見出し画像

みんなのチカラ

 また月末に台風が日本に近づいてきますね。。。最近多いですよね・・・秋だから仕方ないですけど・・・🌀 被害がなければいいですけどね。。。

バリュー・リノベーションズ・さの(VRS)が活動する大阪府泉佐野市でも、3年前に強烈な台風が約60年ぶりに、このエリアを襲い、今もなおその被害が目の当たりに見えますが、この映像もみなさん、記憶に残っているのではないでしょうか?

 これだけの大きなタンカーが流されるのだから、自然の力って、本当にすごいですよね💦 万が一の災害に備えて防災グッズとか揃えとかないといけませんね・・・ 昭和の時代であれば、周り近所の人たちが協力し合って、災害や日常の助け合うことが当たり前だったのが、昭和の後半から平成になり、隣に住む人の顔すら知らないって話、よく聞きますよね。平成の早い段階から「コミュニティ崩壊」と言われるほど、地域のコミュニティは希薄になっているにも関わらず、いまだによく聞く「みんな」。かなり違和感を感じます。タイトルから、「みんな」で力を合わせようとか、「みんな」の力の結集の効果について書くのかなと思われた方

残念です。

今回のテーマは、「みんな」の弊害について書かせていただきます。

◆「みんなが言ってる」「周りがそう言ってる」は本当か?

 このタイトルを見て、よく耳にしませんか?

そうです

小学生が、親に何か買ってもらいたいときによく耳にする言葉ですよね。

でも

その親もよく口にする言葉でもあるんですね💦

 以前、窓口対応がある仕事をしていた時に、クレームを言いに来た人のほぼ全員が、

「あんたところのサービスはなってないって、みんな言ってるよ!」

というんですよね~

 慣れていない最初のころは、「申し訳ございません。そーなんですね、これから気を付けますので、ご理解の程、よろしくお願いします。」とか答えていましたが、あまりにも「みんな」「みんな」というので、

「すみませんが、みんなって、どなたのことでしょうか?」

と尋ねてみると、

「そんなの決まってるやないか!!みんなって言えばみんなやねん」

❓❓❓

そうです

一見存在するかと思うのですが、実は存在しない「みんな」なんです。

 これは、極端な例ですが、たいていの人が使う「みんな」は、自分の周りの2,3人、しかも安易に相槌を打った人も含めての「みんな」です。

 これは脳科学的にも証明されているように、特に女性の場合、ガールズトークとかいう言葉があるように、何時間も会話ができるみたいですが、その人が話している言葉は頭に入っていないことも多いにも関わらず、共感する言葉を発しているそうです。

 男女問わず、会話でよく打つ相槌は、聞く側によっては「会話の潤滑油」ですが、話している方にすると、「うんうん」「そうだよね~」と相槌を打ってもらい、そのことで「共感してもらえた」と思い、気をよくするみたいです。

しかし

見てわかるように、「共感」しているのではなく、単に「会話の潤滑油としての相槌」なんです! どうもその辺をわかっていない方が多いですね・・・

◆みんなが言っているから私が言う

 「みんなが言ってるから私が言ってるんです」という人もいています。先ほどの項でもお話しましたが、言っている本人は「共感された」と思っていても、聞いている人は「会話の潤滑油としての相槌」をわかっていないみたいで、エスカレートすると、その人のためと言わんばかりクレームをつけてきたりします。

よくよく考えると

それって自分が言いたいことを、他の人の責任に押し付けて自分はその人の代弁をしているという、ある種のヒーロー・ヒロイン気分なんでしょうが、そんなにヒーロー・ヒロインを気取りたいのでしょうか?

画像1

それはヒーローでもヒロインでも全然なく、単なるクレーマーですよね。

 ただ、この「みんな」効果は、心理学的にも「バンドワゴン効果」として証明されています。まず「バンドワゴン効果」とは、

多数の人が支持している物事に対して、よりいっそう支持が高くなる現象

だそうです。以下にその効果についてのニュースがありましたので、紹介さいますね。

 話を戻しますが、自分がそう思うなら、「自分がそう思う」という言葉で話すれば、周りも巻き込まずに済むのに、自分だけでは説得力がないと思うのか、すぐに「みんなが」とか「周りの人が」とか言いますが、言っている本人がそう思っていなかったら、対人トラブルになるようなことは他の人に言わないでしょう!

 特に言い返せないと立場の人や、自分より弱い立場の人だと思っている場合には、よりきつく言う傾向にありますね!

でも、それって、パワハラですよね

 心当たりのある方はご注意ください。あまり度が過ぎると、警察沙汰になりますので・・・

ご注意ください

 「みんな」という言葉は一見便利なように思える言葉ですが、自分が言いたいことを自己責任の負える範疇で、「自分が」と言えばいいだけなんです。この「みんな」について心理学的に分析したサイトを見つけましたので、お時間があればご覧ください。

◆「みんな病」から脱出しよう

 「みんな」という言葉を使えば、何をしても許されると勝手に思う人がいてます。

例えば

「この計画はみんなで決めました」

とか

「参加した人全員に聞いたところ、それほどまで〇〇でしたね」

など、行政の会議とかでよく聞くフレーズですが、そもそも参加している人の大半は行政が選出した当り障りのない人で、その会議の重要性を、どの程度理解しているかも疑問ですし、その会議の重要性をどの程度伝えているのかも甚だ疑問です。

 そういう中で、「合意形成」により計画されたものですとか、胸を張って言うわけですが、

合意形成ってなんですか?

 単に玉虫色の決着をつけただけではないでしょうか?

 そんなものを後世に伝えていくほうが問題ではないでしょうか? みんなのいいところ(と思っているところ)を選りすぐって盛り込むよりは、議論が出尽くした先に出たものの方が大切だと思いますが、みなさんいかがでしょうか❓ とは言っても、議論が出尽くすというのは、今の世の中では、ほぼあり得ない状況ですが・・・

「みんな」というのは、あるようでない物体です。。。

画像2

 まぁ、まちづくりの一人者の方も「みんな」について語っているので、そちらも見ていただければと思います。

◆いいことを言っても人は動かない

 よくある間違いとして、「いいことを言ったから人は動く」という勘違いです。たとえいいことを言ったとしても、必ずしも人が動くとは限らないのです。

それは

相手を動かすための伝える能力が劣っている、または伝え方が間違っているからです。

 人には自己奉仕バイアスがかかり、自分はよくやっているのに、周りの人が動かないや、周りの人の責任で失敗したと思ってしまいがちです。自己奉仕バイアスとは、次のとおりです。

 成功を当人の内面的または個人的要因に帰属させ、失敗を制御不能な状況的要因に帰属させること(Wikipediaより)

 まちづくりでもそうですが、いいことをしたからと言って、人が動くとは限らないのです。行政でもよくありがちなミステイクですが、行政はお金儲けをしない公共団体だから、民間の事業者も利益を取らなくていいと思われがちですが、慈善事業だけでは民間事業者は動くにも制約があり、あくまでも生活や事業活動ができる以上の稼ぎがあるからこそ、余力を慈善的な事業に資金や労力を回せるのであり、それがなければ、自分の生活や本来の事業活動を維持することが優先されるわけです。

画像3

◆稼ぐことの是非について

 公的な取り組みで稼ぐことが悪いという、日本人ならではの特殊な感覚で「まちづくり=稼げない」という構図が成り立っていますが、果たしてそうでしょうか?

 まちづくりにはお金が大なり小なり必要となります。活動、特に人が動くとなると費用が掛かるものです。それをボランティアで、しかも自分たちだけでお金を捻出しろというのは無理がありますし、その費用を行政に負担しろというのはもっと無理があります。行政と民間とは活動の考え方が根本的に異なるため、相反することも多いのです。行政はあくまでも稼がなくても事業成果や大義名分を問われます。民間は収益をどれだけ上げたかが問われます。

 民間が地域をよくしようとすると、その活動には資金は必要となります。その活動資金を稼ぐということは、ジブンゴトとして地域に関わっていくことにもつながり、そのことで成果につなげていこうと必死になったりもします。また、資金を稼ぐためには、ビジネスの才覚も必要となります。補助金や人のお金をアテにする人にはわからないかもしれませんが、継続してまちづくり事業で成果を上げ続けることが必要なわけです。

画像5

 その辺に関しては、また別アカウントでも紹介させていただきます。

◆自分あっての「みんな」

 日本人は江戸時代、もしくはそれ以前から構築されたシステムにより、全員主義が根付いています。しかもそれが美徳にとらわれています。

 令和の時代になっても、旧態依然の考えがはびこり、それを他の人に強いろうとする空気感が半端ないですね・・・

 以前noteで紹介させていただきました、愛知県岡崎市で活躍されておられます、wagamama代表の中根利枝さんのお言葉を覚えていますでしょうか?

画像4

そうです

 自分があって、みんながあり、そして地域(社会)があるのです。「みんな」という言葉で自分を隠れ蓑にするために、人には伝わらないのです。自分がそう思うのであれば、「自分」を前面に出した行動をし、態度で示さなければ、誰にも伝わらないし、わかってもくれません。

◆虎の威を借りる狐

 「虎の威を借りる狐」という故事成語をご存知でしょうか?故事成語辞典によりますと、

虎の威を借る狐とは、権勢を持つ者に頼って、威張る小者のこと。

と書かれています。

画像6

みんな」という権力を使って、相手に反論できなくするのは間違っています。議論を尽くせばいいだけです。

ただし

論破しようと思わないようにしてください。議論は勝ち負けの勝負ではなく、あくまでもお互いの認識を共有化させるということに意義があるのですから。

 競争から何も生まれない、それは以前のnoteと、その続編である別アカウントでも書かせていただいています。

 戦略も実社会も競争することを選択すればレッドオーシャンになり、身も心もズタズタになるだけです。自分一人で頑張るよりは、仲間と一緒に頑張りたいという方は、チームの作り方について別アカウントでも書かせていただいていますので、そちらをご覧ください。

◆自分だけがよければいいのではない

 前回のnoteで書こうと思って、書き忘れていたことがあり、今回このテーマにさせていただいたこともあるので、最後にこちらで書かせていただきます。まず前回のnoteはこちら👇からご覧ください。

 ここで言いたかったのは、「LOCAL」という場を維持するには、「自分」だけがよいのではなく、「地域」にも波及するいい意味での影響を与えることが必要なんです。そういう意味での「制約」なのです。

 ジブンゴトとして地域に関わっていくことが、これからの人口減少化社会に立ち向かえることにつながるのです。ただし、ジブンゴトを「みんな」という言葉に置き換えないようにしてくださいねw

 いま、地方都市では人口減少化により、空き家問題が大きな課題となっていますが、お金に困っていない遊休不動産オーナーが、何年も使われていない物件を、自分が思っている金額より少々安いからという理由で、人に貸さない不動産オーナーが多いわけですが、そのことが地域にどういう影響を及ぼしているか振り返って考えたりはしないものです。

 地域のことを考えず、自分の利益のためだけしか考えていないのであれば、その地域は空き家が増え続け、衰退し、景観も治安も悪くなるだけしょうね、きっと。。。

画像7


この記事が参加している募集

推薦図書

サポートしていただけると、モチベーションをもってnoteに取り組めます!(笑)