ティラナ空港にて2

2. 栄光なる「皇帝の飛行中隊」

 1916年の終わり頃、私は北イタリアのイゾンツォ前線に展開する第1飛行中隊に配置された。ここでは単座式複葉機ハンザ=ブランデンブルクDIで護衛任務の大部分を引き受けた。1917年5月から4月の間には、同機で8勝から10勝、11勝、12勝を得た。そもそも私は固定された安定板以外のホーン・バランスのよい舵を持っていなかったこの戦闘機の構造としての安定性に不満があった。そこで、低アスペクト安定板と航空機に取り付けられる簡素な舵を設計したら、後でそれが標準装備されるようになった。
 やがて、私は第41駆逐戦闘飛行隊へ転属になったのだが、この部隊を指揮する士官ゴドウィン・フォン・ブルモフスキ大尉とは合わなくてね。彼と私との問題も大きく影響して、この戦闘機部隊にとどまったのは短期間だけだった。だからブルモフスキの件は... ...ノーコメントだ、あまり考えると苦笑どころではなくなるよ? どうしてもって言うなら、また今度話すさ。私がご機嫌な時にでもね。

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