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『昭和天皇独白録』 文春文庫

ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』に以下のような記述がある。

A級戦犯への裁判が正式に始まる時が近づくにつれ、天皇は自らもいずれは尋問され、戦時中の政策決定過程について自分自身の説明を求められるだろうと考えたようだ。その動機はともあれ、天皇は3月18日から4月8日まで、自らの統治下における主要な政策決定について、側近たちに合計8時間もの「独白」を行なった。この回想は、天皇個人の戦争責任をけっして認めてはいなかった。それどころか、天皇はこの機会を利用して、大災厄をもたらした政策の責任を臣下に押し付けたのである。しかし同時に、この前例のない独白によって、天皇が最高レベルの人物や手続き、具体的な政策決定について、じつに詳しく知っていることが明らかになってしまった。

ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』下巻 71頁

本書にある「昭和天皇独白録」は戦後、天皇の御用掛を務めた寺崎英成の遺品の中から見つかった。その原稿が発見された経緯は次のようなことだそうだ。寺崎の妻であったグエンドレン(以下「グエン」)が寺崎との生活の体験談を本にまとめ "Bridge to the Sun"として1957年に米国で刊行した。これがベストセラーになり、翌年、日本でも小山書店が日本語版『太陽にかける橋』を発行し話題になった。それで小山書店はグエンを日本に招いたのである。同じ頃、本件に関してNHKが番組を企画し、娘のマリコを日本に招き、番組の中でサプライズとしてグエンと会わせることになった。母娘は揃って寺崎の墓参りをし、その折に、寺崎の弟、寺崎平から遺品を受け取った。母娘ともに日本語が読めないので、原稿の方はそれきりになっていたが、マリコの次男、コールがこの原稿に興味を抱き、伝をたどって歴史学者で東京大学教授の伊藤隆に評価の依頼をした。その結果、本物の「独白録」であるという判断が下り、『文藝春秋』1990年12月号に全文が掲載された。1995年に「独白録」とマリコの「遺産の重み」、解説としての伊藤隆、児島㐮、秦郁彦、半藤一利の座談を載せた本書が発行された。『文藝春秋』に掲載されものは読んでいないので、どのような体裁になっていたのか知らないが、本書では半藤一利による注釈が適宜挿入されている。コールは自身のウエッブサイトで寺崎一家を紹介している。

前置きが長くなったが、『敗北を抱きしめて』にある天皇の「独白」はおそらく本書に収められている表題の「昭和天皇独白録」を指している。『敗北を抱きしめて』のほうには寺崎についての言及もある。「独白録」がどのような形でGHQ側に渡ったのか『敗北』では明らかでないが、おそらく寺崎が英文も拵えて渡したのだろう。寺崎はそうした事務も含めての「御用掛」であったと想像される。事の性質上、本件にかかる人物は極めて限定されていたはずだ。

天皇とIPSやGHQとのあいだの連絡員として倦まず働いていた寺崎英成が、1946年2月、検察側に45人(そのうち42人は当時存命していた)の名前のリストを手渡した。この者たちがあの惨憺たる戦争に主たる責任を負っている、と寺崎は言い、そのうちの多くについて裏づけとなる具体的な情報を提供した。そして、情報の一部は直接天皇から出ている、とほのめかすこともためらわなかった。ある折には、IPSのアメリカ人連絡担当官に、日ソ中立条約調印のほんの数ヶ月後に松岡がソ連攻撃を提案したとき、裕仁自らが反対の意を表明した、と伝えている。このほかにも、有末精三もと中将がなぜ逮捕されていないのか、と天皇が問うたという内容の、明らかに寺崎との極秘の会話にもとづいていると思われる記述がIPSのファイルに残っている。

ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』下巻 283頁

ここに記されていることは「独白録」にはない。当然ながら、「独白録」は敗戦処理の中で天皇側がはっきりさせておきたかったことの肝であり、それ以外のことは却ってはっきりさせないほうがよいことだ。その肝とは、天皇は戦争に反対であったこと、立憲君主国の君主の立場として「政府と統帥部との一致した意見は認めなければならぬ」こと、である。側から見れば「天皇はこの機会を利用して、大災厄をもたらした政策の責任を臣下に押し付けた」ということになるが、論理の一貫性ということに注意を向ければ、そうなるのは仕方のないことではないかと思う。確かに、「独白録」の字面では東條の責任が重いかのように見えるが、行間には天皇の東條に対する信頼も溢れている、と私には読めた。

前述の通り、「独白録」の公開が『文藝春秋』1990年12月号であるとすれば、店頭に並んだのはその前月であり、出版原稿が整ったのはさらにその前だ。本書の解説代わりの座談で伊藤は「ぼくは2月にマリコさんの息子さんからゴードン・バーガー教授を通じこの資料の評価を依頼されて、コピーを受け取りました」と言っている。ダワーの『敗北』の原書 "EMBRACING DEFEAT  Japan in the Wake of World War II" が発行されたのは1999年なので、日本での「独白録」公開の段階では「独白録」がGHQに提出されたものであることは知られていない。2022年の今、我々は「独白録」が戦争に対する天皇の言い訳のようなものであることを知っている。だから本書の座談は少し間抜けな感じがするのは免れない。しかし、「歴史」というものは多かれ少なかれ間抜けなもののように思う。

結局、「過去」は現在に都合の良いものなのである。個人が己の過去を振り返る時、己の過去というマイクロな世界においては現在の己は神だ。あれはああして、こうして、ああなったが、それは詰まるところは最善の結果だった、と信じることができる。信じようと思うかどうかは別として。共同体の「歴史」も同じようなものなのではないだろうか。世に「神」があるのは、我々ひとりひとりがマイクロな「神」を心に抱えているから、それを取っ掛かりに幻想や妄想を膨らませることができるからではないだろうか。宗教の間で、新参は怪しいもので、古いものは立派なもの、というのは妙な話だし、特定の宗教が「文明」でそれ以外は「野蛮」というのも子供の喧嘩のようだ。「神」を信じて右往左往するのも大変なことだが、「神」として奉られるほうも大変だ。なんとなく近頃世情が不穏になってきた気がするのだが、「神」があちこちから現れてくるようになったら、いよいよ観念しないといけないのかもしれない。

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