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奥さまは小学生②

つづきです。


90歳になっても、どうやら私はこのまま。小学生なんだとわかったら、まず、周りを見る目が変わりました。

年上のあの方も、あの方も、きっと心の中にはあの頃の少年少女がいる。
近所のおじいちゃんおばあちゃんの瞳の奥に小学生を感じながら見ていると、ますます話すことがラクに、楽しくなりました。小学生同士、クラスメイトと話している感覚です。


大人だと思うと、相手に無意識に善人・善行を求めてしまいませんか?勝手にがっかりしたり、こうしてよと思ったり。

小学生の頃、面白い子、気が強い子、かっこつける子、泣き虫な子、お喋りな子、クラスに色んな子がいたのと同じだなって思うと、親しみを感じるし、その人の性質そのものを見て会話出来る気がします。

そしてこれ→ "大人だと思うと、相手に無意識に善人・善行を求めてしまいませんか?勝手にがっかりしたり、こうしてよと思ったり" 
誰より私自身、次ににしていたんですよね。

話す言葉、内容、立ち居振舞い。理想像と違うとがっかりし、矯正しようとしていました。365日、無意識に自分を、夫を否定していたんです。
例えば、掛けられた言葉があるとします。純粋にその真意(優しさ)を受け取るのではなく、「言い方子供っぽい···」とか逐一心の中で添削する。しかも無意識に!

等身大で捉えようと真剣になると、「こうするべき」「こう在るべき」という思考が出てこないので、言葉や行動の真意をちゃんと受け取れるようになった気がします。


そうやって小学生のままの私を生かすように考えていると、本当に求めているのは成長という名の自己否定ではなく、
「楽しみたい!」なのでは!?と閃きました。
もう、子供みたいに思いっきり楽しんじゃおうと切り替えたんです。

そんな楽しむ意識で日々を過ごしていたら、想像もしていなかったことが起きました。

それは、



ご飯が美味しくなったこと!!

料理の腕が上がったわけもなく、同じものなのに、「世の中はこんなに美味しいもので溢れていたのか!」と毎食感動しながら食べています。

同じように旅行しているのに、何倍も楽しい。日々の一つ一つの予定がとっても楽しみで楽しい。同じ物を見て、同じことをしても何倍も楽しい。
今まで、たくさんの良さを見逃してきたんだなぁと感じます。

「幸せはどこにでもある」
「幸せは今ここにある」
よく言われている言葉の意味は、こういうことなのでは?と、最近思うんです。

一見地味で、ささやかで、当たり前なこと。
それがきらめきや喜びだってこと。


その幸せを見つけ、感じられるのが、
子供の頃はちゃんと持っていた「楽しむ力」なのかもしれません。





竹内まりやさんの曲で、当時好きだったもう一つ「幸せの探し方」



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