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あをによし 大きな歴史と小さな春 奈良あるき

最高気温一桁予想の冬らしい日。
忘れ物の回収、念願のもの入手のため奈良を歩いてきた。


まず目的地のお寺まで歩こうと、今回は近鉄西大寺駅からスタート。
東側のターミナルは例のあの事件が起こった場所。

特に地図も何も予習していず、以前に平城京跡からは歩いたことあったことと
東に向かえば着くということだけはわかっていた。


近鉄西大寺駅


少し歩くと秋篠川にかかる西大寺橋を渡る。
西大寺西詰所、東詰所とありる



バス停


バス通沿いを歩いているとすぐに平城京跡エリアに入る。
こんなに近かったのね。
車道は落ち着かないので、佐紀池横の路地を入ってみた。


佐紀池


デコイ



池から突き当たると早速神社登場。


佐紀神社(西畑)


佐紀神社(西畑)

こちら謎の神社でした。

御祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと) 
    経津主神(ふつぬしのかみ) 
    六御県命



手水鉢の水は凍ってた!
なので・・・ツンツンとだけ
手水舎の屋根にとまってた





ふ〜ん



失敬!



不思議な神社ではあったが、空気感などは嫌いではない。


その横に鎮座するは釣殿神社






御神木
モチの木推定樹齢200年以上と



こちらも縁起は不明であるが、佐紀神社から分祀されたのではないかとのこと。





御前池





御前池を挟んで東側にあるのがこれまた佐紀神社(亀畑)


佐紀神社(亀畑)


社伝によると天武天皇二年(673)に鎮祀し超昇寺(現奈良市)の建立と同時に鎮守紳として尊崇され、貞観元年(859)には社殿を改修、寛平三年(891)に官社に列し超昇寺が別当寺とされたが、治承四年(1180)の兵火により焼失した。文治六年(1190)に再建、天正六年(1578)再度兵火に焼失したという。境内には市杵姫神社・大国主神社の二末社があり、これらは超昇寺僧の鎮守紳で、同寺廃絶後、明治頃に当社内へ移されたらしい。例祭は十月十日。現在、当社と御前池を隔てた西方にも佐紀神社があり、両社とも祭神を同じくする。『延喜式』神名帳添下郡に『佐紀神社』が見え、この神社に着いては『大和志』に『在超昇寺村、今称大宮』と記す

社伝より




個性派
個性派




西の畑も亀の畑も、どちらにしても古い謂れというのは間違いなし!




右手に平城宮跡の大極殿を見ながら東へ。


冬の平城宮跡



満開の山茶花



見事な散りっぷり!




現在地確認













次に登場は葛木神社

主祭神  一言主大神 (ひとことぬしおおかみ)
末社祭神 市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)




葛木・・
やはりあちらの葛木神社との繋がりがあったよう。


なになに


ふむふむ


なるほど



もうあまりに歴史が遠く深すぎて・・・
ついていくのが大変〜


そしてここはどこ?
このコースは標識などが少なく、何がどこでどれが何なのかわかりにくい。

と思っていると、急に開けた場所へ、その奥にこんもりした森。
だいたい奈良でこんもりした森は古墳ね笑



冬の実
なんの木?




こちらはあの仁徳天皇皇后の陵墓とされている古墳でした。

磐之媛命 仁徳天皇の4人の后妃、2人の皇后のうちのひとりで、
     葛城 襲津彦の娘、武内宿禰の孫

仁徳天皇の皇后の陵がここに・・
こちらの皇后さま、ご主人様への嫉妬がかなり強いお方だったようで
色々逸話が残っている。
それは思いが強すぎるが故か?! 
浮気(当時でもそういう認識だったのか?)されても、
後に4代続く天皇の生母であるという、確固たる地位と権力が
この大規模な前方後円墳として残ったということでしょうか?


ヒシアゲ古墳
仁徳天皇皇后磐之媛命 拝所



ヒシアゲ古墳前の水上池



御陵を囲む道





紅い実と
綿毛




水上池からすぐ東にまた古墳。

コナベ古墳 被葬者は不明

立派な豪をもつ前方後円墳。

この辺りは佐紀盾列古墳群(さきたてなみこふんぐん)と呼ばれる
古墳時代前期後葉から中期にかけてのヤマト政権の王墓を多く含む古墳群。



コナベ古墳


やすむ


飛び立つ





コナベだが大きめ
後方から



いったい誰のための古墳、陵墓でしょう?


コナベ古墳のすぐ隣にウワナベ古墳という、これまた大規模な前方後円墳がある。
今回はこちらまでは行かず、その間の航空自衛隊奈良基地前の道を南下。


コナベ古墳から住所が法華町になり、おそらく目的地は近いはず。



梅がチラホラ開花開始!




自衛隊基地からまっすぐ伸びる道を歩いていると
ちょうどその道でした!


右手に出てきたのが、本日の目的地の一つ海龍王寺


ほほぉ〜
なかなか趣きある門構え





ということでひとまずここまで。

西大寺駅からサクサクっと歩いてこのお寺、と思っていたのが
思いのほか寄り道、見どころがあり、こちら海龍王寺も盛りだくさんの記事に
なることから分けて投稿します。



どこを歩いてもモリモリの歴史と古跡で、改めて復習していると
あの歴史、あの人の話、この土地の逸話とキリがなく繋がっていく
歴史の連鎖に頭フル回転!
でも面白くてたまらない・・・




椿散り、梅が咲く歴史の道を歩いた。



つづく



























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