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わたしという誰かの演劇_003

 わたしのいるところで、演劇がはじまる。

わたし  創業者一族、って力強い言葉ですよね、わたしは創業者一族じゃありません、わたしの父はサラリーマンです、もう引退しちゃったから「でした」のほうが正確ですけどね、創業者っていうからには創業してなきゃいけないわけですよね、家族の誰かが、会社かなにかを、あ、いやこれ、創業者一族の話ですけど、わたしの話じゃなくて、いいですか、創業者一族の話をしても、力強い言葉です、単に創業者ってだけじゃないですからね、一族ですからね、人数多いですよ、労働者には出せない貫禄がありますし、なかなかなれないですよね、創業者一族には、商店街の小売店程度じゃあ名乗れませんよ、「程度」とか言っちゃった、ごめんなさい、ここまで全部、創業者一族って言葉使いたかっただけです、わたしの父はサラリーマンです、なのに、わたしは演劇をしています、「なのに」ってなに、サラリーマンの子供は演劇をしたら駄目ですか、サラリーマンって演劇じゃないですか、会社ってないし、みんなであるって言いはってるだけだし、言いはってるひとがほとんどだからあることになってるけど、なんですか「法人」って、法的な人格って、ないけどみんなが信じてるからあるってことになってるし、言ったら壮大な「ごっこ」なわけじゃないですか、ごっこ、「ごっこ」ときたら「ゴッド」とつなげたくなりますね、韻っていうかダジャレになっちゃいますけど、いないけどいるじゃないですか、だって実際「ゴッド」ってみんななにかしらのイメージ持ってるし、共有できてるかはともかく、ピカチュウみたいな感じ、いないけどいるっていう、そういうものを共有できるようになったからホモ・サピエンスは、ほかにもいた違う人類たちを滅ぼして、こんなにも地球上で繁栄したんだって話、読んだことありますよ、『サピエンス全史』ですけど、目の前にないもの、見たこともないものを共有できるってそれ、あたりまえにやってますけど、最初にそれを可能にしたホモ・サピエンスがいるんですよ、創業者みたいなやつが、それを考えるとわたしたちってみんな末裔、創業者の末裔、創業者一族ですよねって話、いい感じでまとまりつつありますね、こういう感じで大丈夫ですか今日、人間万事塞翁が馬、人間誰しも創業者末裔、グローバルな視点で考えていこうって話です、「グローバル」とか言い出すと途端に馬鹿っぽく思えてきますけど、あ、いや、「グローバル」には罪はないんですけど、なにに罪があってなにに罪がないとかそんな、断罪できるような立場じゃないんでわたしは、人間に人間が裁けるのか、知ってるひとがいたら教えてください、さよなら人類、

 また明日。

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