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啓蒙時代における美学の誕生(1) ――井奥陽子『バウムガルテンの美学』をめぐって

2021年4月期に人文学講座「近代美学入門」を担当される井奥陽子さんは、昨年『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版、2020年)を上梓されました。本書の出版を記念して、昨年11月、市民講座「みんなで読む哲学入門」にて上野大樹さん( KUNILABO講師 )とのオンライン対談が行われました。本稿では、その中からヨーロッパ啓蒙と美学の誕生にかんするお話の一部を抜粋し、二回に分けてお届けいたします。

経験的心理学と美学の関係

上野: 人間の様々な能力については経験的心理学で扱われ、美学は〈感性的認識と感性的叙述の学〉だということでした。この点、一般的に考えると、何かを感覚・判断することと、その知見に基づいて何かを制作する、ということは非常に連関しているようにも思えます。バウムガルテン自身は経験的心理学の能力論にどの程度依拠して美学を論じているのでしょうか。両者を出来るだけ切り離そうとしているのでしょうか。たとえば経験的心理学の議論抜きでも美学が成立するように書いているのか、それともある種の順序関係があるかたちで書いているのか。

井奥: いくつかの面からお答えできます。まずバウムガルテンは、経験的心理学が美学の基礎・原理になっていると述べています。バウムガルテンに限らずヴォルフ学派においては、経験的心理学が基礎になって論理学が成立します。知性や理性がどのような能力なのか、ということを経験的心理学が論じ、そのうえで、論理的な思考がどのように陶冶されるべきなのか、どのようにアウトプット(叙述)するべきなのか、ということを論理学が教えます。バウムガルテンは美学について、この経験的心理学と論理学の関係と類比的に考えています。つまり、経験的心理学の能力論が土台になって、美学という学が可能になる、という基礎付け関係です。そもそも美学という学問をバウムガルテンが提唱することが出来たのは、すでに経験的心理学とそれに基礎付けられた論理学というものがあったから、と言うことができます。

上野: なるほど。その点では、両者のあいだに順序関係があるということですね。

井奥: はい、そうなりますね。
 では、実際に理論を構築する面で、美学と経験的心理学がどのくらい関連があったかと言うと、少し複雑なところがあります。
 主著として有名な『美学』(1750/58年、未完)を読むと、能力については最初の方で少し触れられます。優れた詩人や音楽家など――バウムガルテンは「恵まれた〈美的な人〉」と言うのですが――になるためには、たとえば記憶力が良くなければいけない、想像力が豊かでなければならない、といった通り一遍のことは述べられます。しかしその後の議論では、能力論は基本的に出てきません。よって、『美学』と能力論はおよそ切り離して読むことは出来ます。
 しかしながら、『美学』という本は、バウムガルテンの美学についてのアイデアのなかでもほんの一部が出てきたものだと思います。『美学』という著作を離れるならば、バウムガルテンはどうやら、認識能力に則して美学を整理しようとしていたようです。拙著の第2章で、『美学』の10年ほど前に書かれた遺稿を整理しました。60~61頁の表(下図)を見ていただければ分かりやすいと思いますが、たとえば「感覚する技術」、「想像する技術」、「記憶術」、物語を作る「創作する技術」、判断力を用いて批評する「判定する技術」といったように、若い頃のバウムガルテンは、能力論に応じて美学の部門を作ろうと考えていたようです。もしもこの若い頃の構想が実現されていたなら、経験的心理学との関連がより厳密な美学理論が登場していたのかもしれません。

60-61頁の表7

上野: いま記憶術への言及がありました。記憶術が美学へ入るなら、記憶力という能力は経験的心理学で扱われる、という構成になっているのでしょうか。

井奥: はい、そのようになっています。

上野: 我々普通の感覚からすると、記憶術と美学にどのような関係があるのだろうかとも思いますが、バウムガルテンの美学はそういったものまで包摂するような構想だ、という点が興味深いですね。しかし同時に、そうなると全体として美学とはいったい何なのか、という疑問が出てくるでしょう。何でもかんでも含められると、かえってイメージがぼやけてしまうということもあると思いますが、その点はいかがですか。

井奥: バウムガルテンにとって、記憶術が美学に含められうるのは、記憶力が下位認識能力のひとつであることが根拠となっています。どういうことかと言うと、バウムガルテンは理性を含めた知性を上位認識能力と呼び、他方で下位認識能力として、感覚能力や想像力、記憶力、物語を創作する能力、予見能力、記号を操作する能力などを挙げます。これらの認識能力の作用については、経験的心理学で論じられます。美学はまず、そういった下位認識能力を伸ばすための学として構想されたのです。つまり、知性・理性を伸ばす学として論理学があるなら、同じように大学に入ってきた若者が学ぶ学科として、下位認識能力を訓練する技術があってもいいのではないか、と。ロマン主義的な天才美学の発想とはかなり異なりますね。

バウムガルテンと啓蒙のエピステーメー

上野: ロマン主義など後世の視点から見ると、バウムガルテンの全体像が細断されて分かりにくくなってしまいますが、むしろ18世紀の啓蒙のコンテクストから見ると非常によく分かる話だと思います。たとえば、ロック以降の知性論ですよね。上位認識能力と下位認識能力という区別はロックにも見られ、ヒュームもそれを受け継いでいます。ヒュームの場合は、論理学がベースにあって、論理学から批評や道徳といった分野が枝分かれして出てきます。その論理学のなかに実は人間の知性的認識だけでなく、ヒュームの場合とくに重要な情念論、さらには美醜の判断も含められます。人間の認識能力全般を、つまりここでいう上位認識能力だけではなく下位認識能力もすべて論理学で扱うという枠組みが出来るわけです。これがロック以降の経験論で継承されます。フランスだと、感覚論哲学へ行って唯物論的な傾向が出て、知性論や合理論はやや後景化しますが。いずれにしても、この枠組みと非常に共鳴しているという感じがします。18世紀の啓蒙の文脈で言うと、汎ヨーロッパ的にそういう枠組みが出てきて、そのひとつの体系化の仕方としてバウムガルテンを位置付ければ、決して素っ頓狂なことをやっているわけではない、むしろ王道の枠組みのなかで美学を体系化しようとした、非常に真っ当なことをやっている、という印象を受けました。

井奥: まさにその通りですね。バウムガルテン自身、美学を「下位認識能力の論理学」と表現することもあります。そのときの「論理学」という言葉は、ヒュームやロックのように広い意味で使われています。つまり狭い意味での論理学は上位認識能力を扱うものですが、下位認識能力を扱う美学も含めて論理学と呼ぶこともあります。この時代の思想状況に鑑みれば、バウムガルテンが美学を論理学との類比関係から、あるいは広い意味での論理学の一部として、様々な下位認識能力を伸ばす技術として構想したことは、決しておかしなことではないと言えます。そして、こうしたところから出てきた美学というものが、バウムガルテンにとってはまずもって修辞学だった、つまり美しい言葉を書く技術だったということも、18世紀の文脈に照らし合わせたら不可解なことではないと思います。

上野: そこで言う修辞学は「アルス」ということですか。

井奥: はい、アルスです。「アルス」と「スキエンティア」、つまり技術と学の関係というのも、ひとつの論点としてあると思います。ヴォルフ学派の特徴として、グラデーションで物事を捉える点があります。下位認識能力と上位認識能力の間も――感性と悟性を強固に分けたカントとは違って――境界ははっきり分断できないものとして、グラデーションと捉えられています。下位認識能力のなかに言語・記号を操る能力が含められるのも、そのためです。

上野: なるほど。先ほどの表に「物語を創作する能力」や技法も「下位認識能力」に関わる側に分類されていて、一見するとこれはプロットを筋道立てて考えるとか、知的能力なんじゃないかと感じるわけですが、考えてみれば想像力・妄想力のような力も創作には本質的ですし、グラデーションで見たほうがよく説明できそうですよね。

井奥: そうなんです。同様に、技術と学の関係もグラデーションで考えられています。技術がより洗練されて――バウムガルテンの言い方をすれば、規則の根拠が判明に捉えられて、理論がより精緻にされ体系化されたならば、その技術が学になる、という考えです。バウムガルテン自身はもちろん美学を「スキエンティア=学」として提唱しているわけですが、講義録にはこのような記述があります。美学も論理学も、学であるが、技術でもあり続ける、と。
 「うまく語る技術」と伝統的に呼ばれてきた修辞学や、記憶術など、アルスとして実践がなされてきたものを美学に取り込もうとする、という姿勢がバウムガルテンには見受けられますが、それはアルスとスキエンティアの境界をグラデーションで捉えるという前提によって可能となっています。

上野: 「アルス」は英語の「アート」ですよね。日本語で言うと「技術」でよろしいでしょうか。

井奥: 英語で言う「アート」ですが、バウムガルテンの時代はまだ「芸術」という概念は確立されていないので、「アルス」は「技術」と訳すのが適切です。

井奥先生対談004

修辞学としての美学、百科全書的学、職人技芸と美学構想

上野: バウムガルテンは修辞学的伝統のなかに美学を位置付けて刷新した、というのが『バウムガルテンの美学』のストーリーの根幹部分を成しているところだと思います。この辺りについて、もう少し伺えたらと思います。修辞学は、たとえば政治哲学でも今非常に注目されています。修辞学に注目して啓蒙思想を見直すというのは非常に面白いと思います。
 また先ほど触れた第2章で、英語で言う「エンサイクロペディア」の話が出てきました。これは普通なら事典、百科事典を指します。しかし書物の、物質としての百科事典だけでなく、もう少し広い意味があります。これだけ色々な諸学が生まれてきて、色々な領域がある種乱立していくというのが、ドイツに限らず啓蒙期のひとつの特徴です。それをまずは収集して、色々な新しく発展してきたアルス=技術について知見を共有し、それを大学で教えるような学として――アートとサイエンスの区別はもっとグラデュアルなわけですが――広く制度化する、という志向性が出てきます。これは第2章で「哲学的百科事典」という言葉で言われている議論だと思います。バウムガルテンは「哲学的百科事典」なかに、伝統的な、12世紀ルネサンス以降のリベラル・アーツ=自由学芸だけではなく、とくにルネサンス以前は伝統的には低く見積もられてきたメカニカル・アーツ(機械的技術)=職人技も取り込んで、それを学的に位置づけようとしているのが非常に面白いところです。そのなかで美学というものが誕生してきたというのが、18世紀的なコンテクストに位置付けて、我々の現代的なバイアスをいったん括弧に入れたときに見えてくる像だと思います。
 そうなると、ヒュームやアダム・スミスの試みとも連動します。さらにフランスでは、まさに百科全書というものが書物としてディドロとダランベールを中心に編まれるようになります。これは啓蒙思想の最大の成果のひとつでもあるわけです。ダランベールが書いている序論を見ると――ダランベールは非常にある種、理知的な人で、体系の人というところがあると思いますが――そういったかたちで学問を制度化して、分類し、構造化しようとするわけです。しかし同時にディドロという人物がいます。ディドロ周辺の人たちは新しいものに好奇心を持って、実地に行ってそれらを収集して図版化し、内容がどんどん膨れ上がるわけです。収集すればするほど収拾がつかなくなってきて、なかなか制度化できないし、構造化して分類することも難しくなってくる。そこのせめぎ合いのなかで百科全書という知的な実践が出てくるというのが、百科全書のフランス的な文脈での面白いところです。そういうなかで百科全書を読んだアダム・スミスは、大学の講座という制度のなかでもう一度これらを体系化しようという、ある意味ダランベール的なことをやろうとします。
 こういうランドスケープで見ていくと、バウムガルテンの美学は、当時のエピステーメー=知的な枠組みに非常に共鳴している感じがします。美学はそういう風に見たら非常に面白いものだと思った次第です。
 そこで、修辞学と哲学的百科事典について、『バウムガルテンの美学』でなさったことをもう少しパラフレーズして説明いただけますか。

井奥: はい。修辞学とは、言葉を操るテクニックのことです。「上手く語る・書く技術」と言われます。英語では「レトリック」です。レトリックと言うと、悪い意味合いが強いと思います。「政治家のレトリック」といった風に、都合の悪いことを誤魔化す、わざとミスリーディングなことを言ったりするといった、悪い意味で使われることが多いと思います。なので、バウムガルテンの美学は中身が修辞学だったと言うと、修辞学に対するネガティブなイメージのせいもあって、バウムガルテンは長らく評価されなかった、という面があります。
 他方でヨーロッパの学問の伝統をみると、大学制度が誕生し、自由学芸という教養科目が整理されたときに、そのなかに修辞学は入っていたわけです。大学で学ぶ者は、まず言語について文法・論理学・修辞学の3科目を学び、正しい言葉遣い、正しい推論、そして人に感動を与えたり人を説得したりする巧みな言葉遣いを習得するものでした。修辞学の理論は、古代のアリストテレスやクインティリアヌスやキケロといった人々が整備しましたが、それがヨーロッパでは大学の教養科目のひとつとして受け継がれていきました。
 では、なぜバウムガルテンは修辞学という古典的・伝統的な分野を美学に用いたのか、それをどう評価するか、ということが問題になります。
 ドイツの状況を念頭に置いてお話しすると、18世紀後半から、ロマン主義の時代になります。芸術というのは規則で捉えられない、天才的な人の内面から湧き上がってくるものだ、という価値観が出てきます。そういったロマン主義的な価値観に修辞学は合いません。修辞学は、誰でもこの技法を使えばうまく文章を書ける、という規則を教えるからです。そのため、修辞学は古代に確立されて中世の自由学芸のなかで受け継がれていったものの、ちょうどバウムガルテンの時代に、18世紀をとおして、あまり重視されなくなります。19世紀に入ると、高等教育の科目としても取り止めになり、終焉します。それが20世紀に入ると、言語学などの盛り上がりもあってもう一度見直されます。古代から受け継がれてきたが、ちょうどバウムガルテンの美学が出る頃に下火になって、消滅して、また現代に復活した、という分野が修辞学です。

上野: そういったロマン主義的な色眼鏡をいったん外して、修辞学の伝統のなかで美学を位置付けるということが、このご本でなさったことですね。

井奥: そうです。バウムガルテンがなぜ修辞学を利用したのか、修辞学に依拠したのか、正当に評価しましょう、というのが私の立場です。本のなかで主張したのは、バウムガルテンはそういった自由学芸の伝統のなかで受け継がれた修辞学を使ったけれど、新規性もあった、ということです。その新規性というのが、うまく言葉を操る修辞学の技法を、絵画や音楽といったあらゆる芸術に適用しようとしていたという点です。これを私は「一般芸術論」と呼びました。修辞学を論じつつ、それを言語だけでなく図像や音に当てはめうる理論にしようとしていた、というのが私の見解です。ただこれは、バウムガルテンの完全なオリジナリティと言えるかというと、他にも同じようなことを考えていた人はいます。たとえば修辞学が音楽へ導入されるというのは、16世紀頃からすでになされていました。バウムガルテンは、音楽ではすでにそういった試みがなされているところ、図像にも適用できるような、今で言う芸術の一般に応用できるような理論を目指していました。バウムガルテンは修辞学に依拠しながらも一般芸術論を目論んでいた、というのが私の主張です。そしてこのバウムガルテンの考え方は、20世紀半ばに復活した現代の修辞学がやろうとしている方向とかなり近いと言えます。


〔(2)へ続きます〕


【登壇者プロフィール】

顔写真_井奥陽子様_25-25

井奥 陽子(いおく・ようこ)
2018年、東京藝術大学美術研究科博士後期課程修了。博士(美術)。
現在、東京藝術大学教育研究助手。二松學舎大学、日本女子大学非常勤講師。
おもな業績に「A・G・バウムガルテンとG・F・マイアーにおける固有名とその詩的効果」『美学』70(1) 、2019年、"Rhetorik der Zeichen: A. G. Baumgartens Anwendung rhetorischer Figuren auf die bildende Kunst," Aesthetics 22, 2018など。
著書『バウムガルテンの美学』(慶應義塾大学出版、2020年)

顔写真_上野大樹様_25-25

上野 大樹(うえの・ひろき)
一橋大学社会学研究科研究員。思想史家。京都大学大学院人間・ 環境学研究科博士後期課程修了。京都大学博士。 日本学術振興会特別研究員DC、同特別研究員PD等を経て現職。 一橋大学、立正大学、慶應義塾大学にて非常勤講師。 最近の論文に、"Does Adam Smith's moral theory truly stand against Humean utilitarianism?" (KIT Scientific Publishing, 2020), "The French and English models of sociability in the Scottish Enlightenment" (Editions Le Manuscrit, 2020).

【井奥先生ご担当のKUNILABO講座「近代美学入門」のご案内】

井奥先生は2021年4月期KUNILABO人文学講座で「近代美学入門」をご担当されます。
初回日時: 2021年4月22日(木) 19:30 - 21:00
日程:4月‐7月の第4木曜日(4/22、5/27、6/24、7/22)
場所: オンライン会議アプリ「Zoom(ズーム)」 を使用したオンライン講座
参加費: 全4回 一般8,000円/学生4,000円
詳細・お申し込みはこちらのリンクから。

【市民講座「みんなで読む哲学入門」次回イベントのお知らせ】

市民講座「みんなで読む哲学入門」では、西洋近代哲学の古典をとりあげ、上野大樹先生(政治思想史専門)と一緒に入手しやすい文庫を中心に読み進めています。現在、オンラインで実施中です。
・みんなで読む哲学入門:ルソー『人間不平等起源論』#4
◎日時:2021年3月1日(月) 19時〜21時
 ルソーの『人間不平等起源論』を上野大樹先生と一緒に読む講座です。
みんなで読む哲学入門:ディドロ『ダランベールの夢』
◎日時:2021年3月4日(木)19〜21時
 ディドロの『ダランベールの夢』を淵田仁先生と一緒に読む講座です。
・著者と語る 哲学オンライン対談(3): 野原慎司『戦後経済学史の群像』をめぐって【みんなで読む哲学入門・特別編】
◎日時:2021年3月16日(火)19〜21時
 野原慎司先生の新刊の刊行記念に野原先生をお招きした上野先生との対談イベントです。
※これまでの授業の様子はブログの授業ノートなどをご参照下さい。どのような話題が登場したのか雰囲気がお伝えできれば。
ブログ「みんなで読む哲学入門


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