「普通」や「一般的」の考え方


私は「普通の考え方」とか「一般的な考え方」が出来ない人間です。

他の人から見た私は「変わっている」「変だ」「特別だ」「唯一無二」だそうです。

だからといって、「幸せではない」とか、逆に、「裕福な生活をしている」とかそんな特別なことはなくて、人生という大きな括りで見た時は、いわゆる「普通」で「一般的」な生活と変わらないと思います。

ここで言う「普通」と「一般的」は「朝起きて仕事をして夜帰ってきて寝る」ということです。

しかし、この工程に最近「noteを書く」とか「noteに書く文章の構成を考える」という項目が増えました。

これはあなたにとって「普通」で「一般的」なことでしょうか?

「一般的」の捉え方

まずは先ほどの問いである

「noteを書く」とか「noteに書く文章の構成を考える」という項目が増えました。

という部分ですが、noteのユーザーであるあなたにはもしかしたら「一般的」かもしれません。

しかし、同じ時間を使って、例えば、「TikTok」に投稿する動画を撮っている人からしたら、私やあなたがこの記事を読んでいることは「普通」ではなく「一般的」でも無いのかもしれません。

要するに「普通」や「一般的」であるということは「人の価値観に依存する」のです。

よく、これを分かっていない一部の過激派が「自分の価値観の中で普通で一般的でないもの」に批判とも呼べないようなアンチコメントをしたり、罵声や嘲笑をしていることを目にします。

そういう人にとって、「自分の価値観の中で普通で一般的でないもの」はおそらく「自分の価値観を壊しかねない敵」に見えていて、「敵は排除しなければならない」という「普通」で「一般的な」考え方の元でそういった行動をしてしまうのではないかと思います。

そう考えると、「アンチ」という存在も「普通」で「一般的」なのでしょう。

「あなた」の「普通」や「一般的」

あなたは自分自身を「普通」で「一般的」だと思いますか?

私は自分自身を「特別」で「スペシャル」で「唯一無二」だと思っています。

なぜなら友人や知人にそう言われることが多いからで、「変」とか「特別」「変わっている」「唯一無二」と言われることが私にとって「普通」で「一般的」なのです。

先ほど「普通」や「一般的」であるということは「人の価値観に依存する」と言いましたが、「人の価値観」というと自分以外の他の人をイメージさせたかもしれません。

しかし、一番自分自身に影響を与えるのは「自分の価値観」です。

・あなたが自分自身を「普通」で「一般的」だと感じ、何か悩んでいるのだとしたら、自分を「特別だ」と思ってください。

・あなたが自分自身を「変だ」と思い、悩んでいるのであれば、「私は特別なんだ」と思ってください。

・あなたが自分自身を「特別だ」と考え、悩んでいるなら、「普通だ」と思ってください。

こういった考え方をあなたの「普通」で「一般的」にすることが、あなたの悩みを解決する重要なカギかもしれません。

最後に

「普通」や「一般的」というのは曖昧で抽象的な概念のはずなのに、それに囚われて行動できない人や疎外感を覚える人がかなり多い気がします。

今一度自分の「普通」や「一般的」というのを考えてみてはどうでしょうか?

もしかしたら、考え方によってはあなたが思った自分自身と全く違う自分の一面が見えるかもしれません。

今回の記事で3記事目なのですが、前回の投稿も多くの人に読んでいただけたようで嬉しい限りです。

この記事も誰かの救いや考え方の一部になってくれたら嬉しいですm(__)m


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