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思ってたんとちがう宿

写真と実物が違う。
世の中に存在するパンフレットやメニューなどの商品写真は、お店側も気合いを入れて作るため、たびたびイメージが異なることがある。

大抵は「※写真はイメージです。」などという、保険をかけた文言が添えられており
注文する側も多少は考慮するものである。

お店側も悪意がない場合が多い。
この悪意がないというのが曲者なのだが、まさかこの「思ってたんとちがう。」事態が我が身にも起ころうだなんて思いもしなかった。

今から5年以上前だろうか。
北海道の友人のAとBがはるばる静岡までやってきてくれた。
久しぶりの再会に車内は盛り上がった。
伊豆へ向かう際、緑溢れる山道を走り自然が好きなAは「原始的な生活をしたい。」などと語っていた。

この日、シャボテン公園とテディベアミュージアムを堪能した我々は、最終目的地の宿を目指した。

なんでも私たちが泊まる宿は、オーシャンビューで、無料の朝食サービスがあるというのだ。
公式HPに載っていたお客様の声、横浜のはる子によると

「とっても綺麗で清潔で、何と言っても広いお部屋で、素泊まり宿とは思えない素敵な宿でした。
朝食サービスというのがいいですね。家庭料理でおいしかったです。
コスパ最高!」

と、とても熱く語られていた。
親指をぐいっと立てて、さわやかな笑顔で語るはる子を私は完全に信用していた。

さて、チェックインのほぼジャストに宿に着いたわけであるが、そこには人の気配がなかった。
ホテルではないので、常に人がいるわけではないのだと思うが、チェックインの時間に誰もいないというのは少々不安である。

受付で「すいませーん」と言っても返事は無く、置いてあったベルをチンと押してもやはり返事はない。
どんどん不安になってきた私たちは、仕方なく記載されていた番号へ電話すると、しばらくして宿の人がノコノコと現れた。

おじさんは「ごめんなさいねぇ〜、今日1組って聞いてたもんですから〜。先程1組来られてたので〜…。僕アルバイトなんですけどね。聞いてなかったんですよ〜。」

と言い訳をする自称アルバイトのおじさん。(推定50歳前後)
なにが僕アルバイトぉぉ〜だ。
おじさんがアルバイトなんてのは我々は知ったこっちゃないのだ。

呆れる我々に追い打ちをかけるように、おじさんは「予約されてたんですか?」と尋ねてきた。
そんなものは某旅行サイトの履歴を確認すれば一目瞭然である。
加えて「ご家族…ではないですよね???」と聞いてくるではないか。
どうみても20代の女3人旅である。
一体誰をオカンと間違えているのか…?私か…?
このおじさんはもう喋らない方がいいと心底思った。

その間も「この部屋が空いてるな…」などとより一層不安になることをつぶやいて私たちを部屋に案内してくれた。

荷物を持ちますよと言うおじさんの声を振り払い、「荷物は自分で待つからいいです。」とピシャリと言い切る友人B 。
それだけおじさんに対する不信感は強かったのだ。

部屋に着くと
「今日はあいにくの雨ですが、こちらの窓からはオーシャンビューが…」
と言ってカーテンを開けるおじさん。

そうそう、HPにも書いてあった。
相模湾を独り占め…

…!?

…窓の向こう側はオーシャンビュー…もないことはないが、どうみても山の割合の方が高い景色が広がっていた。

…良いのだ。
どうせ今日は雨だったのだ。
はじめからオーシャンビューも何もなかったのだ。私の期待は「シャッ」というカーテンを閉める音と共に蜃気楼のごとくゆらめいて消えた。

19:00にチェックインした私たちは順番にシャワーを浴びることにした。
その間にBと私は一緒に布団を敷くことにした。
さっそく押入れを開けると、そこには年季の入った香ばしい布団が用意されていた…。
先ほど「この部屋が空いてるな…。」などと呟いていたおじさんを思い出す。
ノーメンテナンスの気がする。
「洗ってあるのかな?…これ」と布団を抱えるBを見ながら私は喘息の心配をしていた…。

香ばしい布団を敷き終わってしばらくすると事件は起こった…。
布団の上(というかほぼBの布団)に小さな虫が無数に落ちているのだ!

虫の嫌いな私たちはギャーギャー言いながら1匹1匹を丁寧に潰していった。
と言っても私もAも虫が苦手なのでその役目は全てBへ投げた。

懸命に虫を潰して働くBの姿をよそに天井を見上げると、そこには先ほどのオーシャンビューよりもインパクトのある風景が広がっていた。

「そういえば、さっき廊下に殺虫剤があったよね」とAとBが言ったので、私は持ってくることにした。
扉を開けると棚には「虫のことなら当店へおまかせ!」とでも言うくらい、専門店のごとく殺虫剤が揃っており、思わず立ち竦んでしまった…。

部屋へ戻ると、Bが使用していたドライヤーが突然動かなくなってしまった。
もう呪いとしか思えないタイミングである。私がシャワーを浴びる前に壊れてしまうなんて、一体私が何をしたと言うのだ。
もちろんフロントに電話しても、もうおじさんはいない。

まぁ、よい。
夏だし、自然に乾かせば良いのだ。
シャワーを浴びてさっぱりとした身体に虫除けスプーレーをかけた私たちは、やれやれと一息つくことにした。

おみやげ屋さんで買った、かの有名な御殿場高原ビールがあるのだ。
冷蔵庫で冷やしておいた瓶ビールはさぞかし美味しいであろう。
私たちはるんるんと冷蔵庫を開けて気が付いた。

栓抜きがない。

それはそうか。
この時代、栓抜きを使うものもいないのかもしれない。
この宿は1階に共同キッチンがあるため、そこならあるだろうと、ぞろぞろと暗い階段を降りていった。

しかし、ここにも栓抜きはなかった。
なんと使えないキッチンだろうか。
…もちろん、どんなに欲しくてももうおじさんはいない。

ビールに飢えた成人女子たちは、各自背中をまるめて「栓抜き ない」などでググることにした。
私たちはネットで出てきた通り、500円玉、昔の家の鍵、キッチンから持ってきたフォークを駆使してそれはそれは熱心に瓶の蓋と向き合った。

どうして大の大人3人が、蓋を開けることにこんなにも真剣になっているのか?
途中からおかしくてたまらなくなってきた。
別に3人とも酒飲みなわけではない。
ただ、ただこの状況に意地になっていた。

こうして、30分もかけてぼろぼろになりながら2瓶のビールを開けた。
「ぷしゅっ」という音と共に、部屋は私たちの歓喜な声で包まれた。
もう夜も22:00を過ぎていた…。

わかったことは、瓶の栓と栓を噛み合わせると開けやすいということだった。
行きの車で「原始的な生活に憧れる!」と言っていたAは「原始的な生活がそこにはあった…。」などと脱力しながら呟いていた…。

その後もゲームをして大騒ぎした3人は仲良く虫たちと就寝した。

翌朝、朝食サービスがあるので下の階へ降りていった。
すると昨日の自称アルバイトのおじさんが
「では、セルフサービスですので、好きなものを食べてください。」
と微笑んでいるのだが、どうみてもヤマザキの食パン(6枚切り)しか見当たらない…。

我々はここまで、おじさんが宿にいないことも、オーシャンビューでなかったことも、虫がいたことも笑って許してきた。
しかし、朝食がセルフサービスで、ヤマザキの食パン(6枚切り)だけなんてそんなばかげたことがあるだろうか?

AとBと私は顔を見合わせた。
顔の引きつり具合がハンパではなかった。
「この後おじさんがなんか持ってくるかなぁ?」と私が言うと、「そんなわけねーべ」とBは内心怒り狂っていた。

これが私たちの朝食…。
これがお客様の声に書いてあった家庭料理…。

横浜のはる子の話と完全に違う。
あの写真には、こう、カンパーニュのようなオシャレなパンとサラダが載っていたではないか!
我々が無言で食べていると、「ぁあ、そうだフルーツがあったんだ!」と言ってフルーツとヨーグルトのパックを出してくれた。

そんなこと言ってももう遅い…。
静岡まで来てもらったAとBになんだか申し訳なくなってしまった。

私たちが朝食を食べ終わると、もう1組の外国人の方が来た。
しかし、彼らはまだこれから起こる悲劇を知らない。
あんたらよ…今からの朝食はヤマザキの食パンだぜ?ワイルドだろう?
私は心の中で語りかけていた…。

ここで普段あまり毒を吐かないAが
「あれを日本の宿のスタイルだと思ってほしくないね…」とポソリと呟いた…。

「うん…そうだね…。」とBと私は力なく呟いた。

何はともあれこの宿にお世話になり、衝撃と面白さが1つになり、非常にいい思い出になったことは間違いない。
突っ込みどころは非常に多かったが、大変楽しませてもらった。

ただ、問題は冒頭に書いた公式HPのお客様の声の主…横浜のはる子である。
あんなグッドサインまで出しておすすめするのだからもっとしっかりしてもらいたいものだ。

もう何もかも信じられなくなったハズなのに、帰り際、自称アルバイトのおじさんに「飴をあげるよ。」と言われた瞬間に一目散で駆け寄った無邪気なAを私は忘れない。

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