オルタナティブ・スクールが考える学力観・子ども観〜きのくに子どもの村学園の実践から〜

 2月から「直伝!実践のための『夢みる小学校』学びのつくり方深掘り連続講座」を受講しています。南アルプス子どもの村中学校のかとちゃんこと加藤博さんが講師です。第1回は、諸用でリアルタイムでは受けられなかったのですが、先日アーカイブ動画をみました。第1回は「きのくに子どもの村独自の学力観」についてでした。

 子どもたちにどんな力を育みたいのかと言われた時、教師である私たちは、漢字の読み書きができること、九九を覚えることなどまず知識を身につけさせ、それを使って問題を解く力となりがちで、教科書に書いてあることをできるようになることが優先されています。でも、本当はその子たちがよりよく生きていくためにはどうすればいいのか、ということが先なんだと思います。講座の中で、かとちゃんが話していたエピソードで、1年生がアリ地獄について興味を持ち、それをなんとか記録に残そうと一見なんのことかわからないけれど自分なりに紙に書いたこと、雪の富士山がとっても綺麗で感動したことをなんとか母親に伝えたくて一生懸命手紙を書いたこと、今まで漢字を勉強しなかった子が大好きな釣りの道具の説明書が読めなくて漢字を読めるようになることの必要性を感じたことなどが紹介されていました。九九ができるようになることではなくて、九九が便利だと気づくといった学習することの先にあるものが大切なんだと改めて感じました。しかし、今の学校の学びは、教科で分断されていて、その教科で点数を取れること、教師が言ったことを正確に早くできるようになることが学力だと言われているのではないでしょうか。教科で学ぶことはあくまで手段。失敗をしてもいい、時間がかかってもいい、じっくり自分で考えて行動し、確かめてみる力が学力だと言われていました。その通りだと思います。いつから、学ぶことの意味が逆転してしまったのでしょう。そして、いつも思うことですが、学校ではたくさんのことを子どもたちに詰め込んで、追い立てる日々が普通になってしまっていて、普通の社会人でもこんな過密スケジュールではないのに・・・と転職した時に思ったのを思い出しました。

 次に、きのくにの子ども観についてです。
・子どもは「未完成の大人」ではない(ルソー)
・人は乳幼児の時から自ら成長しようとする強い力が内在していて、親の役目は環境を整えてその力を引き出してあげることだ(マリア・モンテッソーリ)
・すべての子どもは「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見張る感性」を生まれながらに持っている。(レイチェル・カーソン)
 こういった自ら成長していくという人間性に信頼感を置くというのがきのくにの子ども観です。そして目指す子ども像は「自由な子ども」!とっても素敵な子ども像だなぁーと思いました。
 子ども像は大きく3つの観点で捉えられています。一つ目は感情の自由で、情緒が解放され、自己肯定感と繊細な感覚を持った子(よく笑う)、二つ目は好奇心・問題に気づく・柔軟に考える自由な知性で、好奇心が強く、問題の所在に敏感で、創造的に考えようとする子、三つ目は自由な人間関係で、自己主張ができ、ともに生きる喜びを大切にできる子です。
 感情の自由では、誰かのためにではなく、自分のしたいことに没頭する時間を守ってあげることが必要で、そうすることで前頭葉が活発に動き始め、シナプスがつながってフロー状態になり、自己肯定感を高めることにつながると言っておられました。
 自由な知性では、何かができるようになるではなく、どうしてと疑問に思い、解決していく力を学力と呼びたいと言っておられました。有名なアメリカの哲学者ジョン・デューイは「なすことによって学ぶ。」と言っています。子どもたちは、自分を理解してくれる大人がいると子ども自身が思える安心した環境があることで初めて挑戦でき、失敗が許され、試行錯誤して、なすことによって学ぶのだということです。そして、それは何も子どもに限ったことではなく、教師である大人も同じだと思います。かとちゃんは「子どもに自由を、大人にも自由を」と言っていました。確かに、今の学校には自由がありません。子どもたちは持ち物の鉛筆1本から休み時間の遊び方まで教師が管理し、勝手にルールを決めてしまっています。トラブルが起きないようにとか、学校の学習に不必要なものは持ってこないようにとか、子どもたち一人一人の失敗する自由、個性を出す自由は認められていません。私は、こういったルール一つをとっても、対話を通して、お互いが納得して決めていくことが必要だと考えます。どうやって学ぶか、何を学ぶかをもっと子どもたちの思いから出発できないのかなと思いました。そして、そういう先生たちも管理職や教育委員会などから管理されています。先生たちも、もっと一人一人の思いが大切にされ、チャレンジし、失敗することを許される環境にしたいです。きっと学校での学びがダイナミックに変わっていくと思います。
 自由な人間関係では、教師はすぐに人の話を聞きなさいと言うけれど、「あなたは今、どう考えているの?」ということをまず大事にして、その次に人の話を聞こうということがくるのではないかと言っておられました。また、いい子と呼ばれる子たちが一斉授業の中で、異質な子を排除する方向に向かいがちです。でも、そうではなくて、あの子は何に困っているのかなと見守る力、その子を信頼してやまない、そんな関係をを目指しておられます。そのためには、大人がまずそうでないと、そういう雰囲気にはならないと言われていました。

 文科省の調査によると令和3年度の小中学校の不登校は、41万人に達しているそうです。少子化と言われているのに10年前の2倍以上に増えています。その原因の5割が、無気力、不安だそうですが、これは教師が回答しているので、本当はもっと無気力、不安が多いのではないかと推測されるようです。日本の若者は、自己否定感が強く、自分には価値がないと思っている若者の割合が高いという調査結果があります。誰かと比べて自分には価値がないと思っているのです。それから、不登校を経験している子たちの多くは、大人の評価を気にして、顔色を伺って、大人にとっていい子に振る舞ってきた子たちだそうです。そして、学校に行けない自分をまた自分で責めている。悲しいことです。不登校が増えているのではなく、これは子どもたちに学校が合わなくなってきた、時代遅れになってきたんだと思います。学校では、何かができるようになり褒められても、また次、そしてまたその次と目標を設定され続けます。これでは、子どもたちは今のままではダメと言われてると受け止めてしまいます。そうやって、大人になった時のためにと、常に頑張り、我慢して、子どもたちは今を楽しむことを奪われています。学校は息苦しい空間になっていると感じています。
 夢みる小学校のワンシーンで「自分は自分のままでいいと初めて思えた」と子どもが話す場面があり、ここが私が一番感動したところです。あなたはあなたでいい。君のことを丸ごと受け止めるよ。それがきのくにの在り方です。こんな風に子どもたちが思えたら、きっと不登校もなくなるのかなと思いました。

 未熟な者へ教えるという教育から、子どもに任せて待つ教育(教えない教育)へというきのくに子どもの村学園。そして、目指す子ども像は「自由な子ども」!!私自身、「自分らしく、自由にやりたいことをやってイキイキと毎日を過ごしたい」という願いを持っています。こんな学校だったら、きっともっと自分らしく楽しくイキイキと過ごせたんじゃないかな、そして自己肯定感も育まれたんじゃないかなと思いました。そう考えると学校で過ごす時間、教師がどう接するかというのは、その後に本当に大きく影響してくると思います。講座の最後に、イギリスに世界一自由な学校と呼ばれるサマーヒルスクールを創設したニイルの言葉が出てきました。「まずは子どもを幸せにしよう。すべてはその後に続く。」この言葉がすべてだなと思いました。そして、その前に、まずは教師自身が幸せに生きていくことが大事だと思います。

 最後に、最近あった嬉しいエピソードを一つ。昨年度担任していた子たちが、今年もKumi先生がよかったーと言ってくれました。その子の言葉で言うと「Kumi先生ロスが半端ない!!」だそうです(笑)そして、私が「○年ろ組は(去年の学年)は楽しかったなー。」というと、「だって、遊んでばっかりだったもんね〜。」と。最高の褒め言葉だなと思いました。遊ぶように学ぶ、遊びから学ぶ。これは私の理想とする学びです。学びは本来楽しいもの!学びの楽しさを子どもたちに伝えたい。今年度も学びの楽しさを子どもたちと一緒に追求していきます(^^)

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