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Back to the late 90’s 第14話 レペゼン横浜

いつものようにZOZ’S BARへ行くと、見かけない顔の背の高い人物がいた。見るからにB-BOYで、鋭い切れ長の目が、とても印象的だ。


どちらからともなく話かけ、やがて色々と話すうちに、彼がDJで、横浜から大阪にやってきて間もない時期だとわかった。名前を訊くと「マサカズ」と答えてくれた。そう!彼こそ、この後大阪のHIPHOPシーンでトップクラスのDJとなるDJまさかず君(当時はMASAKAZU)だ。

DJ まさかず君。
当時から卓越したセンスとテクニックでまわりを魅了していた。私が出会ってから瞬く間に大阪のHIPHOPシーンのトップクラスのDJとなり、今は無きUNDERLOUNGEの毎週日曜日に開催されていたマンモス・パーティー『Soul Free』のレギュラーDJに抜擢されDJ MINAMI君やBENKAY(当時はBENKEI)君達と共に大活躍した。

年齢で言えば2つ年上のまさかず君だが、最初に話した時から、ため口だったので、まさかず君とは今でも、会う機会があれば、ため口のままだ。


どうやら、まさかず君は大阪のHIPHOP界にツテがあったのではなく、裸一貫だったようで、活動の場を求めてZOZ’Sに来ていた様子だった。


まさかず君と話すうちに「DJやろうよ!」と意気投合し、その場に一緒にいたヒロ君も賛同してくれて、大いに盛り上がった夜だった。


そして、まさかず君のDJを見せてもらうと、異次元なぐらいの上手さ!「これはすごい!!!」と呆気にとられてしまった。選曲、盛り上げ方、スクラッチ、どれをとっても私とのレベルの差は歴然としていた。


しばらくして、そこにまだ当時高校生だった拓ちゃん(DJ下拓)が、来るようになり、行動を共にする事になっていく。拓ちゃんは、まさかず君のDJにすっかり魅了されている様子だった。まさかず君のDJには、人を惹き付ける魅力が溢れていた。

DJ下拓(写真左)と筆者。
この写真は2012年頃かな?今は無きアメリカ村にあった『ガンガリー・コーヒー』のデイ・イベントで撮った一枚。出会った当時から、ともかく練習熱心だった。2002年からDJ GEORGEとGRAND Cafeで開催した『OSAKA SAFARI』で人気を不動のものとし、数年間活動拠点を東京に移す。現在はDJ以外にもトラック・メイカーやプロデューサーとして大活躍している。


それから次々に、まさかず君を慕う下の年代のDJ、ラッパー達が現れ、彼等を取りまとめる形で、まさかず君自らがHIPHOP集団『飛龍会』を結成する事になる。ちょうど時期で言えば、確か1999年の春~夏ぐらいだろうか!?


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