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『あの子は貴族』『ウヨンウ弁護士は天才肌』まとめて感想


ずっと読みたくて気になっていた山内マリコさんの『あの子は貴族』を読みました。私自身そんなにたくさんの本を読めるタイプの人間ではないけれど、その分かなり入り込むタイプの人間でこれはかなり没入感ありました。二十代三十代女性は必読書じゃないかな?

同時に韓国ドラマ『ウヨンウ弁護士は天才肌』を並行して見ていたのでなんとなく重なる部分もあり、まとめて書こうと思います。


韓国人って自らの「ウリ(私たち)文化」を肯定的にも自虐的にも捉えていると個人的に思うんだけれど、それでもかなり仲間意識が強い国だと思うのね。「ウリナラ(私たちの国=韓国)」っていう言葉を普通に実生活で使うんだもの…そこは日本にはない感覚な気がする。日本を指す言葉として「私たちの国」は使わない。


『ウヨンウ弁護士は天才肌』でも裁判官が苗字でどこ出身かを聞いたり、どこの軍隊所属かを聞いたり…そういう一部の人間の結束力を高めるための話題で仲間はずれにされる人がいるのにそれを気にしない感じ。すごく嫌な雰囲気。(その「仲間はずれ」の対象が女性になることもすごく多い。仲間はずれ=弱者だから)

でもそれって日本も同じだと思う。その存在を透明化してる日本の方が仲間意識に毒されているような気さえする。地方都市、ある年代、上流階級、いろんなものが上になれば上になるほど縦と横のつながりによってクローズドな空間の中でやりとりが全て行われていく感じ…。あのなんとも言えない、自分も張本人の1人であるはずなのに自分なしでどんどん話が進められていく感じ…誰でも一回は経験したことあるのでは?その辺のモヤモヤがまぁなくなるわけではないのだけれど、実際にこう分かりやすく文章化されているのを読むと「そうだよねそうだよね」と互いに手を取り合っているような気分になれるのですよ。一緒に頑張って生きていこうって思えるの。私はそのために本や漫画や映画やドラマを好んで摂取しているんだと。


慶応の内部生という超特権的な立ち位置のまま、自分達の生まれ育った価値観、世界のなかで完結している青木幸一郎。外にも世界があるということは知っているけれどそこに関して全くもって関心がない。「知っている」だけ。知りたくもないし、分かろうとも思わない。生まれてから死ぬまで、ずっと同じ世界の中でぐるぐる同じような人々と生きていく。婚約者の華子の存在ですらその中の歯車の一つでしかなかった。華子も同じ人間で、気持ちや考えがあるということすら、彼の頭からはすっぽり抜け落ちていたのだ。(そこに幸一郎の無意識の女性蔑視が透けて見える)それでも「だって僕たち同族でしょ?」という無言の連帯。何より華子自身にも染み付いた感覚。そういうものに、うんざりしている反面、そこから出る気はさらさらなく、閉じられた安心安全な世界の中の歯車として回ることを疑わない。その中の小さなバグ、たまに下界に降りたくなった時にちょうどよかったのが美紀だったのだろう。


私が幼い頃に通っていたバレエ教室に幼稚舎の子が数名いたのだけれど、小学生の私にも感じ取れる何か圧倒的に違うものがあった。彼女たち自身からも「私はあなたたちとは違う」という強い自負が感じられた。顔も綺麗でバレエも上手で普通に話している分には優しくて良い子なのだけれど、こちら側とは完全に線を引いている感じ。あのなんとも言えない居心地の悪い場所は、今でも私の脳裏に焼き付いて離れない。勝手に「部外者」という烙印を押されたような、そんな気分。



ウヨンウの話に戻るけど、会社によって対立させられる女性社員の話、まんま恋愛や結婚にも当てはめられるよね。そもそもなんで妻と不倫相手がバトらないといけないわけ?諸悪の根源は浮気した男でしょ?と前からずっと思っていたしそこの二項対立を描く作品はもう時代遅れ、お腹いっぱいです。世間がそういう女同士をバトらせる風潮に持っていくのはやめてください。悪いのは男…というより「権力を持っている側」が搾取することなんだけど。だからリストラを行った人事担当の男性上司が「自分も無傷ではいられない」と退職を迫られるだろうと語るシーンは簡単に男vs女に仕立て上げない説得力があると思った。この戦いの構造はそこじゃないんだと暗に示している。

「あの子は貴族」でもその辺丁寧にみっちり描かれている。(権力と搾取の構図はよしながふみ『大奥』でそれはもうしっかり胸が苦しくなるくらい描かれていますので…)悪人が全てにおいて悪ではないということが常に人々の眼を錯乱させるけれど、犯罪者にだって良い面はある。「あの人本当はいい人なんだけれど…」なんて言葉はもう聞き飽きたわ。


個人的に青木幸一郎が「良い人なんだけどどこか冷たい」というのはすごく解像度の高い人物像だなと思いました。本当にいるの。こういう人たち…仲間以外にはすごく冷たいというか、自分達のテリトリー外の人間は眼中になくて、もっと言えば自分にしか興味がないから深い付き合いになればなるほどもの足りなくてすごく冷たく感じてしまう。一緒にいても寂しくなる。そんな人。

私自身祖父母もみんな東京で両親も生まれた頃から東京生まれ東京育ち。でもなんか中途半端なんだよね。立ち位置的に。華子や青木幸一郎みたいな人がいることは幼い頃から知っているけれど、「知り合いにいた」というだけであって私がそのような上流階級の暮らしをしていたわけではなく。かといって美紀が生まれ育ったような田舎の実情をリアルには知らない。これも、大学に入って地方から上京してきた友達が「卒業後は地元に帰る」「女が大学に行ってなんになるって言われた」「父親が実家を継げと言っている」とかそういう話を聞いて「本当にそういう世界があるんだ」とすごく驚いた。二十年以上前の映画やドラマの中での価値観だと思っていたものがかなり身近にあったということに、世間知らずの私は衝撃を受けたのだった。

東京の人は東京以外にも人が住んでいることを忘れているっていう美紀のセリフもなんか痛かった。無意識に自分もそういう発言をして友達を傷つけてはいなかっただろうか。私なんか本当にたまたま実家が東京にあるというだけなのに、高飛車な態度じゃなかっただろうか…と読了後にはそんな考えもよぎった。

華子が結婚するなら東京の人じゃないと無理だと思うシーンも他人事とは思えなかった。もし結婚を約束している相手が地方出身で、結婚したら一緒に地元に帰ってほしいとか言われても私は絶対無理だし、年に一度の帰省さえも正直きつい…うちは祖父母が早くに亡くなったし、育った環境が超核家族なので、やたらと「家族同士のつながり」を大事にする家庭とはやっていけない気がする。でもその「家同士のつながり」を大事にする傾向って上流階級と地方によくある気がする。自分は本当に根無草のようだとここにきて痛感する。


でもやっぱり、私は女の子たちと手を取りあって生きていきたい。だって何よりも強い味方じゃない。「普段は良いのに男が絡むとめんどくさい女」っていうのも正直たくさんいたけど、「男に選ばれる」ということをステータスにしたり、女同士の対立を煽ってくる男に碌なやつはいないということに早く気付いてほしい。私は今までも漠然と結婚したいとか専業主婦になりたいとか思ったことなかったけど、でも結婚して子供が産まれて離婚しても、正社員として働いて一人で子供を育てられるくらいには女性に経済力のある社会でないとダメだよねって本気で思う。え、思わない?私はつくづく「個人的なことは政治的なこと」だと思うのですけれど。


『あの子は貴族』映画も見たいんだけど、韓国では残念ながら配信されておらず…日本に帰ったら見たいリストに追加!

ウヨンウなんとなく最後の方は駆け足というか、イジュノどんどん影薄くなるしテスミ割とあっさり引き下がるし、ハンパダとテサンのバチバチもあっさり終わっちゃったしクォンミヌも良い人になるならその辺もうちょっと深掘りしてくれよ!というかお父さんが病気の件とかスルー?なんとも若干尻すぼみ感は否めないですが(何より推しのチョンミョンソク弁護士突然の胃がんで急に出演減るの悲しすぎた)シーズン2も企画されているとのことで二年後楽しみ!

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