星の瞬き

それから数年。
事が起きたのはアマリオが16になる頃であった。
「じゃあマールズ、僕は先に出るから!」 
「行ってらっしゃい、気を付けてな。私も後で依頼を見に行くよ」
「はぁい!」
スラリと伸びた背は人目を引く。
金の髪も幼い頃より伸びてその長髪を緩くひとつに纏めていた。
まだ朝の星が登り始めたばかりの時間にアマリオは林檎をかじりつつ職場のギルドへ向かって歩き始める。
今日は少し寝坊して朝ご飯を抜こうとしていたのを目ざとくマールズに見つかり、顔にやれやれと書いたマールズにこれを渡されたのであった。
瑞々しく甘い果実を味わいながらいつまで経っても敵わない人だな、と思う。
幼い頃に引き取られてからマールズはアマリオが後悔しないように出来る限り全ての事を教えてくれた。
目上の人間に対する話し方、平民の中でのマナー、読み書き計算、一般教養に魔物との戦い方、魔法に剣術、いつか必要になるかもしれないからと貴族のマナー。
他にもアマリオの人生を豊かにしようと沢山の事を教わったし、経験させてもらった。
言わずともわかる愛でここまで育ててくれたのだ。
有難いことこの上ない。
何かお礼をしたいと考えつつ中々いい案が浮かばないのだ。
「…何なら喜んでくれるかなぁ」
芯だけになった林檎をこちらにくれと言わんばかりに見ていた雪うさぎに投げてやって、足を進める。
最近は寒くなってきたからか、雪うさぎのような魔法生物が近くの森から熱を求めて街に降りてきていた。
とは言え魔物と魔法生物は根本的な存在方法が違うので特に害は無い。
害は無いが、魔法生物はたまに人間にとっての利益をもたらす事がある為魔法生物と人間は共存しているのだ。
しかし雪うさぎなんかは本当にただ可愛いだけの生物である。
あと肉が美味い。
街のメインストリートを真っ白でふわふわの小さな兎が跳ねていくのを横目にアマリオはその日もギルドの扉を開けた。 
「おぉ、アマリオ。おはよう」
ガタイのいい立派な髭を生やした大男がアマリオに向かって二カリと笑って手を挙げている。
彼がここのギルドのギルド長、バレンだ。
ギルド長というより歴戦の冒険者に見えるがまぁそれはさておき。
彼の手の中にある紙束の量がいつもより随分多い。
ギルドは毎朝様々な依頼が舞い込み、それを依頼板に貼り付けていくのだが、今日の依頼量はまるで一週間分の依頼をまるっと全部集めたのかと思う程であった。
「おはようございます、ギルド長。…今日は随分依頼が多いんですね」
「ん?あぁ、まぁ…な…。国は本格的に魔法族との戦をおっぱじめる気らしい。見てみろ、依頼の殆どが王都からで治癒薬の材料に武器の手入れに使われるオイル、鋼…素材も武具に使われるもんばっかりだ。王都兵の募集まである。こりゃ大分荒れるぞ」
「…戦争…」
「守護者が死んでからもう十年だ、神託は降りねぇし、国は仮の護り手を定めるでもなく数だけ兵力を集めて横の国を叩くつもりらしいが…守護者も無しに何を考えているんだか」
守護者、という言葉はマールズから教えられた知識の中にあった。
しかし彼から聞いていたのは国一番の実力者でその存在があればそれ自体が抑制力になり、他国との争いが起きないのだ、と言う事だけ。
実力者が国を守る為の抑制力になるのはわかる。
だが国が決めた侵略に守護者がいなければいけない理由はなんだろうか。
実力者と言うだけならば数や戦略でどうにかなる筈では無いのか?
「ギルド長、守護者ってそんなに重要なものなんですか?」
「マールズさんから聞いてねぇのか?」
「国と国との争いの抑制力になる特殊な存在としか…」
「まぁ間違っちゃいないが…特に必要になる知識って訳でもねぇし後回しにしてたんだろうな。よし、昼に俺が教えてやろう。初めて聞くなら面白ぇ筈だ」
「ありがとうございます!」
「おう、じゃあまずは仕事すんぞ」
「はい!」
職員用の部屋に入り荷物を置いて手早く着替えたアマリオはバレンを手伝って大量の依頼書をひたすらに依頼板に貼り付けていく。
紙をとってノリをつけて張って、取ってつけて張ってとってつけて張って…気が遠くなりかけた頃にようやく全ての依頼書を貼り付け終わった。
結局普段配置している依頼板だけではスペースが足りず、貼りきれなかった依頼書は急拵えの木の板に雑多に貼り付けるしか無くなってしまった。
「やっと…貼り終わった…」
「ギルド長もアマリオ君もお疲れ様!はいお水。二人共、もう昼も近いから先に昼休憩して来ていいわよ」
水を持ってきてくれたのはギルド職員の一人、ミズキであった。
勝気な顔をした彼女は面倒な荒くれ者も片腕と言葉で叩きのめすギルドになくてはならない存在である。
「ミズキさん!ありがとうございます!」
「おぉ、すまんな。そうだアマリオ、休憩ついでに守護者の話をしてやるよ」
「やった!楽しみにしてたんです」
水を飲み干したコップを洗って直した後二人はギルドの食堂へと向かった。
この食堂は冒険者も利用出来る酒場も兼ねた食堂で、ギルド職員には食事が無料で提供される。
味も美味しく量も多い。
強いて言うなら提供が少し遅い所だろうか。
しかしその時間も話をしていればあっという間に過ぎるというもの。
お互い食べたいものを頼み、腰を落ち着けてからバレンは話を切り出す。
「ふぅ…とりあえずお疲れさん、それで守護者の事だが…どこから話したもんかね…」
バレンは言葉を選びながらも護り手という存在について語りだした。

 今から数千年も前、ステラは元々一つだった大陸が種族や思想の違いの末に酷く争い、多くの生き物や植物達が死んだ。
守護者とはそれを嘆き悲しんだ神が国を分かち、六国に別れた各国にこれ以上争いを起こさせない為にその座を用意した存在である。
実力者なのは確かだが、実力者だから守護者なのではなく、守護者だから実力者なのだ。
守護者は神からの啓示がある間は歳を取らず、その力は強くなり続ける。
次代の守護者が啓示されればその役目は終わり守護者は普通の人間へと戻れる。
そして守護者になった者達のなによりの役目は国を守ること。
自分の命を投げ打ってでも成さなければならない一つの役割。
自国だけでは無い。自国とその他の国の諍いを防ぎ、友好を築き、和平を保つ事、それが守護者の役割なのである。
時代が移るにつれて守護者はまるで戦力のように扱われるようになったが、守護者自身はその役目を忘れる事は無かった。
マールズが言っていた抑制力という言葉は間違いでは無いが、本質はそんなに敵対的なものでは無くただひたすらにこの世界が平和であれと願った神の御心の現れなのである。
それから各国では神託がおりる度に盛大に祝いの儀として祭りを開き、守護者を祝福するようになったのだ。

「…とまぁこんな感じだな」
「へぇ…あれ、じゃあ今の状況って」
国を守り繋ぐ守護者がおらず古の諍いのように戦争をしようとしている、この状況は。
「あぁ、物凄く不味い」
「もしこのまま戦争をしてしまったらどうなるんですか?」
「さぁなぁ…神の怒りに触れる事になるんだろうなぁ…そもそも次の神託はどこの国も来てねぇみたいだしな…守護者が死んだ十年前からとっくに見放されてるのかもしれんよ、この世界は」
「そんな…」
「まぁそれでも生きてくしかねぇんだ、おう、飯が来たぞ食おうじゃねぇか」
目の前にじゅうじゅうと音を立てて香ばしい匂いを鼻腔に届ける大きなハンバーグが置かれる。
すっかり空腹だった胃はその匂いに話の不安感を随分軽減させてぐぅ、と大きな音で早く食べさせろと主張した。
「…いただきます!」
まぁ、不安になっても一平民である自分にはどうしようもない話である。
神に抗うことなど出来る力もない自分は、死ぬ時は死ぬし生きているなら精一杯生きるべきだ。
まずは食事から。
手に取ったナイフで切れ込みを入れたハンバーグから溢れた肉汁が更に食欲をそそる。
赤ワインベースのソースにしっかりと絡めてアマリオは今日も生き抜くために食事をするのであった。

 午後、いつもの百倍は多い依頼量にギルド職員も冒険者もてんやわんやだったが、どうにか一日の仕事を終えアマリオは疲労困憊の体を引き摺りながら家へ帰宅した。
道中、暗さを疑問に思ってふと空を見上げた。
今日は厚い雲がかかっているのか今日は夜の星が見えない。
おかげで切れ掛けのランプを片手に帰り道を急ぐ羽目になっている。
見上げた視線の先で刹那強い光が瞬いた。
きつく目を瞑った後目を開けるとそこは何も変わらない夜道があるのみであった。
言いようの無い不安感と一日の疲労感に背を押されて早足になる。
見慣れた家の玄関を開けると三件の討伐依頼を片付けて先に帰宅していたマールズがアマリオの顔を見て苦笑していた。
「ただいま…」
「おかえり。ちょうど良かった、夜ご飯は夜光鶏のシチューにしたから食べるといい」
「ありがとう…でも本当に今日は疲れた、何もこんなに一気に依頼しなくともいいと思わないか?」
「そうだな。まぁ、上の考えは今も昔もわからんがね。」
「そうだよなぁ、ギルド長もお国が何を考えてるか分からないって言ってたよ…」
アマリオの発言を聞いて笑ったマールズの正面に温めた夕飯のシチューとパンを置いて座ってもそもそと食べ始める。
味は昔と相変わらず大変美味しかったが、今は疲労のあまりにそれどころでは無かった。
「今日は食べたら早めに寝ることだ。明日も早いのだからね」
「そうするよ。マールズも今日もお疲れ様」
「あぁ、ありがとう」
胃を満たした後に、食器を片付けたアマリオが風呂に入ろうとした時だった。
ドンドン、と強く入り口が叩かれる。
もう夜も遅いと言うのに誰だろうか。
アマリオ達の家は街外れにある事もあり、住人や知り合いが日が落ちてから訪ねてくることは滅多にない。
警戒を顕にしたマールズを手で制し、アマリオは入り口の向こう側に声を掛ける。
「どちら様ですか」
「アマリオ様に招集がかけられています。急ぎ支度してください」
アマリオは用件を聞いたのではない。所属はどこか、今玄関を叩いているのは誰かを聞いたのだ。
用件を聞くのも内容を信じるのもそれからである。
ここではいそうですか、と扉を開けて嘘をついていた強盗なぞに刺されてはたまったものじゃない。
「…ですから、どちらの方ですか、とお聞きしています」
所属や名前を聞くのは意味がある。
というのもこの国においてある程度の地位のある人間は所属を偽る事を許可証や余程の理由がない限り重罪とされているからだ。
本当の使いなら所属を名乗ればいいだけであるのだから、簡単な事のはずなのだが。
「王からの命令を無視されるおつもりですか?」
話の通じない無作法者にアマリオの中で怒りが溜まっていく。
アマリオが制しているマールズなど割と血気盛んなものだから既に自分の獲物を手に持っているところであった。
「やめろ馬鹿者。自分に任せろなどとのたまっておいて、貴様は話の一つも出来んのか」
「は、しかし…」
「もういい、下がっていろ。今日は二度と喋るな」
若い男の声が聞こえたかと思うと今度はまともな答えが返ってきた。
「部下が失礼しました。俺は王城の騎士団所属、第三部隊隊長のクラウン。アマリオ殿に王城からの招集命令が出ている為その報せと迎えの為にきました。良ければ中で話をさせて欲しいのですが」
「…分かりました。ですが、入るのはクラウン様、貴方お一人にして欲しい」
「えぇ、構いません。部下は待たせておきます」
「クラウン様!お一人でなど」
「今日は二度と喋るなと言った筈だ。次に口を開いたら覚悟しておけ」
静まり返った事を確認してからアマリオの前に出たマールズが扉を開ける。
扉の外に立っていたのは栗色の柔らかな髪と若草色の瞳をした背の高い男であった。
アマリオとマールズを認めると微笑みを浮かべ、アマリオの案内に従って家の中へと入ってくる。
こちらを悔しそうに見つめている無精髭を生やした男を横目にマールズは無慈悲に扉を閉じた。
部屋の中に入ったクラウンは懐から杖を取り上げて防音魔法をかける。
「さて、アマリオ殿、先程の部下の無礼を改めて詫びさせて頂きたい。申し訳無かった。…それからマールズ殿、お会いできて光栄です」
マールズの方へ向き直ったクラウンは先程よりも柔らかい笑顔でマールズに笑いかけている。
そんな姿を見たマールズは大きな溜め息を着いた後、口を開いた。
「…クラウン。もう少し部下の躾はどうにかならんかったのか」
「すみません、急拵えなもので」
「マールズ、クラウン様とお知り合いなのか?」
「私がアマリオの家の執事になって少しした後に縁があってね。何度か文通をしていた」
「そうか…」
「えぇ、その節は大変お世話になりましたよ。それで今回の用件なのですが…」
そう言ってクラウンは先程の話の詳しい事を話し始めた。
今回の用件というのはアマリオに王都から招集がかかった、という事だ。
なんでも神託でアマリオの名前が出たのだという。
神託という事は、アマリオが次代の守護者となったという事だろうか。
「…しかしそれはおかしいのですよ」
マールズの煎れた紅茶を一口飲んだクラウンが優美な動作でカップを置いた。
「と言うと?」
「現在、二人の守護者がどちらも亡くなっているのはご存知ですね?」
「えぇ、詳しい事は知りませんが」
「本来守護者の信託は大々的に国中に知らせられ、祝われる事。しかし今回はそんな事はなく極秘裏に貴方を招集している。おかしいでしょう?」
今日、ギルド長から守護者の神託が降りた時は国をあげて祝いの儀をしていたと聞いた。
だとすれば人目につかないように夜に、しかも少人数で来るのは確かにおかしい。
しかし守護者指名以外の神託など聞いたことも無い。
「…王が嘘を?」
「いいえ、大臣かと。どうやらあの男王の座を狙っているようでして。裏に神託を受け取れる協力者がいる事は確認できました。君に何かしらの力か適性があり、それを利用、もしくは潰したいのでしょうね」
何かとんでもない事に巻き込まれている、のだろう。
両親の事故と同じくまたしても何も分からないままに。
「…それで、僕は何をすれば?」
「このまま、俺達に着いてきてください。王の御前に出る事になりますから命に関わることは無いとお約束致します」
「行かなければ、どうなります?」
「…一応、王からの勅命という形で命令が出ていますから反逆罪で逮捕という形になりますね。放置したらどうなるか、という点でしたらなんの誇張もなくこの国が滅びます。あの馬鹿を王に据えるなど天地がひっくり返り神が命じてもあってはならない事ですよ」
クラウンの声や顔に嘘を疑えるものはなく、国が滅びる、という事が真にアマリオに迫ってきた。
国が滅びればこの国で健やかに育っている妹達や今まで自分に良くしてくれた人々はどうなる?
そんな周囲からの好意や優しさで支えられた道でここまで生きていた自覚のあるアマリオが迷ったのはほんの数瞬の事だった。
「…っ、分かりました行きます」
「では私も行くぞ構わんな、クラウン」
そう言い出したマールズに驚いて振り返ったアマリオにマールズは両親を失った時と変わらない笑顔でアマリオに微笑んだ。
「えぇ。任せてください」
マールズの言葉にクラウンも胸元に手を当てて微かに頭を下げていた。

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