されているとご紹介を受けました。

今回の参加者について、チラシには「子どもに関わる大人」と書かれていました。

そのあとのカッコ書きに【保育士・教員・保育士や教員をめざす高校生・大学生】と記載されていたので「私これあんまり関係ないけど大丈夫かな....」と感じたのですが【保護者】とも書かれていたので「子供がいるからいいのかな」とおそるおそるの参加でした。

先生は近年、障害のある子どもたちや保育園でのアートの導入に注力しているとの事だったので、そちらの話も伺いたいなぁとなんとなく頭に浮かべながら、開催場所である市の公民館へと向かいました。

参加者は10人程度。全て女性。
参加者以外にはスタッフや市の職員、協力団体の方たちがいて、その中には男性の姿がちらほら見えました。

参加者の属性は、看護師さん、介護士さん、保育士さんを目指している高校生、大学生、子供の保護者、いろいろな市のイベントにコーディネートして連れて行くボランティアの方と高校生などなど....といった感じで、年齢は10代から40代くらいの印象でした。

定刻になり、最初は自己紹介の時間です。


自己紹介というのは何回やっても慣れないものです。こういうところで人見知りが炸裂してしまうのですが、和やかな雰囲気であったので、あまり緊張せずお話しすることができました。


普段何をしている人なのか簡単に説明してほしいとの事だったので、私は「2児の母で作業療法士」ということを伝えました。

作業療法士と伝えるとお決まりですが、皆さんの頭に「?」の文字が浮かびますので、併せてリハビリテーション職で今は訪問の業務をしていることをお伝えしました。

さて、今回のイベントは
・石膏で実際に作品を作ってみる
・今回の経験をもちかえって、自分の生活に何か反映できるものがあれば...
と先生より冒頭にお話がありました。

うんうん。なるほど。


まずは石膏体験です。

石膏は粉の状態からスタートします。

ボウルに粉が入っています

プラ容器に水をそそぎます。そして加減を見ながら粉をどんどん入れていきます。入れた直後から粉は溶けていきます。目安は粉と水分が均等な状態になったら良いとの事でした。水面と粉が同じ高さになったか、プラ容器を目の高さにして確認していきます。

これくらいかなー

同じ高さになったらぐるぐるとかき混ぜます。ドロドロになったら完成です。

石膏は20分くらいで固まるとのことでしたので、それをプラ容器に入れたり、地面に垂らしてみたり、糸につけてビュンとふってみたり、植物のオアシスにつけて型をつけてみたり、さまざまな形に仕上げていきます。

固まる速度があるので、どの場面で形を変えるのか、そして装飾物(毛糸やモールがありました)をどこでつけるのかといったことも自由に研究するつもりくらいでやってください!と先生に言われました。

「石膏はどうなるかわからないから楽しい」と話していました。

予定調和じゃないもの

私たちの世の中はかなり予定調和であふれかえっています。

予定調和にコントロールできるからこそ、生産性・効率性が高くなって....そのこと自体は非常に便利だし喜ばしいことであるのだと思います。

けれども私たちは人生の中で不測の事態に当然ながら出会うこともあります。

先生は「この石膏を作る過程でままならなさ、うまくいかなさ」を体験してほしいと話していました。

「はみだす経験をしてほしい」ともおっしゃっていました。


さあ、やってみよう。


私は自宅から持参した卵のパックを取り出しました。

毛糸を使ってみようかな
こんな風にしてみました

作っていて、どうなっていくのかわからない感じ、思ったようにいかない感じは、確かにあるなぁと思いました。

こんなんなりました。アポロみたいだな〜なんだかおいしそう。

先生が話してくださったことで印象に残ったことがいくつかあります。


その一つは
「子供が作った作品に
うまいね、と
言ったり
これなーに?、とか
あまり聞かない方がいいかもしれないなぁ」
というお話です。

上手!うまい!素敵などは
一見良い褒め言葉だと思われますが

果たして上手なものが全て良いものなのでしょうか?と先生は私たちに問います。

参加者のお母さんがこんな話をされていました。
それは娘さんが、夏休みの宿題で絵の課題に取り組んだ時に、娘さんが娘さんなりに一生懸命絵を描いたので、お母さんもうれしかったらしく、娘さんにその事を伝えたそうなんです。娘さんはにこにことその日は笑顔であったようですが、夏休み明けに暗い顔で帰ってきました。

どうしたの?と聞くと
娘さんは
「隣の席の子に下手だって言われた。」と
さみしい表情で話しました。
確かに隣の子は毎年賞などをもらっているようなレベルの高い絵を描いてくるような子だというわけです。

先生は
「学校で賞を取ることは素晴らしいのだろうけど、絵の良し悪しはそれだけではない。」と話しました。

良い絵を描くこと
良い作品を作ること

を目指すことは果たしてどのような効果を及ぼすのか。

みんなが良い絵を描くと
整列したみたいに
きちんと一つのところに向かって整えられてしまう
それは気持ちが悪い感じがする

と先生は話されていました。

正解があってそこに向かっていくと、結局ある一つの価値が世界の全てになってしまう。

上手!と発するとそこから、何も世界が広がらない。

例えば
かわいい
かっこよい
きれい
という表現もあるけど、それだけが存在価値があるかといったらそうではない。

反対に「これ気持ち悪くない?」みたいなものだっていいんだと思う。

と先生は話していました。

ああ、そうだな。
子供って素直です。
私たち大人だって何事もうまさを目指してついつい賞賛されたくなってしまう。優劣をつけてしまう。

でもそうではなくて。優劣もない。
そして、お互いに賞賛されることだけではなく、そこから自分をどう掘り下げていくことができるのか。どう自分の世界を開いていくのかが必要なのではないかと、先生は熱っぽく話されていました。


もう一つは「これなーに?」です。

アートのイベントでその時の様子を撮影したものを振り返ったりしていると、幼児が自分の作った作品を「見てみて〜!!」と大人によく見せてくるそうなんです。

その時に保育士さんなどが「これなに?なんなの?」
と聞くと
あんなに嬉しそうだった子供たちの顔はさっと表情が硬いものへと変化するそうです。そのあとは「えーと....」と説明しようとしたりするのですが、うまくいかない。


「わからなくてもよくないですか?」と先生は問いかけます。

なんでも説明できるものでなければならないのか。私たちの世界はみんな説明できるものだけで構成されていない。

わからないものをわからないままにしておく勇気。
それよりも、子供が嬉しそうな気持ちを汲み取って関わること。

そんなことを、保護者や教育者の人たちの頭の片隅に置いてもらえたら....とおっしゃっていました。

私は大切なことだなと思いながら聞いていました。
最近無理に物事を早合点してわかった気になっている自分のこわさについてよく考えたりします。今わからないものはわからないままで保有しておき、いつの日か違う角度で眺めた時に、解像度がきっとまた高くなるチャンスがあると思うようになりました。

わからないを置いておくこと。向き合うことはそれなりに苦しい葛藤があります。

けれども、必要なことでもあると今の私には肌身で感じることなのです。


今回のお話はここまでにしたいと思います。読んで頂きありがとうございました。

次回へつづく。

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