犬オルタナティブ

徒然に与太噺などを書いて行きます。

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最近の記事

GOOD BAD MAN

アメリカには「GOOD BAD MAN」なる物語のジャンルがある。筋は簡単、どこからともなく現れた男が、揉め事を解消してくれ、束の間の安らぎをもたらしてくれる。元はジャガイモ飢饉で祖国を追われアメリカに移住したアイルランド人の間で流行したバラッド(物語歌)だという。過酷で貧困な移民生活を忘れさせてくれるひとときの夢といったところだろう。 男からすれば、流れさすらい別天地に辿り着く願望、女からすれば、困窮から救ってくれて、ひょっとしたら別天地に連れて行ってくれる男が現れるとい

    • 広島にタバコを買いに行く

      昨日、 #死ねを別の言い方で言ってみよう というハッシュタグが流れてきて思い出した話をひとつ。 例えば、戦時中の日本を描いた映画で、登場人物が「広島に行く」というセリフを言えば、それは間違いなく死を暗示しており、永遠の別れを意味する。云うまでもなく、原爆という圧倒的な死が待ち受けているからだ。死亡フラグというやつ。 ところが、中国地方にはもっとずっと昔から死ぬことを「広島に行った」と表現する習慣があったという。「死」が口に出して憚れる禁忌の言葉だったかも知れない。「あの叔

      • 断捨離

        来年早々引越しも控えているので、年末の大掃除のついでにばんばん物を捨てているが、いざ捨てるとなると未練や愛着が湧いてきて、なかなか手放せないものだ。ひとつひとつ吟味すると余計捨てられない。それでも年明けには本やCD、DVDなどをかなり処分するつもりだ。まあ幾ばくかのお金になるだろう。 毎年6月に秩父の三峯神社に泊まりで参拝に行く。お借りしていた御眷属の神札をお返しし、新たにまたお借りするのが目的だが、今年は早朝参拝の折にひとつお願いをしてみた。 「自分にとって為にならん人

        • 大正天皇崩御のクリスマス

          西暦1926年12月25日、葉山御用邸にてご療養中の大正天皇が崩御された。享年、いやこの場合は宝算か47歳。死因は心臓発作と発表された。 陛下は生まれつき病弱で、若い頃から入退院を繰り返し、大正10年頃から病状深刻となって、政治能力の不安から皇太子裕仁親王が摂政となって政務を代行し、陛下は葉山御用邸にて御療養に専念するに至った。 大正15年10月末頃から病状さらに悪化し、11月19日から宮内省が数日おきに病状の詳細を発表するに至って、全国で平癒祈願が行われたのもむなしく、

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        • 与太者雑記
          12本

        記事

          クリスマスソングあれこれ2

          メリークリスマス! 本日は自分が好きなクリスマスソングを挙げていこうと思います。まずはこれ。 チャールズブラウンはテキサス出身のブルースミュージシャン。ピアノを弾きながら唄う。滑らかな歌唱が魅力だ。この曲は全米76位くらいのヒット曲だが、何故か今に至るまでアメリカでは大人気で、様々なカバーがそれこそ山のようにある。もっとも売れたのはイーグルスのカバーだろう。それからこんなクリスマスの定番映画にも使われた。唄うのはブルース・スプリンスティーンの盟友サイスサイド・ジョニー。

          クリスマスソングあれこれ2

          初めてのクリスマスディナー

          それは小学3年生のクリスマスだった。 祖父母と暮らしていた俺はクリスマスとは無縁だった。ケーキもチキンもその日の食卓にのぼったことはない。その前は教会の施設にいたから、ミサやらちょっとしたお楽しみ会などでクリスマスのムードというものは少しは知っていたが、行事のひとつという認識しかなかった。 そんな俺を不憫に思ってか、小学3年生の時、叔母がホテルのクリスマスディナーに連れて行ってくれると言ってくれた。正直そんなものには行きたくはなかったが、否応無しである。だいいち、それがど

          初めてのクリスマスディナー

          クリスマスソングあれこれ1 中村とうよう編

          昔、中村とうよう監修制作のレコード会社「スープレコード」から「ブラッククリスマス」なるコンピ盤が発売されたことがある。タイトルが示す通りアメリカの黒人ミュージシャンによるクリスマスソング集だ。 アメリカの黒人音楽には「クリスマス・スピリチュアル」なる黒人霊歌の流れがある。エジプト王に迫害されて逃れ、馬小屋で生まれてカイバ槽で産湯を使った苦難に満ちたイエスの誕生と育てるマリアの苦難への共感が歌詞として唄われる。自分たちの境遇をイエスキリストと重ねたのだろう。 中村とうようの

          クリスマスソングあれこれ1 中村とうよう編

          鎌倉時代の不倫事情

          かつてNHKにタイムスクープハンターという番組があった。説明はめんどくさいのでwikiを見てちょ。 見直したいのだが、なかなか再放送しない。一昨年に時代劇専門チャンネルでシーズン1を放送したが、それきり音沙汰なしである。NHKのオンデマンドにもない。あそこは見たい番組に限ってないのである。見たけりゃNHKエンタープライズのDVD買え、ってことだろうと思われる。阿漕な商売しやがって。 そのタイムスクープハンターで、鎌倉時代の不倫事件を取り上げたことがあった。主要人物は、鎌倉

          鎌倉時代の不倫事情

          個人情報ダダ漏れですよ

          とある女性(47歳)のブログを見ていたら、気になった記事があった、何でも長男が某大学主催の英語スピーチ大会で優勝した、という自慢記事である。賞状の写真を冒頭に掲げ、ご満悦である。長男は予選を突破して全国大会に進出し、そこでの優勝は、在籍してる高校始まって以来の快挙だと息子の優秀さアピールに余念がない様子であった。 賞状の写真は、モザイクを掛けてあり、巧妙に特定されるのを隠したつもりなのだろうが、実はこれが頭隠して尻隠さずのお粗末さであった。賞状の上部に大学名を飾り文字にした

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          人生は野菜スープ

          10ccの佳曲。原題は「ライフ・イズ・ア・ミネストローネ」。多分邦題付けた頃はミネストローネは日本であまり認知されてなかったんじゃないかと思う。しかし、キャンベルのスープ缶にはあったように思う。ガキの頃教会の施設で食った記憶がある。トマトスープに具は小さく切った野菜と豆とスピロヘータ菌みたいな螺旋状の小さいパスタが入ってたような。 歌詞はナンセンスなあまり意味のないものだが、サビで「人生は、パルメザンチーズのかかったミネストローネ、死は冷凍保存のラザニア」と歌われると、何か

          人生は野菜スープ

          Both Sides Now

          とあるきっかけで2003年に公開された素敵なクリスマス映画「ラブ・アクチュアリー」をおよそ十数年ぶりに見返して、気になるささやかなシーンがあったのでその話。 状況を少し説明する。 デザイン会社を経営するハリーは常日頃からグイグイ迫ってくる女従業員にねだられて、高価なネックレスをクリスマスプレゼントとして買う。それをうっかり見てしまった妻のカレンは、自分へのプレゼントと誤解して心の中は小躍りだ。なんせ結婚して以来、夫からのクリスマスプレゼントといえば、毎年毎年判で押したよう

          板場の浅太郎は赤城の子守唄を歌わない

          相当以前だが、浅草の名画座で東宝映画の「国定忠治」を観た。監督は谷口千吉、脚本は新藤兼人、となれば多少は期待出来るのだが、実にどうでもいい駄作だった。忠治役は三船敏郎、勘助は東野英治郎、勘太郎はなんと中村勘三郎である。浅太郎が誰だったか記憶にない。まず、苦しむ百姓のために悪代官を斬る、などといった時代劇の王道のような筋立てでは、面白くなりようがないのだが、谷口千吉の仕方なく撮ってる感が全編に漂ってるような映画だった。だがこの映画、アメリカでは「gambling Samurai

          板場の浅太郎は赤城の子守唄を歌わない

          板場の浅太郎sings赤城の子守唄

          1842年、数々の罪状でお尋ね者となっていた国定忠治は、半ばヤケクソ気味に大胆にも赤城山麓田部井村で大々的な賭場を開く。名目は賭場のアガリの一部を農地改革に充てるという、村おこしの一環で、実に国定忠治らしい偽善くさい侠気としか言いようがないが、これがアダとなる。 事前に嗅ぎ付けた関東取締出役、俗に関八州見廻りが威信をかけて総勢300人余りの捕方を集め賭場を急襲し、大捕物となった。多くの子分や手下が殺されあるいは捕縛されて、忠治一家は一気に弱体化する。このあと中地は残る子分と

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          あちらの皆さんにデザートを

          今は昔 どこぞで格闘技興行を観戦した帰り、地元まで真っ直ぐ戻ると、もう夜もいい時間であったが、まあちょいと一杯やっていこうということになって、半個室が設えてあるのが売りの居酒屋に入った。 通された席の隣から、凄まじいおばさん達の、いやご婦人達の嬌声が響いてくる。店員は実に申し訳なさそうに「うるさくてすみません。」と低頭しながら最初の生ビール一杯を店からのサービスと置いていった。 それを飲んだら文句も言えないのだが、昔のTV番組「ドリフの大爆笑」のSEみたいなゲラゲラ笑い

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          薩摩の黒田清隆伯爵と講談 2

          「正直車夫」 下谷御徒町2丁目19番地の裏長屋に、小林庄吉という人力車夫がいた。柏木という帳場に所属の車夫で、上野山下周辺を流していた。家には老いた両親と女房子供二人が口を開けて待っているが、たいした稼ぎもなく釜の蓋が開かないこともしばしばで、ろくに粥も啜れない中、それでも夫婦は両親に忠孝を尽くした。 ある晩寝酒にいっぱいやりたいと言う父親のために、商売道具の股引を質に入れ30銭こしらえて、それで酒を買って帰った。あくる日から股引なしで車を引かなきゃならないが、それは「空

          薩摩の黒田清隆伯爵と講談 2

          薩摩の俗悪芋野郎黒田清隆と講談 1

          立川談志と高田文夫の対談で江戸っ子の定義という話になり、高田が「やせがまん」と言ったのに対し談自論を披露した。 「俺はね、生まれはどこでもいいけど、ご維新のときにどっちに味方するかってこと。」 さすがは家元だ、スタイルではなく思想的に江戸落語を継承してると思う次第であるが、夏目漱石ならこう忠告したかもしれない。 「君も江戸っ子の端くれなら、ご維新じゃなく瓦解と云い給え」 年号が明治に改まったときに、高座で噺家がこんなことを言い、巷間で流行ったという。明治をひっくり返し

          薩摩の俗悪芋野郎黒田清隆と講談 1