Historicov(ヒストリコフ)出版

古いモノ好き。関心事は19世紀末オーストリア=ハンガリー帝国~1945年欧州。イラスト…

Historicov(ヒストリコフ)出版

古いモノ好き。関心事は19世紀末オーストリア=ハンガリー帝国~1945年欧州。イラストレーターズ通信会員。All rights reserved. https://www.kumicov.com https://kumicov.booth.pm

マガジン

  • 体験談いろいろメモ

    いろんな方の戦中の体験談をメモしていきたいと思います。

  • マリエンバートのイカロス

    チェコ出身のオーストリア=ハンガリー帝国航空隊エースにしてマルセイユ大尉、ノヴォトニー少佐の教官アリギ氏をご紹介します。

  • Behind Enemy Lines - 史上最高のエース

    1960年に出たサンダーソン氏の著書Behind enemy linesから独空軍マルセイユ大尉の物語を訳しました。

  • ハンガリーの空の騎士ヨーゼフ・キス

    オーストリア=ハンガリー帝国軍の戦闘機エース、ヨーゼフ・キスについてユリウス・アリギ目線でご紹介します。

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さかきくみこ展「洒落者の残り香」予告 2

Kumiko Sakaki Solo Art Exhibition "The scent of the fop" trailer No.2 昨年の個展の予告です。

    • 関心事からもたらされる繋がり

       綺麗ごと或いは当たり前のことかもしれないが、昨年は改めて「人は一人で生きているのではなく、支え合って生きている」と実感した年だった。また、これまでも記事を発信することにより、思いがけないところからレスポンスを頂く事もあった。  noteで触れたことはないので説明すると、私は2007年の「不思議な経験」に直観を得て、一つの物語として昇華させたいと考えていた。1930年代から1940年代のドイツ周辺。個人的な調べものだからかなり偏ってはいるものの、その時代に生きた人々(民間人

      • 3. マリエンバートのイカロス

         1918年夏の間、私はダルマティアで第1駆逐戦闘飛行隊(Flik1J)の一員としてイガロ(Igalo)に復帰し、一組の単座機アヴィアティックDIをもらい受けた。WKF工場でテストパイロットとして働くため、ウィーン郊外のヘンナースドルフへに呼び戻される前にこの特別な戦闘機2機で最後の32勝目を達成した。

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        • 2. 栄光なる「皇帝の飛行中隊」

           1916年の終わり頃、私は北イタリアのイゾンツォ前線に展開する第1飛行中隊に配置された。ここでは単座式複葉機ハンザ=ブランデンブルクDIで護衛任務の大部分を引き受けた。1917年5月から4月の間には、同機で8勝から10勝、11勝、12勝を得た。そもそも私は固定された安定板以外のホーン・バランスのよい舵を持っていなかったこの戦闘機の構造としての安定性に不満があった。そこで、低アスペクト安定板と航空機に取り付けられる簡素な舵を設計したら、後でそれが標準装備されるようになった。

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        • Behind Enemy Lines - 史上最高のエース
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        記事

          1. ボヘミア生まれのエース

           どうやら私の名前は珍しいらしい。1895年10月3日、オーストリア=ハンガリー帝国ボヘミアのテッチェン生まれ。ズデーテンドイツ人という類に入る。今でいうチェコ北部のジェチーンってところさ。エルベ川とプローチェニツェ川の合流地点、ドイツのドレスデンから意外と近いんだよ。18世紀には温泉が出たんでスパの町なんて言われていたが、今ではすっかり枯れてしまった。もし、ジェチーンへ来ることがあったら城に行ってみるといい。七年戦争で要塞として使われたジェチーン城は年月を重ねるとともにルネ

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          1. ボヘミア生まれのエース

          9. 史上最高のエース

           不思議なことに、彼の最後の撃墜は9月28日の、マルセイユの人生で最も苛酷な158機であった。とにかく、彼は家に手紙を書いた。 「それは互角の戦いだった。短い戦いでもあった。でも最初は、勝ちを確信している訳ではなかった」  戦闘解除で、ノイマン少佐(その当時はまだマルセイユの部隊長)は飛行中隊の生き残りの帰還を心配そうに見ていた。確かにマルセイユはさらに大きなガスタンクが装備された新型のMe109Fに乗っていた。だが、そのガソリンは今や、殆どなくなっているはずだった。彼は腕

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          8. 完全なる輝く星

           アウグスブルクではマルセイユがメッサーシュミットの工場を訪れ、航空機の性能をわずかに犠牲にしてでもMe109の為にさらなる大きなガソリンタンクを提案した。彼の提案は実行できなかった。又、アウグスブルクで彼は女の子と会った。彼女の名はハンネリースといい、随分インゲに似ていた。マルセイユは人目見て恋に落ちた。(それは初めての重大事件だった)  数日後、彼はハンネリースに結婚を申し込んだ。ハンス=ヨアヒムが別の休暇を取った時、彼女は受諾し、日取りはクリスマスに設定された。ハンス=

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          7. 独りぼっちの戦い

           既に航空機の撃墜名人であったマルセイユは、まだ人間の感情的な成熟に達していなかった。彼は猛烈に飛ぶことに専念した。殆ど向こうみずな戦闘の一週間で、もう12機を落としていた。彼は飛んで戦うためだけに存在していた。彼は生きて単独で戦う「ソリティア(一人遊びのゲーム)」になっていた。  夜になると、彼は誰とも話さないでテントへ直行した。10機またはもう15機をスコアに加えられないまま1ヶ月が経過した。50……60……70、次第に、彼の最初の野生の情熱はそれ自体に費やされたが、彼は

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          6. 突然の知らせ

           10日間のうちに、マルセイユの撃墜数は18機から33機へと上昇した。彼は中尉へ昇進し、ケッセルリンク元帥は彼の胸部へドイツ十字章金章を留めた。2週間後、マルセイユは敵48機を撃墜した。  それはDAFが彼を待つために辛抱強くその防衛領域に腰を据えていたからではなかった。報復作戦行動は立案された。マルセイユはたびたび単独で、あるいは1機か2機の僚機とともに飛行し、小編成あるいは敗残兵に対して狩りを始めた。中隊仲間のカール・クロップはマルセイユの成功に関するいくつかの理由を思

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          5. デルナ上空

           ハンス=ヨアヒム・マルセイユの調整は続いた。家からの手紙はロシアに対する攻撃や、初期の圧倒的な勝利における楽観主義を伝えていた。彼らは姉インゲの結婚も伝えた。アフリカでの戦争は上手くいかなかったが――トブルクはまだ、持ちこたえており、ロンメルはエジプト国境に留まっていた。空では英軍機が増え、反撃の噂を耳にした。

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          4. 鳥の本能

           戦闘機パイロットのハンス=ヨアヒムは二度と発砲するのをためらわなかったし、見たところ彼の撃墜の記録はたまり始めたように見える。着実に、1週間に約1機の割合で、7機と一級鉄十字章を得るまでスコアを加えていった。現在、飛行中隊の中で最高のパイロットの一人だと認識しているとはいえ、特にそれを気に入ってはいなかった。彼は深刻すぎるようだったし、没頭しすぎているようだった。  バトル・オブ・ブリテンで戦術を頻繁に議論することを除いて、彼はベッドに横たわって静かに自分自身の考えに没頭

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          3. 最初の勝利

           新兵マルセイユは1938年11月7日、ドイツ空軍で飛行訓練を始めた。1942年までに、3箇所の前線で空中戦をするプレッシャーが体にこたえ始めた頃、空軍の訓練は高水準を維持していた。翼を得る前に、ハンス=ヨアヒムは3つの学校で長く疲れる数ヶ月を過ごした。単独で操縦する前、空に100時間以上いて、しかも、それをやったクラスで最初の男だった。彼は誇りに思い、休暇でベルリンに帰宅した時、ほんの少しでも自慢したがった。世界は彼の前では向かうところ敵なしだったし、今それが自分のもだと

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          2. ベルリンのハンス=ヨアヒム

          何が戦闘機パイロットに費やされるのだろう? 何が、とりわけ、エースの中のエースに費やされるのだろう――死ぬまでに少なくとも100の戦いをして全てに勝つ男?   明らかに「殺戮本能」ではないし、もちろん飛ぶことに対する圧倒的愛情なのだが、どうやら現代の心理学者が主張するような、開けっぴろげで男らしい外向性にあるようだ。  ハンス=ヨアヒムは1919年12月13日、第一次世界大戦のパイロットであったジークフリート・マルセイユ(最終階級は少将)の息子として生まれた。8歳の時、少

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          2. ベルリンのハンス=ヨアヒム

          1. 若き鷲

           4機の英ハリケーンは好奇心をそそる標的を見下ろした。1ダースのロンメル戦車がワジ(wadi 雨期以外は水のない川)の浅瀬付近を巡回している。それらの背後では2度、多くの荷物を積んだトラックが緩んだ砂の中を通って激しく揺れ動いた―軍の哨戒隊はエル·アラメインで急遽、防衛された隙間へ押し分け進んでいる。250ポンド、4機のハリケーン。各翼の真下の爆弾は、数秒間だけ旋回した。今回だけはアフリカ軍団の車両がワジに追い込まれ、分散しないことは明らかであった。 「3機、4機、撃墜」

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          4. 最後の敬礼

           1918年1月27日ペルジーネ離着陸場では敵機が目撃され、ヨージーだけが迎撃の為上昇した。しかし通り過ぎる敵に追い付く事はできなかった。その直後、敵3機に遭遇し、ヨージーは戦闘に加わった。戦いは敵の先頭集団との争いと共に一対一の戦いへと急激に変化していった。

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          3. 革命の果てに

           キシュ家はトランシルヴァニアに起源をもつハンガリー系アルメニア貴族でトロンタールに荘園を持つ裕福な男爵家だった。1782年キシュ・イツァーク(Izsák)というトランシルヴァニア・サクソン人は財産に有益な十分の一税制を制定した。

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