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社長は本当に”孤独”なのか?〜カヤックにM&Aされちゃった社長の頭の中#06 〜

「やっぱり社長は孤独でしたか?」と聞かれて…

11月の頭に、コロナ禍を経て4年ぶりに開催されたカヤック本体の全社員が集まる「ぜんいん社長合宿」という総勢200人以上の大イベントがありました。従来は「合宿」の名前の通り、宿泊もあり1泊2日で行われていたそうですが、今回は久しぶりというのもあり宿泊なしでした。

その様子はこちらの記事に書かれています。

その名の通り、「みんなそれぞれ社長のつもりで会社のことを考えよう」というのがその主旨で、会社の文化を支える大ブレスト大会がそのメインイベントでした。

以前こちらの記事でも触れた通り、カヤックはこうしたリアルイベントに想像以上にこだわりのある会社です。その目的はやはり企業文化の醸成。今回もやはりそれをヒシヒシと感じる濃い時間でした。

そんなイベントに参加しながら、ふと思い出したことがあります。

それは、自分が社長を辞めてから何度か「社長って、やっぱり孤独でしたか?」と聞かれたことです。

最初のころは自分も不意打ちを食らったような気になって、あまりうまく答えられませんでした。そのうち「あれ?そんなに悲壮感漂ってるかな?(恥)」とも思ったんですが、相手との関係性からも同情したり見下したりという感じもしないので、逆にどう答えたらいいかわからず、笑ってごまかしたりもしました。

聞いた人の中には、起業を決めきれずにいたりとか、シンプルに社長の気持ちに興味を持つ人もいたのかもしれません。

そんなことをふと思い出したので、たかだか丸7年程度の経験ではありますが、そのころの自分がどうだったかを思い起こしてみることにします。

なぜ社長は”孤独”と思われるのか?

「社長は孤独」というのは当たり前のように語られるフレーズです。おそらくそれは、「最後の最後の意思決定は誰にも相談できず、自分自身で決めるしか無い」という重い責任を背負った立場を表現したものではないかと思います。

でも正直いうと、自分自身はそれほど孤独を感じたことはありませんでした。というのも起業した当初は色んな人に相談したり、足りない知識を補おうという動きは自然としていましたし、そういう時には想像以上に多くの人が時間を割いてくれたり、耳を傾けてくれたからです。今でも思い出すと感謝しか無いですね。でもそれは決して自分だけではありません。

少し大げさに言うと、社長というのはヨコ横断的なネットワークを最も作りやすい職種なのかもしれません。みんながお互いに非常に強い興味を持つ性質がありますし、その心境を共有しやすいのかもしれません。実際に起業したばかりの社長をサポートする組織や制度は、想像以上に全国津々浦々で様々な形で存在しています。なので判断できない悩みを抱えたり、どうすればいいか結論が出せずに困ったり、そういう意味での”孤独感”はむしろ感じることが少ない気がします。

もっというと「最後の決定権が社長にある」というのも、実はそれほどでもないかもしれません。自分の場合も常に株主にはきちんと相談したり、大事なことは判断を仰ぐことも少なくありませんでした。それ以上に、顧客やクライアント相手の事業は、やはりその意志を尊重せずには成り立ちません。もちろん社員やその他関係者の意見を考慮すべき場面も普通にあります。ですので、社長がそれほど自分の思うままに決定できるかというと、それほどでもないのではというのが、自分のような小さな起業経験からも感じられます。

しかし一方で、これは社長にしかない特権というか、社長がその立場で最も求められることがあります。

それは、「何かを始めようとする」ことです。

言うまでもなく、社長はほとんど「あれやれ、これやれ」と指示されることはほとんどありません。なので事業にせよ、何かしらの制度にせよ、始める起点は社長が担う事が多いです。もちろん会社の規模感によってその細かさには違いがありますが、何をどうしたいという最初の意思は、社長であることがほとんどです。その一番の起点はいうまでもなく、会社をどうしたいという経営理念や企業ミッションにあると思います。

この"起点"は社長の意志がかなり色濃く反映されるものです。一方でここには”孤独”という言葉に含まれる悲壮感や孤立感はありません。むしろ起業するような人は、これがしたくてするわけですから。ここには究極のジブンゴトしかありません。

本当はみんな”孤独”かもしれない

そういう観点からみると「ぜんいん社長合宿」には中々深い意味がこもっています。それは「全員社長のように俯瞰した視野で会社全体を見てほしい」という意味よりも、むしろ「もし自分が勝手に何かを始められるなら何をする?」と問われている気がします。その発露こそがジブンゴトの原点だということです。そしてそれは、実際には社長だけの特権ではないという意味ではないかと。

その意味では、実はだれもが”孤独”であるべきなのかもしれません。

自分の意志を原点に、それを形にすることが仕事の本質だとしたら、基本的にはそれは社員全員に与えられた権利のはずです。もちろん360°どこに向かっていいというものではなく、ある程度会社の方向性に沿ったものというのは当然です。そこは会社を選ぶときに揃えておく必要はあります。

誰もが”孤独”という意味でいうと、もう一つの側面があります。
無理に哲学じみたことを言うつもりもないのですが、人は所詮それぞれが独立した存在でしかありません。当たり前ですが、自分と100%同じことを感じたり考えている人はいないわけです。これは当然、社長だろうが社員だろうが同じ。そう言う意味で、社長だけが特別”孤独”だというのは、所詮思い込みにしか過ぎないのではないでしょうか。

やっぱりみんな、誰もが同じように”孤独”なんですよね。きっと。
社長という立場はそれを感じやすいだけなんじゃないかなと思います。

“ジブン株式会社”の発想が大切

少し前から「ジブン株式会社」というワードを目にすることが増えてきました。これは決して、「自分ひとりだけの会社法人を設立せよ」という意味ではなく、自分のキャリアを一つの"会社"に見立てて自分自身がその”社長”であるという意識で考え、行動していくべきだという発想です。
最近とくにこのテーマでの発信をされているのが、地方創生分野の事業家として著名な木下斉さんです。正にこの地方とジブン株式会社は親和性が非常う高いので、私自身も注目しているキーワードなんですよね。

この”ジブン株式会社”の考え方には深く共感しています。
「ぜんいん社長」も同じですが、自分の意志をどこまで大事にできるかが、仕事はもちろん人生を楽しく充実させる唯一の方法ではないかと思います。

ひとつだけ誤解の無いようにいうと、これは決して「自分が本当にやりたいことを見つけないと始まらない」という意味ではありません。個人的には、そんなものはほとんどの人は発見できないんではと疑っているくらいです。 ただ、どこまで確信があろうとなかろうと、「とりあえず」も含めて、自分の意志で"スタート"させるということにこそ意味があるんですよね。そこにしっかりと意識をもって、ちゃんと前傾姿勢で物事にあたるということが、このジブン株式会社経営の核心ではないかと思います。もしうまくいかなかったら、朝令暮改も社長の特権です。「君子豹変す」とはよく言ったものですよねw 方向転換しながら、また進めばいいんです。

自分は正式な社長ではなくなりましたが、ジブン株式会社は辞められそうにありません。これは決して格好つけてるつもりは微塵もなく、究極の自分勝手さが身についてしまったというか、社長を経験したことでそういう脳みそに変わってしまったというか、そんな感覚です。もしかしたら、これだけでも、起業した甲斐があったのかもしれません。その意味でも、やはりもっとたくさんの人が起業するといいのではと思わずにいられません。

ではでは。

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