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食の記憶を辿りたくなる『オールド台湾食卓記』

『オールド台湾食卓記ーー 祖母、母、私の行きつけの店』
洪 愛珠・著、 新井 一二三・訳 筑摩書房 2022

★1

台湾料理をもっと知りたくて読み始めた。食べたことのない料理も、知っている料理や食材の新たな側面ををみる。想像したり、想像もできないことも楽しい。期待が膨らむ。
ぼくが驚いた台湾料理に肉圓(バーワン)という温かい饅頭のようなものがある。表現しようのないので少々失礼な表現になってしまうけど、ミンチ肉の餡を包んでいる生地が片栗粉を入れ過ぎてしまったときの半透明のドロドロの塊のようなものだった。その見た目に驚いたものの美味しかったし、なにより台湾料理の世界に入れてもらえた気がした。
著者の実家で年越しに食べるという兜麵(タウミー)という料理があって、写真から肉圓の親分のようなものなのだろうかと想像した。米苔目(ミータイムー)という米麺も食べたことがない。さらに米苔目の上にかき氷と甘い豆をのせるデザートもあるという。魯肉飯の思い出も書かれていて、やはり家庭の味なんだなと嬉しくなる。
洪さんの祖母、母との食べ物の思い出を読みながら、自分にはどんな記憶があるのか思い出してみたくなった。でも気後れしてしまう。台湾人に連れられて食事をすると、自信を感じてしまう。それは自慢とかではない。台湾にはうまいものがある、ということを彼らが当然のような思っているのを感じるのだった。ぼくにはそれがないような気がしている。美味しい料理やお店ならいくつか挙げられる、でもソウルフードと呼べるものが思い当たらない。
東京で育ったので、ローカルな食べ物は思いつかないのかもしれない。東京の西側育ちなので、ソウルフードはない。もんじゃ焼きも江戸前寿司も特別なものには感じない。それでも、洪さんに倣って祖父母や両親との食べ物の記憶を呼び起こしてみたくなった。

★2

父方の祖母は、戦前大きなお菓子屋を営んでいたという。子供の頃の料理の記憶は彼女のものが最も多い。妹がひどい喘息だったため、幼稚園から小学校の低学年の頃はほとんど彼女の作ってくれたものを食べていた。おから(卯の花なんて呼び方はだいぶあとに知った)、おせち料理、大鍋おでん、毎回具の違う卵焼き、パウンドケーキのようなもの(これも毎回具が違う)、フレンチトースト(食パンに卵が絡めてあることに困惑したことも覚えている)。料理を作るのも食べるのも大好きな人だった。急に寝たきりになってしまったけど、80を過ぎてもたくさん食べたし、揚げ物も大好きだった。彼女にとって美味しい料理が大切だったから、味はしっかりついていて、油も容赦なく、レストランや中華食堂のような食事を作ってくれた。祖母も、その味で育った父も高血圧だったから母は好まなかった。
母方の祖母は多忙な人だった。外食の記憶のが多く、近くのデニーズで食事ご馳走してくれた(彼女はずっとディズニーと間違い続けた)。ドライブの車中はどんどんお菓子が出てきた。彼女のおかげなので書いておきたいのが、手づくりのサーターアンダギーだ。彼女の友人が月に一度くらいは届けてくれたので、それが沖縄のお菓子とは知らなかった。すごく好きだった。あれより美味しいサーターアンダギーには出会えていない。みっちりして甘くてサクサクしていた。土産店のものは全然ダメだ。ふくらし粉を入れ過ぎてソフトになり過ぎている。那覇の公設市場のお店のものが一番近かったけど、それでもまだソフトだった。あのサーターアンダギーが愛おし過ぎて、オールドファッションドーナツやスコーンのような生地の詰まった焼き菓子が好きになった。

★3

父も食事を用意してくれた。生麺タイプのラーメンに具を足したようなものや肉屋のコロッケやメンチカツだった。小学校のころ土曜日のお昼は、それらが定番だった。それらとともに思い出すのは、晴天の青空と調布基地を基点とするセスナ機の音で長閑な光景だから、安らぐ時間だったんだろう。今ではホームベーカリーだけど、パンを作りが趣味だった。朝から記事を叩きつける音で母が怒っていた。パンをあげるときの父は幸せそうだ。
母の料理は薄味で、まったく油っぽくない。ぼくが小さい頃、母はよくコーヒーを飲んでいた。だんだん飲めなくなり、紅茶やお茶になった。今では白湯しか飲んでいない。料理も薄味になっていった。だからぼんやりとした味が多かった。中高は弁当だったので、母は毎日作ってくれた。彼女は健康のためを思って胚芽米(3割くらいしか精米しない米)を炊いていた。今思えば感謝しかないのだけど、周りの人の真っ白いお米が羨ましかった。母は料理が特別好きではないと言っていた。でも、ぼくと妹のためにテレビや新聞の切り抜きを参考にしながら工夫しながら作ってくれた。
こうやって記憶を辿ってみて、二人の祖父に料理を作ってもらった記憶はない。父方の祖父は釣りが好きで、魚を捌いたり、焼酎などに果実を漬けていた。趣味の料理だった。

★4

好きな日本の料理を問われるとドキッとする。自分にとって特別だと思える和食があまり浮かばない。豆腐とか、大きな卵焼きの太巻きとか、何しろあまり浮かばない。西洋風、中華風、アジア風ばかりな気がする。ラーメンは濃い味と体育会系な雰囲気が苦手なので挙げたくない、と選り好みもしてしまう。『オールド台湾食卓記』にロールキャベツが出てきた。日本統治時代に入ってきて、洪家のおせちの定番となったという。
ぼくは食事に関して随分とナショナリストなことに気づいた。思い出の味にどこそこの料理かなんて関係ない。食事は文化といいたくなって、場所やアイデンティティと繋げたくなる。何を食べるかは、食材の供給網にも左右されてるし、時間や手間も考慮する。食育も、良し悪しを決めるものになってはいけない。作ってくれた人や一緒に食べた人との食卓の記憶の方が、よほど大切だと思った。

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