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good-bye by you side.

「明日、死ぬとして何がしたい」

 雑多な居酒屋での会話の八割は意味のない無理問答だ。彼女が投げかけた言葉でさえ煙草の白煙のように他の人の会話の中に溶けて消える。五分ほど前にした会話を忘れたかと思えば、二時間も前にしていた話の続きを思い返したのかのように話し出す輩もいる。
「なにしよっかな」私は彼女の言葉が消える前に掬い採ろうとした。意味もないが、誰も答えずに消えてなくなるには、少し勿体ない話題でもあった。
考えたふりをして時間を潰す。ふと店に置いてある壁掛けのテレビに目をやった。
「そんな荒唐無稽な話って思うけど、あながちそれが今日だったりもするのかな」
彼女も私の目線を追うようにテレビを眺めながら呟いた。
自国の近隣国家では依然として恐ろしい兵器を保有し、大国に挑発するかのように威嚇射撃を繰り返していた。しかし私たちの住む国は平和を体現するかのように今日も街は輝き、お店に入れば何事もないように、お酒が飲める。明日には自分に割り振られた仕事を全うし、数日もすれば身体を休める日までくれる。ここから数百キロメートル先で行われている死への恐怖を知っていてもなお稼働することをやめない。
いつ降り掛かってくるかも分からない兵器に怯える暇もなく、皆が皆、自分の人生を全うすることに従順になっている。

 朝、目が覚めると酷く頭痛がしていた。昨日は飲み過ぎた。帰りの記憶も曖昧なほど飲んでいた。咳払いをし、ベッドの横に置いてあった水を飲んだ。温くなった水が喉を潤す。仲の良い友達から派生した友達。いわゆる数珠繋ぎのような友達の友達関係の飲み会。そこで私は昨日、不思議な女性と出会った。彼女が誰の友達なのかも不確かだったが、彼女の言葉はなぜか私の記憶に残っていた。
身体を起こし、携帯電話に目をやった。時刻は昼前。丁度、一時間前に掛かってきた一件の履歴が残っていた。見た事もない番号だが、上の三桁から携帯の番号だと予測出来る。どうせ如何わしい勧誘の類いだろうと、無視しようとした時、同じ番号から電話が来た。

「すみません。急に誘ったりして」 
正午過ぎ、私はとある喫茶店にいた。
カップルと高校生達の間に挟まれた席に彼女は似付かわしくない服装で座っていた。黒のスーツと白のカッターシャツを纏った彼女からは昨晩の面影もなく、人間味が薄れているように感じた。私は席に座ると店員にアイスコーヒーを頼んだ。
「別に良いよ。今日、仕事は休みだったし。君は休みじゃなかったの?」
「はい。仕事でした。というより、今は休憩中なんで、今も」
「そうなんだ。日曜日なのに大変だね」
「人の死に時期なんて関係ないですから」
その時に彼女がどういう人なのかを思い出した。彼女は葬儀屋で働いていた。
「そうだね。仕事、大変そうだね」
「いえ。もう慣れましたよ」彼女は少し笑みを浮かべた。膨れ上がった頬からエクボが浮かび上がる。昨晩の飲み会の時に魅せてくれた愛らしい笑顔だった。
「ところで話ってなんだったの?」
「昨日の事なのですけど。質問の答えを聞いてないなと思いまして」
「昨日の質問?」
反芻するように思い返すが、薄れた記憶しか浮かばなかった。
「明日、死ぬなら何がしたい、っていう質問ですよ」
なんだっけ。という言葉が出そうになり咄嗟に飲み込んだ。確かそんな話をしていたなと自分自身で思い出せたからだ。彼女は確かにそんなことを私に聞いていた。
「それを聞く為だけに俺のこと誘ったの?」なんとも拍子抜けした。共通の知人を介し、自分の電話番号を聞き出し、昨晩に出会ったばかりの男を誘った理由として味気がないというか、色味もなかった。
「そうです。昨日から気になっていて。あの時、私の質問に唯一、興味を抱いて頂いたのに結局、何も答えてくれなかったじゃないですか」
彼女の表情は笑う事もなく凛と澄んで一切の感情をこちらに読み取らせないようだった。大きな黒目で私の目を見ている。こちらも表情を読まれないようにと必死に取り繕ってみたが、どうやら私の顔は引き攣っていたらしい。
「やっぱ変ですよね。私」彼女は私から目線を外し、テーブルに落としていた。
「いや。ちょっと驚いただけ」落ち込む彼女を私は焦りながらも宥めた。そうですね。変だと思います。なんて口が裂けても言えなかった。というより、彼女に好意ではない何か別の感情が湧いていたのも事実だった。

 「お前、あの子に会ったんだろ?」
普遍的に行われる恒例の飲み会に彼女は顔を出さなくなった。仕事が最近、忙しいと友人伝いに聞いていたので然程、心配はしていなかったが、毎月行っているこの飲み会に、もう半年以上も来ていなかったので、そろそろ心配にはなっていた。
繰り返されるような話に、そろそろ新鮮味もない。漫然と暇を潰すような飲み会。
停滞した空気を切り裂くように友人の一人が私に話を振った。ゆっくりと流れる川に投石をする友人。水面が波紋を起こすようにそこに全員が私に矢継ぎ早に質問をする。
「会ったって言っても、向こうの仕事の合間に少しだけ話した程度だよ」
「何話したの?」
「世間話だよ」
嘘は言わないが、真実も言わない。そんな、口ぶりで一つずつ質問を処理していた。

 「明日、死ぬとして。何をすることが正解なのかな」
私はぽつりとそんなことを呟いた。それは彼女が席を外す、五分前だった。
私は真面目に死ぬ直前の自分を想像した。しかし五体を満足に持ち、まだ死というものを受け入れるには早すぎる私にとって、やはりそれは現実味がなかった。
「それは私が決める事じゃないと思います。アナタの人生ですから」
屈託も含みもなく真っすぐに言われ、“ですよね”と返す事しか出来なかった。
しかし、頭の中を何回も引っ掛け回し、妄想に似た想像を繰り返したとこで、答え何て見つからなかった。私はとうとう“分かんないな”とギブアップした。背もたれに凭れ掛かり、頭を抱えるように降参の意を表した。すると、彼女はクスっとだが笑った。
「やっぱり、面白い方ですよね」
「どこかですか?」
言われた事もない表現をされて少しだけ気恥ずかしくなった。
「素直というか、実直というか。こういう時って大体、みんな自分の思う幸せな瞬間を言うんですよ」
「幸せな瞬間ですか?」
「そうです。好きな食べ物を飽きるまで食べるとか。友達と一緒にお酒を呑むとか。好きな映画をもう一度みるとか。そういう皆が幸せだなって思う瞬間を口走るんですよ」
「でも、それって普段でも出来るじゃん」
私はありのままの素直な意見を述べた。
“せっかく死ぬのだし”私はそこが念頭に置かれていた。何か特別な事がしたい。普段とは違う。何か自分にとってのプラスになることをしてみたい。そんな想いが強かった。
「私は貴方の意見に賛成ですよ。死を考えだすと人は自分の幸せと向き合うんです。でもそれって何気ない平凡なものなんですよね。だから、答えてくれた皆にそこから踏み込んで、本当にそれで良いの、って聞くと、大抵の人が黙っちゃいます。結局、みんな本当の正解なんて持ってないんですよね」
「ただ単に何も知らないだけだよ。死と言うものを感じるに乏しいだけ」
「知らない事を知っていることが大切なんです」
「ソクラテスの考えだね」
「知ってるんですか?」
「詳しくはないけどね」大学の時に少し学んだ知識だった。無知の知と言われた考え方だ。知らないことを知っている人間より、知らないことを知らないと自覚している人の方が賢いという考えだった気がする。
「今ってすぐに情報が手に入る時代じゃないですか。全ての知識が自分のポッケに入る世の中で、一人一人が万の博識ある人になれます。そんな時代でも分からない答えが自分のすぐ近くにいつも存在している」
少しだけの静寂。他のテーブルの会話が際立つように聞こえた。
「私、仕事に戻りますね」
彼女はそう言って席を立った。つられるように席を立ち、会計を済ませると、私は彼女を“仕事場まで見送るよ”と誘った。

 森林が綺麗な公園を横切るように歩いた。木漏れ日が薄らと揺らめき、通路を照らす。
「天使の階段って知ってますか?」
彼女はポツリと私に聞いた。聞いた事もない単語に首を横に振る。
「太陽が雲に隠れる時に雲と雲の切れ間から光りが差していることを言うらしいです」
「ああ。見た事ある。あの光線みたいな奴だ」
私は特撮ヒーローのように腕を十字の形にした。何度も目撃したことのある現象に名前があることすら考えたこともなかった。彼女はそんな私を見るとクスッと笑って“確かに正式には薄明光線って言うらしいんで、そうですね”と言って、小さくだが私の真似をしてくれた。
「人は死んだ時に、あの光りからやってくる天使によって天国まで運ばれる。そういう言い伝えがあるらしいですよ」
「それは困ったな。高所恐怖症なんだよね」
彼女は無垢に笑った。つられて笑う。
風が舞い、落ち葉が小さな台風を作る。
私は寒さでポケットに手を入れた。

 彼女の職場には人の死が欠かせない。改めてだが、彼女の職場を見た時に感じた。無機質な建物は白と黒であしらわれ、そこには大勢の喪服を着た人たちがいた。彼らは異なった人生を生きて、異なった考え方を持っている。しかし、この場にいる目的は共通して一つだった。大切だった人を悼んでいること。
「仕事していて辛くなったりしないの?」
私はまた本音を漏らした。毎日、誰かの死と向き合って辛くないのか。彼女の言葉を借りれば、率直に、実直に感じたからだ。
彼女は立ち止まり、私の顔を見つめた。含みを混めた微笑みを私に投げかけ、撫でるような声で発した。
「こんな気分でいるのって、凄く不謹慎ですけど。私、嬉しくなるんです」
「え。嬉しい?」
「はい。もちろん、故人の方を悔やむ気持ちはあります。悲しいなとか、可哀想だなとか、労ることは忘れないようにしています。でも、それ以上に死を間近に見る事によって、今、生きていることがいかに奇跡的で有り難いことなんだって。そんな想いになってくるんです。だから、辞めないですよ。辛くたって」
彼女から溢れ出る言葉に私はいつしか引き込まれていた。暗闇の中でしか決して見出す事の出来ない光りを彼女は嬉々として話している。その小さくて消えそうな光りを彼女は忘れないようにと生きている。
彼女はそう言って、私の前から姿を消した。

 居酒屋を出ると、外の空気は冷たかった。ヒュッと木枯らしが私たちを撫でるように吹く。一人の友人が「きゃっ」と捲れそうなスカートを押さえると、それを茶化すように男友達が興奮する。笑い合う友人達を横目に私は街並を見つめた。
なぜだろう。いつもより。輝いて見えた。見慣れた風景に代わり映えしないメンバー。
なのに。いつもより。輝いて見えた。星空を引っくり返したような、街の輝きが。見飽きた笑顔の仲間達が。朧げに噛み締めていたいつもの“当たり前”という言葉が鮮明にくっきりと輪郭を持つように、私の視界に入って来る。
立て掛け看板とビルの隙間から車のヘッドライトが私を照らす。
天使に迎えられ、光りの中に溶け込み、空からこの街を眺める時に、私は何を思うのだろう。誰を想うのだろう。

 人はいつか死ぬ。いつかは知らないが、確実に死を受け入れる日が来る。彼女はそれを知っていた。そして、なにをするべきなのかは知らないまま。知らないことを知って生きていくことを選んだ。それは何が自分にとっての幸せなのかを考えて生きていれる最大の道だと考えたからだ。だから、彼女は日々に感動している。毎日に感謝している。
「明日、死ぬとしたらなにがしたいだろう」
そのことをもう一度、考えた瞬間に私は携帯を取り出した。通話履歴を探すと、彼女の番号があった。彼女の番号を連絡先に登録すると私はお気に入りにした。

 急に電話したら、変な人って思われるかな。

 でも大丈夫だよね、彼女も急に電話してきたんだし、おあいこだよな。

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