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10代の私がしゃべりだすので

 私は学校というところとあまり相性がよくありませんでした。

 いじめられていたわけではありません。
 ただ合わなかったのです。
 小さい頃から集団は苦手でした。今でも一人の方が好きです。
 私も農耕民族の末裔なので集団で動かなければいけないのはわかります。
 でもやっぱり、みんなと同じように動きましょう。というのが苦手です。

 幼いころから空想ばかりしていて授業中は別の世界にいました。だから先生が何をしようとしているのかわかりませんでした。
 授業も興味があるならきいていたと思うのですが、やっぱり興味はひかれませんでした。すみません。

 小学校はまだ良かったのですが、中学校では空想する暇がありませんでした。
 たぶん小学校の先生は私をほっといてくれてたんですね。中学の先生は受験も見据えてそうはいかなかったのでしょう。気を抜けませんでした。

 中学校の生活は私にとって意味がわからないものがたくさんありました。

 体育の授業では、整列するのが遅いとクラス全員が怒鳴られました。整列するのが遅いだけで怒鳴られる意味が私にはわからなかったです。
 次の授業の内容を先生に聞きに行く御用聞きというものもありました。当時、学校敷地内は禁煙ではなかったので、タバコの煙がいっぱいの先生の休憩室に聞きに行ったりしました。次の授業の内容なんて、授業が終わったら先生がその場で伝えてくれたらいいのに。
「起立、礼、着席」そもそもこの時間はいったいなに? 必要なの? と思っていました。この号令、日直がやるのですが私はこれが嫌でした。みんなに号令するのが苦手なんです。
 どうやらこの号令、武士の礼儀からきているらしいのですが、先生はこちらに礼しないことが多く、武士の礼儀なら先生も礼してほしかったなあと思います。

 こんなこともありました。
 職員室の前に給食室があって、そこにお茶が入った各クラスのヤカンと、先生用のおぼんがありました。それはその日の日直が給食の時間に取りにいくことになっていました。
 ある日、友人が日直だったのにヤカンとおぼんを持ってくるのを忘れてしまいました。
「私が代わりに取ってくるよ」と言って私は急いでヤカンとおぼんを取りに行きました。
 しかし、時間には間に合わず、友人は先生にものすごく怒られました。(次の日も日直をさせられるペナルティ付き)
 友人はなにも言えず、ただ泣いてました。
 なんでこんなくだらないことで彼女は泣かなくてはいけないのだろう。私が彼女の代わりに取りに行ったのがダメだったのだろうか。大人の理屈だとそうなのでしょうか。
 でもここまで怒られる理由がやっぱりわからない。

 中学一年生の夏休み明けに、私は不登校になりました。

 もともと繊細な子どもだったのでいろんなことに過敏に反応して疲れてしまうのですね。小学校の頃も学校から帰ると疲れて寝ていました。
 最近出てきた言葉でHSPというやつだったようです。
 ハイリー・センシティブ・パーソンの頭文字をとった言葉で、とても敏感な人たちという意味です。
 怒鳴られるなんて神経をゴッソリ削がれるようですし、人の怒りや憂鬱も近くにいると鉛を身体に付けられたみたいに感じます。みんなが神経を尖らせている空間も苦手ですね。一人ひとりの神経が矢のように飛び交っているのです。
 たくさんの人間がいる学校という場所自体、私にとってはストレス過多だったのです。

 ずる休みって言葉がありますね。
 風邪や怪我など正当な理由もなく学校や会社を休むことです。朝起きて、かったるいなあ、とか、ダルいなあ、とかそういう理由で休むこと。
 このずる休みという言葉に対して私が思うのは「休みたければ休めばいいのに」
 ダルさや疲れということ自体、身体からのメッセージなのですが、みんなわりと無視していませんか?
 ずる休みって「私が我慢してるのにあなたは我慢しないなんてずるい」だとか「私は正しいのにあなたは正しくない」という気持ちから作られた言葉だと思うのです。

 なんで、みんなが嫌だと思っていることをやる必要があるのでしょう。みんなが我慢してることは一人も残さず我慢しないといけないのでしょうか。
 なんでやりたくもないことをやることが正しいのでしょうか。誰がそれを正しいと決めたのでしょうか。
 みんなが嫌だと思うことを、みんなが好きだと思える仕組みに変えていこうとは思わないのでしょうか?

 私は学校は苦手でしたが、学ぶこと自体は今も昔も好きです。
 どんな年齢や環境や特性を持っていても、どこでも自由に学べたらいいのになあと思います。
 ここ最近のリモート授業とかもっと進化していけば楽しそうです。

 学校に行かない、ただそれだけでこの先の人生は暗いと私も私の周りの大人たちも思っていました。
 でもそんなこともないかなと今32歳の私は思っています。
 誰でも安心して子ども時代を生きてほしいし、安心して大人になってほしいと願っています。

 こうやって書いたのは10代の私がしゃべりだすからです。まだ感情を言語化することに慣れていなかった子どもの私の言葉を少しは昇華できたかなと思います。32歳の私も思うところを書かせてもらいました。

 いろいろ書きましたが当時の先生方や今働いている先生方を責めたりする気は全くありません。精一杯働いてくださっているなあと感じています。

 もし、何かを責めたり問い詰めたりするのなら、それは固定観念といった形のないモンスターのようなものに対してです。

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