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「こうしてはいられない!!」を大事にしたい。(志賀直哉の言葉から)

今日の「時々、コラム。」はタイトルどおり、文豪・志賀直哉のことばについて。と言っても堅苦しい話ではありません。
私自身が、「おお!」と心を動かされ、そしてなるほど!と腑に落ちた経験について書こうと思います。

もう15年くらい前…まだ子どもたちが小学生で、くらしアトリエが法人化して数年が経った頃。大好きだった作家・原田宗典さんのエッセイ『し』を読んでいて、忘れられない経験をしました。

原田さんがエッセイの中で引用されていた、志賀直哉の『リズム』という随筆の一節が、強烈に心に刺さったのです。

偉(すぐ)れた人間の仕事――する事、いう事、書く事、何でもいいが、それに触れるのは実に愉快なものだ。自分にも同じものがどこかにある、それを目覚まされる。精神がひきしまる。こうしてはいられないと思う。仕事に対する意志を自身はっきり(あるいは漠然とでもいい)感ずる。この快感は特別なものだ。いい言葉でも、いい絵でも、いい小説でも本当にいいものは必ずそういう作用を人に起す。

志賀直哉『リズム』より

この随筆は1931年に発表されたもの。(志賀直哉って昔の人だと思っていたけれど、まだ没後50年と少しで、昭和を生きた人なんですよね。)
80年近く前の文章だったのに、みずみずしくまっすぐに自分の胸に迫ってきました。それは原田宗典さんも同じだったそうです。

原田さんいわく…それまで先人たちの書いた作品に衝撃を受けた経験をうまく言語化できなかったけれど、志賀直哉がたった5行の文章でそのことを見事に表現していたこと。

そして、自分が受けた衝撃を言語化してもらったおかげで、自分も自分の仕事に全力を注いでいこう、と思うに至った、ということが、エッセイでは綴られていました。

そして私も、このエッセイを読んで原田さんとまったく同じ気持ちになったのです。

それまで、自分の周りにいる方々…特にくらしアトリエの活動を通じて知り合った作り手の方や、法人スタッフなどから、刺激を受けることがたくさんありました。なにしろ、周りには素晴らしい人がたくさんいらっしゃるのです。お会いしたり、真摯な姿を目の当たりにしたりすると、大いに刺激になります。

でもそれは「刺激を受けた」という平板な言葉では言い尽くせない、心がそわそわするような、喜びでもあるけれど焦りにも似た、何とも言えない気持ちだったのです。それを志賀直哉の5行は代弁してくれた、と思って、目の前がぱっと明るくなったような気持になりました。

そうなんです。すぐれた人、その仕事を目の当たりにすると、「ああ、分かる」と自分の中にあるささやかな矜持とそれを照らし合わせ、「自分にも同じ思いがある!」とわくわくします。

そして、「精神がひきしまり」「こうしてはいられない」と思うんです。

私もやらなくちゃ、負けないように頑張らないと…そう思わせてくれる多くの人に、今まで出会って来ました。それが、くらしアトリエの財産でもあります。
例えば「ゲストハウス寿庵」さんや「ハーブティーyado」さんなど、一人で起業された女性。あるいは、移住先での新たな出会いを通じて新たなステップを上がった方々。
また、資格や試験など前向きに勉強しているスタッフの存在。
それから…つい先日、イベントの時にお会いした、「転職のために学校に通っていたんです」とおっしゃっていたお客さま。

みんな、「すごいなあ」と思うと同時に、「こうしてはいられない!」という熱を与えてくれる存在です。

この、「こうしてはいられない」と思うことこそが、すごく大事だとずっと思っています。

相手の素晴らしさに気づくこと。
それを素直に「すごい、羨ましい」と思うこと。真っすぐに羨望して、ひがんだり嫉んだりしないこと。
そして、自分もそこで伸びようと努力すること。よしやるぞ!と前を向いて、一歩を踏み出すこと。

この経験をするかどうかで、「伸びしろ」が「実際に伸びる」か否かが決まってくると思うんですよね。

くらしアトリエの活動を通して、「こうしてはいられない」という感情を何度も味あわせて頂いていること、本当にありがたいです。

この文章に出会ってからすぐに図書館に行って志賀直哉の随筆を読み、文章は紙に書き綴って机の前に貼っていたほど、私にとっては忘れられない経験になりました。

そして、たまたま原田さんのエッセイを読んだオットもまた、同じ箇所でビビッと来たらしく、「これ、分かるよなあ!」とわくわくした顔で訴えてきたのもよく覚えています。ああ、同じところで共感してる!と、そのこともすごく嬉しかったのでした。

このごはんおいしかったね、とか、あの芸人面白いよね、とか、そういう共感ももちろんいいのですが、もっと心の深いところで「それ、自分も分かる!」と思い合えることは、すごく嬉しい。これは家族でも仕事の仲間でも同じで、「分かり合える」ことが自分の自信にもなるように感じています。

ちなみに、この随筆の続きで志賀直哉は「すぐれたものに共通しているのはリズムである」と綴っています。

芸術上で内容とか形式とかいふ事がよく論ぜられるが、その響いてくるものはそんな悠長なものではない。そんなものを超越したものだ。自分はリズムだと思ふ。響くといふ聯想でいふわけではないがリズムだと思ふ。
 此リズムが弱いものは幾ら「うまく」出来ていても、幾ら偉そうな内容を持ったものでも、本当のものでないから下らない。小説など読後の感じではっきり分る。作者の仕事をしてゐる時の精神のリズムの強弱――問題はそれだけだ。

志賀直哉『リズム』より

これも、「分かるぅ!」とぶんぶんと頷いてしまいます。志賀直哉ってすごい…物事の本質をずばっと言語化できることこそが本物の証、のように思います。

「言語化」ということで言うと、先日オンラインサークル「くらしの学校」でも話したのですが、NHKBSで放映された『奇跡のレッスン』での体操・内村航平さんの「感覚を言語化する」というレクチャーが、本当に素晴らしかったです。

スポーツでレベルアップするためのコツとかポイントって、その人にしか分からなかったりして、すごく感覚的なもののような気がしています。スポーツだけでなく、例えば写真とかデザインとか、文章を書くこともそうですね。私自身「どうやって文章を考えるのですか」と聞かれても、うまく説明はできません。

でも内村さんはその感覚を「言語化」して「伝える」ことにすごく長けておられて、「手と足を同時に」「肩甲骨を出すように」「着地は手で止める」など、具体的に、その生徒にもピンとくる分かりやすい語句を使って情報を共有されていました。
それは、内村さん自身が体操がすごくすごく好きで、たくさん途方もない苦労をして…そして、ずっとずっと「考えてきた」からできることなんですよね。

「バーッと」「ダーッと」とか、「何となく」とか、ついつい使ってしまいがちですが、抽象的なものの解像度を少し上げて、「あの人にも分かるように説明するとしたら」と考えていくと、思考の言語化に近づいていくのかなあ、と思っています。

くらしアトリエのコンセプトは「暮らしを楽しむ」「地域を誇りに思う」といった、当たり前の「ふわっとした」概念なので、これをどんな人でも腑に落ちるように言語化する、というのが立ち上げ当初からの課題でした。

15年経って少しずつ語彙を増やし、数年前に「シビックプライド」という言葉に出会ったこともあって、以前よりも自分たちの活動を言語化できるようになったんじゃないかな、と思っています。一方でそれには時流も影響していて、「ああ、分かる分かる」と頷いてくれる人が増えた、というのもあるのかな、とも感じます。

こうやって毎週、自分たちの考えをコラムに綴る作業を部活のようにあえて「課して」いることも、言語化の訓練になっているのかもしれません。

志賀直哉の文章を自分の身に置き換えてみると、「そう言えばこういう経験あったなあ」と思うこと、あるんじゃないでしょうか。

家族だったり、職場や学校の人だったり…頑張ってる人、新たな挑戦をしている人を見ると、心がざわついて、こうしてはいられない」と思うこと、ありませんか?

高揚感と焦燥感がミックスされたような、何とも言えない「そわそわ」「わくわく」の集合体。名前を付けようと思ってみたのですが、ぴったりなものがなかなか見つかりませんが…。

「こうしてはいられない」から、どう行動するのか。自分も一歩踏み出すのか、そうじゃないのか…。この経験の積み重ね(行動するのか、しないのか)が、将来の自分を形作っていくんじゃないかと思います。

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