安定を求めて「働く」ことの意味

若い人がキャリアを考えるとき、大企業に入って、正社員になって、あるいは公務員になって一生安泰と考える人は多いように思います。

確かに、これまでの日本型雇用では、正社員をメンバーシップとして終身雇用で定年まで面倒を見るという社会構造がありました。しかし、今後10年・20年の社会の変化は、これまでのものとは次元が違うでしょう。

高度経済成長の時は「過去の延長線」にある仕事をすれば良かったのです。これまでやってきたことをより効率よく・より早く・より安く、より良い品質で・・・それは日本人が得意とするカイゼンでした。

しかし、これからの社会は、非連続的とも言われ、どのように進化していくか、誰にも想像がつかない側面があります。そのとき、今の企業が終身雇用で今後40年身分保障をしてくれる見込みはどこにあるのでしょうか。

この点、以前、経産省の官僚の方と対談をしました。その一部を抜粋します。

伊藤:安定志向であるということ自体は、私は、間違いじゃないと思います。率直に言って、やっぱり人間の本質として安定を求めてしまうというのは、これはあっていいことだと思います。倉重:悪いことではないと。伊藤:ただ、昔のように、大企業に入る、あるいは官庁に入るということが、先ほどの話で言うと、人生100年時代に、いわばその終着駅につながっているレールかどうか、ということなんですね。だから、レールにのっとって行くという発想自体は別に悪いことではないんだけれども、その乗ったレールが本当に終着駅にたどり着いていますか、ということなんですね。それは、今のこの構造変化の中では、大企業に入ったり、官庁に入ることが必ずしもその終着駅まで連れて行ってくれるわけじゃないということ。それはやっぱり「安定」の概念が変わってきたということなんですよね。倉重:たぶん人によって違うんでしょうね、もう。そこに気づくべきですね。伊藤:違ってくると思います。まさにそれがパーソナイズされているということで、そういう中では、格好いい言い方をすると、「Will」と「Can」と「Must」で考えるとやっぱり「Will」が大事で、何をしたいのか。だけど、何をしたいかだけ言っていると、それは単に言っているだけなので、その「Can」、可動域ですよね。その「Will」を支える「Can」をできるだけ増やしていこうという動きが大事だと思います。それは大学時代もそうだし、もちろん会社に入ってからだってそれこそ学び続けで常にいろんなものを身に付けていく。それはスキルであったり、人脈であったり、経験であったり、その努力は怠らない。そういう中で、自分はこれをやっぱり成し遂げなければいけないという「Must」が出てくる。だから、「Will」があって、そのための「Can」があって「Must」があると、そういうことだと思うんですよね。

大企業に入ったら、公務員になったら一生安泰という時代は終わりました。そんな不確実な世の中を生き抜くためには、自分は何がしたいのか、それが分からなければ少なくとも「何がしたくないのか」から逆算して自分のキャリアを自分で考えていくしかないと考えています。会社に自分の人生を委ねるのではなく。

https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20181109-00102994/

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