読書記録:梨木香歩『ぐるりのこと』

深く深く、自分の中身を覗いていく。その最も暗いところにずっと沈殿しているのは、9.11同時多発テロの衝撃と絶望だ。

2001年、私は12歳だった。小学6年生。夜、ひとりで居間のテレビを見ていた。最初は何か映画の予告かと思った。違う、ニュース番組だ。呆然と映像を見ていた。初めて目にする巨大な暴力だった。

それからのテロとの戦い、イラク戦争に至るまでは私の多感な時期と重なる。何のために戦っているのか。何のために死ぬのか。殺されているのか。殺すのか。なぜ互いの平和を望めないのか。

そうして溜まっていった疑問がエネルギーとなり、知識欲となって私を突き動かしてきた。

梨木香歩『ぐるりのこと』(新潮文庫)はイラク戦争前後に書かれたエッセイだ。

当時の様々な事件に触れつつ『境界』をキーワードにして深く考察されている。自己と他者、自国と他国、人間と動物。自分のまわり、ぐるりのこと。

私もこの目で見てきた事柄について作家の教養でもって哲学をしていて、幼かった私には考えつかなかった視点に今更ながらハッとさせられる。

そして、知識を得るということは「私」と「誰か」の違いを知ることだと、この本を読みながら気付かされた。

日本人らしくあること、女性らしくあること、妻、30代、社会人。私が所属している社会の位置、その同じ属性の人間と照らして共通でありたいという盲信。

知識はそれを否定するためにあるのだろう。私はあなたとは違う人間である。それを説明するためには共通でない要素を知る必要がある。私の持つ境界を認識するため、あなたの持つ境界を想像するために知りたいと思う。

戦争とは違いを否定するという一面がある。私のほうが正しい、だからあなたも正しくあるべきで、それを拒否するならば力で従わせるしかない。そういう意識が戦争を引き起こす。

しかし地球のどの地点でも同じように成長できる植物が無いように、全人類で同じ観念を共有するのは無理がある。「平和」ですら共有できない。できないのだ。

違いを認識し、許しあえるか。私とあなたの境界を尊重できるか。彼と彼女の境界を、あの国とかの国の境界を。そのために知る必要がある。私は知りたい。何もかもすべて。

この本は私の知識欲に初めて方向性を与えてくれた気がする。時折読み返したい、心の底へ響く文章に出会えたことが嬉しい。


最後に以下の文を引用させてください。かの国々の人々に届くことを願って。

『その組織が暴走し、本来その組織性が保証するはずだった精神的・社会的安定を個から奪い、更に個の生命すら道具に使うようになったら、それは「必要悪」の次元を遥かに超えている。そうなった「群れ」にはもう忠誠を尽くす必要はないのだ。』

(群れの境界から より引用)

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