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「お天道様が見ている」って話しを中国人にしたら「ナニソレ」って言われたお話

先日、韓国人と中国人と一緒にお食事をしました。その時に、子どもの頃に親や祖父母から「お天道様が見ているよ」と教えられた話しをしました。

すると、韓国人も中国人の友人も「ナニソレ」って反応でした。

そもそも中国にも四知という言葉があります。

後漢の役人が賄賂を断ったときに「天知る,地知る,我知る,子知る」と言ったというお話しです。

これは天も地も起きたことを知っているし、自分が何をしたかも知っている。そして賄賂を持ちかけたあなた(子)も知っているで、すべての秘密が暴かれずに済むことはないという戒めです。

でも、中国人の友人は「世間の目とか意識したことないな」と言ってました。そして、マナーを守るかどうかは教育の問題だし、個人の素養の問題だと言います。それで、他の人が見ているかどうか、知っているかどうかなんて関係ないよねと言います。

韓国人の友人も同様の意見でした。この友人たちはわたしと同世代で50歳前後です。若い人の感性とは違うかもしれませんが、少なくとも自分とは違う考え方を持っているのだと気づきました。

それで、中国ですと「監視カメラが見ている」って言うんじゃないですかと質問すると、それはその通りと笑います。

でもカメラがあるだけでは行動に影響を与えないよね。カメラがあり、その向こう側で公安なり警察なり守っている人がいること。そして、何か良くないことをすると私たちのこと見つけだして処罰するかもしれないという感覚が人の行動に影響を与えると話すとふんふんと聞いてました。

さて、ここで中国人友人とわたしの感覚には更なる違いがあることに気がつきました。お天道様が見ていると言うとき、悪いことはできないという気持ちにもなりますが、良いことをすれば褒められるという気持ちにもなります。

しかし、友人は人の知らないところで良いことをしてもメリットがないと思っているようです。そうなると情けは人の為ならずなんてまったく理解できないだろうなって感じました。

加えて、人の目は気にしないと言いながらも面子は気になるだろうにと思い「でも、友人たちや家族に良い人間だと思われたいでしょ」と言うと、それも気にならないそうです。

ありのままに振る舞うことこそ大事だそうです。でも、まぁ見栄をはったり無理をしたりする姿を何度も見ているので、これは言葉通りには受け取れません。

お天道様が見ているって、考えてみるとキリスト教的です。その考えに中国人や韓国人友人がピンと来ないのは当然といえば当然ですが、極東に住むごく普通の日本人である私にとっては理解しやすい考え方なのも面白いです。

いつから「お天道様は見ているよ」って言うようになったのかも気になりました。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

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