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子どもたちへの言葉がけ 〜きのくに子どもの村学園の実践から その②〜

 夢見る小学校実践編の第2回は、子どもの村のスタッフが子どもたちとどのように向き合い、どんな言葉がけをしているかというお話でした。前回の子どもの村の子ども観をもう一度振り返っておくと、「子どもは自分で育つと信じて、謙虚に子どもと向き合い、その子の内なる思いによりそおう!子育てではなく、子育ちという感覚で。まずはこれが前提である。」ということと、「目指す人は幸せな人」ということでした。
 学童期は発達心理学から見ると、親の期待に応えようとする時期を経て、第二反抗期に入るところです。反抗されると大人はつい叱ってしまいますが、児童心理学者の平井信義は「反抗する子どもこそ、自発性が順調に発達している良い子」と言っています。また、教育学者の霜田静志は、「しからぬ教育、それが最も効果のある方法だ。」、「「意欲」や「思いやり」の心を育てるには、自由を与え、行動を任せることだ。」と言っています。そして、前回も出てきたイギリスの教育者ニイルは、「困った子というのは、実は不幸な子どもである。内心において自分と戦っている結果として外界に向かって戦う。」「問題の子どもというのは決してない。あるのは問題の親ばかりだ。」「子どもたちは強制よりも自由を与えることで最もよく学ぶ」と言っています。今の学校は、子どもたちの自由や子どもたちの声を奪って、大人の都合のいいように管理している側面が強いです。自分たちの思いが学校運営に取り入れられて初めて、能動的に学んだり、活動したりできるのではないかと考えます。

 子どもの村には、「5つの心がけ」があるそうです。一つ目は、子どもを抱っこする。まずは安心、信頼という満たされた状態を土台とするということです。
 そして、二つ目は肯定的に評価する、肯定的な言い方へ変えて言葉をかけるということです。例えば、「急がないと間に合わないよ」、「もう5分しかないよ」ではなく「急いだら間に合うよ」というように声をかけることを意識されています。それは、頭ごなしに叱りつけるのではなく、肯定的な言い方で、あなたのことを信頼しているというメッセージを伝えるためです。
 三つ目は、能動的な聞き方をするということです。子どもの言葉をおうむ返しすることで、子どもは自分で解決法を見つけていけるし、同感ではなく、相手の立場に立って、善悪の評価や好き嫌いの評価をせずに共感的に理解することを大事にされています。ここでの同感と共感の違いですが、例えば子どもが、「家で飼っていた猫がいなくなっちゃったんだ。」と言ったとします。共感は「猫がいなくなっちゃったんだね。」、同感は「それは大変だね。悲しいね。」という具合です。「ぼく、雪の日に大きな雪だるまを作ったよ。」には、同感だと「パパが小さい頃も雪だるまを作ったよ。やっぱり大きい方がいいよね。」と大人の話にすり替わってしまうことがありますが、共感は「大きな雪だるまを作ったんだね。」と子どもの気持ちに寄り添います。自分の判断を入れて、自分の話にしてしまうのが同感と言えるのかなと思います。カトちゃんも言っていましたが、どっちが良い悪いでもないけれど、私たち大人はすぐに自分の意見や善悪の判断を入れてしまいがちなのかなと思いました。
 四つ目は、勝負なし法という話し合いの解決方です。子どもと大人の意見が正面からぶつかってしまった時、子どもも大人も困った困ったで、勝負をつけないで終わるという意味です。徹底的に説教するという方法はよくない、決着をつけない、というのが子どもの村のやり方です。このやり方にもいくつか方法があり、例えば「ペンディング」は解決を急がず、時間をおいてみるという方法です。それから、「第3の解決法」はAかBに悩んだ時、Cという選択肢を投げかけてみることで、解決を図る方法です。この話し合いの方法は、子どもたちに民主的な態度を育てることができるとカトちゃんは言っていました。この話し合いの方法は、私が取り入れていた「どうしても制度」に似ているなと思いました。クラスでの話し合いにおいて、どうしてもこれがいい、どうしてもこれは嫌だという意見を言えるという制度です。そして、その理由を聞いて、みんなでもう一度そのどうしてもを取り入れた結論に持っていくということを昨年度のクラスでもやっていました。前から言っているように、多数決は民主主義ではありません。多数派が少数派を無視して、嫌な思いをする人を蔑ろにする方法だと私は思っています。
 最後、五つ目は、私メッセージです。善悪の理屈を離れて、正直に自分の気持ちを伝える。これは悪だから、社会ではこうだからではなく、「私は困る。」と一人称をつかって伝えるということです。私メッセージは、私も日頃から心がけていることでもあります。

 子どもの村の言葉がけは、肯定的な言い回しの声かけで、自分で気づいてもらうということに終始しています。「〜しないで、〜したらダメ」ではなく、例えば、「机の上に座らないで」ではなく「椅子に座ろう」、「喋らないで」ではなく「話をしていいかな」、「走ったらダメ」ではなく「歩こう」、「叩いたらダメ」ではなく「叩かないよ。困っていることがあったら口で言うよ。」とか「よほど腹が立つことがあったんだね。」といった具合に声をかけることを意識されています。他にも「静かにしなさい!」ではなく「今日は元気いっぱいだね。」、友達のおもちゃを横取りしてしまった子には「すぐに返しなさい!」ではなく「貸してほしくなったんだね。」、「落ち着きなさい!」ではなく「気持ちが高ぶってるんだね。」、「いい加減にやめなさい!!」ではなく「おいおい、友達が泣いてるぞ。」、ゲームに夢中になっている子に「いつまでやってんの!」ではなく「だいぶ進んできたみたいね。」といった例を挙げておられました。これは、大人が一方的に禁止するのではなく子ども自らが気づくように仕向ける、つまり自分で考えるきっかけを奪わないということです。

 そして、大人は子どもたちの表情や言葉遣い、歩き方、そぶり、文字の大きさ、服装、遊び方など子どもから表出されるサインに気づき、どんなことが理由なのかを見抜く、それに込められた思いを感じ取ろうとすることが大切だと言っておられました。自分のことをわかって欲しいと愛情を求めてやまなぬ感情を見通すともおっしゃっていました。
 そして、学びに入る前に、まずは学校が、子どもにとって安心できて、ありのままの自分でいられる場所であることが大切だという話を終始されていて、大事なことを忘れていると気づかされた講座でした。ついつい大人は自分の考えを押し付けがちですが、誰にも干渉されない、安心できる、ありのままの自分でいられる。学校はそんな場所である必要があると思いました。自分がそうであったように、そして今もありのままで生きていきたいと思うように、ありのままを認めてあげられる教師でいたいなと思いました。子どもの心に寄り添うことで、子どもにゆとりができ、大人にもゆとりが生まれていくんだと思います。
 今回も、締めくくりはニイルのこんな言葉です。「子どもは愛することはできない。ただ愛されることを求めるだけである。」そして、「まずは子どもを幸せにしよう。すべてはその後に続く。」。これに尽きると思いました。

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