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カントをめぐる対談:カント政治哲学と国際秩序の〈未来〉(第2回)

上野大樹さんが講師を担う市民講座「みんなで読む哲学入門」で行われた、金 慧さん(千葉大学)と網谷壮介さん(獨協大学)をゲストに招いたオンライン対談の模様をお送りする「カントをめぐる対談」。
前回は上野大樹さんによるイントロダクションと、カントの「政治哲学」の意義についてのお話でした(前回の記事はこちら)。
今回は『永遠平和』を読む上での史的・同時代的な文脈についてのお話です。どうぞお楽しみください。

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(2)『永遠平和』を読む上での史的・同時代的な文脈

上野: テクストが書かれた周辺状況や、歴史上のコンテクストの話に入りましょうか。

網谷: はい。私の興味に惹き付ける形になりますが、『永遠平和のために』の文脈について補足しておこうと思います。上野さんのレクチャーとも重なるところはあると思いますが。
 『永遠平和のために』は、カントの晩年の時期の作品です(カントは1804年に亡くなっています)。ちなみに1724年生まれなので、あともう少しでカント生誕300年です。2024年には生まれ故郷のケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)で、世界中のカンティアン(カント研究者)が集まって国際カント会議が開催されるようです。私は行くかどうかわかりませんが。
 カントは『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』のいわゆる三批判書を書いたあと、政治と法の問題に集中的に取り組みました。『永遠平和のために』周辺の関連テクストとしては、図のようなものがあります。

カントをめぐる対談(2)

 どうしてカントは1790年代にいきなり政治の話をするようになったのかという点ですが、一つには(これが全てだとは思いませんけども)同時代のヨーロッパの政治状況に大変化が生じつつあったということがあったと思います。端的に言えば、フランス革命です。もちろん『永遠平和のために』に限れば、やはり17、18世紀はヨーロッパ中で戦争が行われていたという問題意識が明らかです。「戦争が争いの解決の手段であってはいけない、戦争をどのようにして廃絶するのか」というのが、カントの関心にあります。
 当時は様々なパターンの戦争がありました。それまでよく見られたのは、継承戦争ですよね。オーストリア継承戦争であったり、何々継承戦争。ヨーロッパ各国の王侯はほぼ親戚みたいなものなので、どこかの王が亡くなったら「そこの次の王様になるの俺だ!」と勝手に他の国王が言い出すわけです。そして継承権をめぐる争いが起きました。

上野: 前回のゼミでは、オーストリア継承戦争とその後の七年戦争が、18世紀ヨーロッパの国際関係の一大転換点だったという話にも触れました。いわゆる外交革命で、フランスのブルボン家と神聖ローマ帝国のハプスブルク家が新興大国の台頭をまえにして手を打ち、その結果として、やがて革命で処刑されてしまうマリー・アントワネットがヴェルサイユに嫁ぐことにもなるわけですね。

網谷: 継承戦争に関しては『永遠平和のために』の「予備条項」で触れられていますね。あるいは、ヨーロッパ各国が植民地獲得のために新大陸に乗り出していくというような状況で、ヨーロッパの戦争が植民地でも同じように行われるということもありました。北米植民地で英仏が争うなどです。さらに、ものすごく新しい現象として、革命戦争があります。革命戦争は、フランスの革命に干渉する戦争を指すと同時に、フランスが革命を輸出するための戦争も指します。とにかく色んな戦争がたくさん起きています。ウィキペディアには17、18世紀の戦争を一覧化したページがありますが、本当に毎年どこかで戦争しているというような状況です。
 もうひとつ対外的な状況としておさえておきたいのはポーランド分割という問題です。ポーランドという国は1795年に一時期世界地図から消えてしまいました。どうして消えてしまったかというと、非常に勝手な話で、ロシアとプロイセンとオーストリアが勝手にポーランドを分割してしまったわけです。
 ケーニヒスベルクはカントが生涯を暮らした場所ですが、すぐお隣はポーランドです。カントの目の前でポーランドという国が消えていくということが起きたわけです。ポーランドは3回も分割されてるのですが、2回目と3回目のインパクトは大きいです。きっかけになったのは、1791年にポーランドで非常に新たしい憲法が作られたことでした。それまでは国王と貴族による支配体制だったのが、人民主権をある程度認めて、貴族の特権をかなり減らすという憲法を作ったわけです。五月三日憲法と呼ばれます。それに抵抗しようとしたポーランドの貴族連中が、ロシアのエカチェリーナに介入を求めて、ポーランドがロシアによって分割されてしまう。国内の体制変革が他国の介入を招くきっかけになったわけです。
 もちろんプロイセンの状況もフランス革命をきっかけに色々と動揺が走ります。18世紀末のプロイセンは王国です。絶対主義的な君主制を志向しました。身分制ももちろん残っていましたが、君主と官僚が統治する中央集権化が図られました。フランス革命が起きた当初はプロイセンの知識人は、ルイ16世という専制君主が打倒された、また新しい良い君主が出てくるだろうと応援していたのですね。ところが、革命がどんどん進むにつれて、プロイセン知識人の評価も変わっていきます。まず人権宣言というものが憲法の最初にくっついていて、「人間は皆平等だ」と宣言している。貴族の特権は廃絶される。さらには1793年の初頭に国王が処刑される。どんどんエスカレートしていく事態を目の当たりにしたプロイセンの知識人たちは、「そんなに過激化するなんて危険だ」という批判的な態度に舵を切っていくわけです。プロイセン当局も「フランス革命が隣で起こっている。プロイセンの貧農にも影響を与えて暴動が起きるんじゃないか」と非常に危惧したのです。そこで、プロイセンで進んでいた新しい法典編纂を一回停止させ、貴族の特権、国王の大権を守るような法典に改めました。守旧的な法典を出して、革命が起きないようにする。さらには検閲を強化し、言論の自由を抑圧するということも行われました。1790年代はこういう状況です。そんななかでカントは色々と政治的な発言をしていたわけです。

上野: そういう意味では、あまりあからさまに革命を擁護したり体制批判したりはできない状況で、言外に政治的ニュアンスを含意させたり、といったこともあったかもしれませんよね。非常に理論的なカントのテクストも、コンテクスチュアリズム(文脈主義)によって見え方が変わってくるといういい例ですね。

網谷: そうですね。カントのテクストを読んでいたら、たしかに何か雲の上のような、宙に浮いたようなふわふわした抽象的な話をしているように見えるのですが、実は同時代の人たちの議論にきっちり応答しているわけです。同時代の、今ではもう完全に忘れ去られているような人たちの本を読んでいると、やっぱりフランス革命に対する批判が出てきます。そのひとつのテーマが、哲学がフランス革命を引き起こしたというものです。「哲学者が頭のなかで自然権やら人権を考えていたのを馬鹿者が信じて、それがきっかけになってフランス革命が起き、挙句の果てには国王の首もぶった切ってしまった」と。これに対してカントは応答し、1793年には「理論では正しいが実践の役には立たないという俗説について」という論文を書いています。「哲学者の言うことは理論としては正しいけれど、実践の役には立たないよね、それどころかそんなの実践しちゃったらフランス革命みたいになるよね」という言説に対してカントは批判しているのです。
 『永遠平和のために』を読まれた方だと、最後の「付録」のなかに「永遠平和に関する道徳と政治の不一致」という話が出てくると思います。先程言っていたような「理論では正しいけど、実践上は間違ってる」という議論に対して、カントはそこでも反論しているわけです。上野さんが先程おっしゃっていたように、カントはそれほど非政治的ではありません。その意味は、一つには同時代の政治的な論争にもコミットしていたということです。
 私からは歴史的な文脈の方面でお話しました。金さんから、思想史、哲学史、理論史とか、何か付け加えていただけるのでは。

金: 一点だけ。カントが抵抗権あるいは革命権を否定しているという理由から、革命に否定的で現状維持を志向した保守的な哲学者というイメージは根強くありますが、他方で『諸学部の争い』という著作のなかでは、革命を観察する人びとが示す共感は進歩の兆候であると述べていたりして、そのあたりも単純ではないですよね。カントが抵抗権を否定したという事実も、彼の政治的立場から説明するのではなく、抵抗権の法哲学的性格に遡って説明する必要があります。


金 慧(きむ・へい)
千葉大学教育学部准教授。 早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程単位取得退学。博士( 政治学)。早稲田大学政治経済学術院助手、 日本学術振興会特別研究員を経て現職。著書に『カントの政治哲学:自律・言論・移行』(勁草書房、2017年)。
網谷壮介(あみたに・そうすけ)
獨協大学法学部専任講師。京都大学経済学部卒、 東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。 立教大学法学部助教を経て現職。著書に『共和制の理念: イマヌエル・カントと一八世紀末プロイセンの「理論と実践」 論争』(法政大学出版局、2018年)、『 カントの政治哲学入門:政治における理念とは何か』(白澤社、 2018年)。
上野大樹(うえの・ひろき)
一橋大学社会学研究科研究員。思想史家。京都大学大学院人間・ 環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士。 日本学術振興会特別研究員DC、同特別研究員PD等を経て現職。 一橋大学、立正大学、慶應義塾大学にて非常勤講師。 最近の論文に、"Does Adam Smith's moral theory truly stand against Humean utilitarianism?" (KIT Scientific Publishing, 2020), "The French and English models of sociability in the Scottish Enlightenment" (Editions Le Manuscrit, 2020).
【市民講座「みんなで読む哲学入門」次回イベントのお知らせ】
市民講座「みんなで読む哲学入門」では、西洋近代哲学の古典をとりあげ、上野大樹先生(政治思想史専門)と一緒に入手しやすい文庫を中心に読み進めています。
・著者と語る 哲学オンライン対談(2): 井奥陽子『バウムガルテンの美学』をめぐって【みんなで読む哲学入門・特別編】
◎日時:2020年11月16日(月) 19時〜21時
こちらは上野大樹先生がオンラインで対談する一回完結のイベントになります。井奥陽子著『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版会)を題材にとりあげますが、未読の方も奮ってご参加ください。

・みんなで読む哲学入門:アダム・スミス『道徳感情論』#3
◎日時:2020年11月30日(月) 19時〜21時
こちらはアダム・スミスの『道徳感情論』を上野大樹先生と一緒に読む講座です。

※これまでの授業の様子はブログの授業ノートなどをご参照下さい。どのような話題が登場したのか雰囲気がお伝えできれば。
ブログ「みんなで読む哲学入門


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