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大正天皇崩御のクリスマス

西暦1926年12月25日、葉山御用邸にてご療養中の大正天皇が崩御された。享年、いやこの場合は宝算か47歳。死因は心臓発作と発表された。

陛下は生まれつき病弱で、若い頃から入退院を繰り返し、大正10年頃から病状深刻となって、政治能力の不安から皇太子裕仁親王が摂政となって政務を代行し、陛下は葉山御用邸にて御療養に専念するに至った。

大正15年10月末頃から病状さらに悪化し、11月19日から宮内省が数日おきに病状の詳細を発表するに至って、全国で平癒祈願が行われたのもむなしく、12月8日に呼吸困難に陥り、新聞号外が出され、世間は「いよいよか」という暗いムードに包まれる。そしてそれは、時すでにクリスマス商戦に浮かれてた世情に水を差し、自粛を余儀なくされていく。

連日ラジオからは、随時宮内省からの病状発表が報道され、12月16日以降は娯楽番組が一切なくなる。一年の稼ぎ時、歳末とクリスマスの売り出しと買い物のお楽しみを自粛という同調圧力で失い、街からは活気が失われていく。その代わり、連日の病状報道を聞くためにラジオの普及が飛躍的に伸びた。昭和の皇太子美智子妃殿下御成婚でTVの普及がやはり飛躍したように、我が国のメディア普及拡大には皇室の一大事が関与している。

クリスマスイブの午後7時危篤に陥り、翌クリスマスの午前1時25分崩御。発表は午前2時40分だった。

これは時期的には最悪な死に方だと思う。経済は打撃を被り市井は活気を失い暗く沈む。クリスマスと正月という国民の年中行事において最も華やかで晴れやかな愉しみを吹き飛ばすというのは、なかなか狙っても出来るもんじゃない。さすが現人神天皇陛下である。大正天皇の死は、振り返れば、暗い時代到来の予兆と捉えることができるかもしれない。

その点、昭和天皇の崩御なんて最高のタイミングだと思う。まあ年末から正月にかけての病状悪化は仕方ないにしても、正月が過ぎ松飾も取れた日という絶妙さ。前回の崩御を反省したとしか思えん(笑)。

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明治時代には富裕層のお楽しみだったクリスマスが、庶民に降ったのが大正時代だった。欧米に倣っての消費文化拡大の一環だったのかもしれん。商業施設や学校などの公共施設などでパーティが催され、果ては家庭でクリスマスを祝う習慣も大正初期から始まっている。

朝日新聞掲載のクリスマス普及プロパガンダ

三越呉服店(まだデパートという名称じゃなかった)のクリスマス広告


大正時代の子供雑誌掲載のクリスマスパーティのイラスト

明治屋の広告

The Bandのクリスマスソングで〆。ボーカルはリック・ダンコ。歌詞は宗教色強い。

メリークリスマス

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