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1945年8月9日 オハナシその4

貧しくとも、家族で仲良く暮らしていた第二の故郷を追われたこのお母さんは、ほんの数か月でたった一人ぽっちになってしまいました。

大陸の花嫁というロマンチックな言葉と、国をあげて推奨し映画まで作って扇動し、花嫁塾まで開催されていましたが、決して良いことばかりじゃなく}苦労した人もたくさんいました。

でも、このお母さんはとてもやさしい夫に出会え本当に幸せだったのです。
この1945年8月9日までは。

そのあと、このお母さんの身にはもっと恐ろしい哀しいことが降りかかりました。到底ここには書けません。女であることが恨めしかった。が、じっと耐えて堪えて・・・・
逃避行のなかで孤児になった子供たちの世話をしながら引揚の日を待っていました。そしてようやくその日がきて葫蘆島から引揚船に乗ったのです

懐かしい日本の地が見えてきました。美しい緑が目に染みる日本。
上陸までの数日は沖に停泊して検疫などがあります。いよいよ明日は上陸というその深夜、お母さんは日本海に身を投げて自殺しました。船に乗るときから覚悟していたことです。一目日本を見たいと。

お母さんのおなかの中にいた「ちいさな命」も一緒に消えました。
いまのようにハーフといわれて可愛いねと思ってもらえない、その命と共に生きることなど日本でできるはずもない時代でした。

憎い!死ぬほど悔しい!殺してやりたい!そんな鬼の子でも
半分は自分の子である
・・・辛いお母さんの選択は一緒にこの世から去るしかなかったのです                      合掌



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