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第15回 映画『SHE SAID その名を暴け』を語る!!〜あらゆる差別への怒りは、仲間と絆を作ることからはじまる。絶えず流れていく時間の中で、この広い世界のどれだけを”自分ごと”と思えるだろうか、考えてみよう!!

くに:始めてもうすぐ3ヶ月だけど、もうすぐview数が1000行きそうなのです!

たけ:コメントも入っていたね、嬉しいね〜。2人だけで喋ったものを文字に起こしてリリースしてるけど、コレを見てる向こう側の人とやりとりできるのが一番嬉しいね。

くに:偉そうに映画のウンチク並べるブログにはしたくないじゃん。どんな観方をしたって良いわけでさ、映画は。正解なんてないから。映画を観てそれが何か考えるきっかけになったり、今までなかった自分の視座が増えたり、時に救われたり、逆に価値観壊されたり傷ついたりする。どれも普段なかなかできない貴重で豊かな経験であって、それをするための一つのきっかけになってもらえればいいなという思いで、自分達が映画を観て考えたことや気づいた事、確信を得たことをのっけております!!それがどこか知らない誰かに届いてるのは嬉しいよね。引き続きやっていきましょう!!

たけ:はい!!というわけで、今回は『SHE SAID その名を暴け』です。公開終了して結構経っちゃったね(笑)まずは、あらすじ↓

「MeToo運動」が世界へ広がる大きなきっかけのひとつとなった、ニューヨーク・タイムズ紙による2017年の性暴力報道を描く。ハリウッドで大きな影響力を持っていた映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの何十年にもわたる性暴力事件を2人の女性記者が追いかけ、ワインスタイン側からの激しい攻撃をはねのけて記事の公開へ至る姿が描かれる

くに:2022年のアメリカ映画です。色んなところで言われていると思うけど、まずこんな映画ができてしまうことが日本とアメリカの違いを示しておりますね、、、。日本では絶対に作られない!

たけ:出てくる人全部実名だからね。さらには事件の当事者である本人も出演してるからね。

くに:たけの感想は??

たけ:役者さんの演技力で魅せる映画だった!!ほぼ会話劇だから演出の派手さはないじゃない?でも、観てて引き込まれるし、2時間あっという間だった。キャリーマリガンって色んな役やってきてるけど、この映画の役が一番好きだな〜。それまではニコラス・ウィンディング・レフン監督の「ドライブ」のヒロイン役だったんだけど(笑)

くに:でさ、観始める前にもう結末がわかっているじゃない。観終わって「悪党が捕まってよかった!」っていうカタルシスや「これは許されない事だ!けしからん!」っていう感情的なものだけ残ってしまうんじゃなくて、どういった視座や気づきを得られるかが大事だと思うんだけどさ、そこについての話をしたいわけです。その点どうだった??

たけ:損得を取るか、正しさを貫くかの葛藤だよね。性被害を受けた女性達は、自らの告発を最後までためらいます。それはなぜかというと言うまでもなく、告発することで失ってしまうかもしれないものがあまりにも大きいからだよね。相手が強大な権力を持っているがゆえ、逆に報復をされるかもしれない、それゆえ、正しさを貫くことができない。それをした瞬間、逆に自分の尊厳を失ってしまうことになるかもしれない。この葛藤が映画の一番最後まで引きずられます。結果は承知の通り、被害者の女性達は正しさを貫くことを選択し、実名で自ら受けた性被害を告発をするんだけど、考えるべきポイントはその決断を支えたものは何か?っていう点じゃないかな。これが俺たちにも学ぶべきことがあるんじゃないかと思う。正しさを貫くというか、貫くための勇気を振り絞るための支えとなるものは何か?ということかなと思います。

くに:そうだね。自分の保身、つまり損得で決断することって日常で全然あるもんね。また、多数意見に流されてしまって、それが間違っているとわかっていても反対意見を示せない、なんてこともよくある。そんな人達を単純に評価することなんてできない。

たけ:全くその通りだと思う。人間はそういう生き物として受け入れなきゃいけないと思う。ちょっと話変わるけど、非常に示唆に富んだ話があって、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロから3日後の2001年9月14日、同時多発テロに関係した「国家・組織・人物」に対して、アメリカ議会が大統領に武力行使権限を白紙委任する決議を採択したんだけど、このとき、508人いる連邦議員のうち下院のバーバラ・リーという女性議員がただ一人反対したんだよね。彼女のインタビューで、「あなた以外全員賛成だったのに、たった1人だけ反対をすることに意味があったと思いますか?」と聞かれた時に、「議会では無力だったかもしれないが、この私の姿を見たどこか遠くの誰かが、もし私と同じ考えを持っていたとしたら、その意見を堂々と示すための勇気になるかもしれない」と答えてたんだよね。つまり、自分1人だけ違った意見だとしても、それを示すことに意味はあるということを言っていて。どこか遠くにいる誰かにその姿が届くことで、仮にその人も同じ考えだった場合、その人自身がその考えを示せる勇気になる。だから、無意味なことじゃない。この事件でいうと、最初に告発をした女性に続いて、同じように性被害を受けた女性達が続々と告発をしたじゃない?このバーバラ・リーの持っている、なんというか時間と空間のパースペクティブの広さは、持っておかなければいけないな〜と考えさせられたね。そう考えながら話を戻すと、被害にあった女性達の決断を支えたものとして、このパースペクティブの広さがあったんじゃないかなと思った。映画で実際に出てきてたけど、自分の身の保身よりも、自分の子供達の将来に自分のした事の正しさを示したい、だったり、同じ被害を二度と起こさない、知らない誰かが同じ被害者にならないため、だったり。だから、いわば「見えない物、人、事に対しての約束」だよね。さらにいうと、この決断をしないと、自分自身がこの先地に足をつけて生きていけないという、自分の人生の時間軸を長ーく見た上での決断だとも思った。正しさを貫くためには、その場所からは見えない世界に想像力を広げて、自分のすることがいつかどこかで何か誰かのためになるということを考えられるという事が必要なんじゃないかな。

くに:それをできる人ってさ、多分なかなかいないだろうね。。。それをできる人はどんな事を経験してきた人何だろう?実際そういった立場になったことはないけれど、私にそれができるかといったら自信ないな。。

たけ:そうだね〜。個人的に思ったのは、「怒り」なんじゃないかな?「正しさを貫く」ということは、言い換えるなら「間違ったことをそのままにすることが許せない」ということじゃない?そこには、すごく強い怒りが存在していると思うんだよね。その怒りが正しさを貫く勇気をブーストしてると思う。例えば「犯罪や差別はいけないこと」だから「犯罪や差別をしない」というトートロジー的な構えは、一見なんも問題なさそうだけど、そこには「犯罪や差別に対する怒り」があるだろうか?と考えないければいけないと思う。なんの罪もない人が傷つけられた時、友人が、恋人が、両親が差別を受けた時、純粋な怒りが湧いてくるかどうか。その怒りが起こらないならば、正しさを貫くことは難しいんじゃないかな?

くに:その怒りを持てる人って、どんな資質がそれと深く関わっているんだろうか?

たけ:「仲間を作る力」なんじゃないかな?仲間を作れる、絆を深めることのできる人は、仲間を自分自身同様、あるいはそれ以上に大事にすると思う。仲間が傷つけられるということは、自分が傷つくのと一緒だから、それに対して当然助けようとしたり、傷つけた相手に対して怒りを持つようになるよね。怒りは勇気をブーストし思考を正しさへと導き、勇気は行動を生む。仲間のことも自分ごと、それが広がっていけばいくほど、怒りを持つ機会も増える。そうやって正しさを貫徹するマインドは養われていくんじゃないかな?映画で描かれるニューヨークタイムズの記者の人々見ていて、1人1人が仲間や家族を大切にする姿がすご印象的なんだよね。それで思ったのは、「仲間を作れる人たちだからこそ、正しさを貫こうとする意思が強いんだろうな〜」っていうこと。

くに:やっぱり、仲間を大事にすることに尽きるんだね。
今回もありがとう!!!

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