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小説を読んで(言葉と音)

私はエッセイや好きな社会学などの分野の本はたしなみ程度によみますが最近は小説はあまり読んでいませんでした。学生時代には宮本輝さん「青が散る」「優駿」などはよく読みました。内容はかなり忘れてしまったけれど「流転の海」という作品は食い入るように読んだ記憶があります。

情熱的、大胆、破天荒、かつ繊細な一人の男が戦後の混乱期を力強く生き抜いていくようなお話だったと記憶しています。ただ物語全体は決して爽やかな話ではなく登場人物が悲しみや運命に翻弄される内容であった記憶があります。また、それ以上にこの物語になぜ惹かれたのかわかりませんし、今までわかろうともしなかったのですが、うっすらと記憶に残っている小説です。

それ以降祖母の家にあった例えば「ノルウェーの森」村上春樹さんの本をパラパラとしてみましたが、よくわからなかったので途中でやめてしまいました。
最後まで読めばおもしろかったのかもしれませんが食わず嫌いまでもいかずに保留にしてしまったので。ひょっとして大人になった今、読めば、さらりとまた読めてしまうのかもしれません。本は出会うタイミングもあります。それ以降全く手をつけてないので時間がある時にまた例えば村上春樹さん他小説を少しずつ読んでみたいとおもいます。

ただ村上さんでいえば「ひとつ、村上さんでやってみるか」と村上さんのファンが村上さんにくだらない質問から、悩み、素朴な疑問などをぶつけるエッセイ?回答集のようなものは何作か読んでいました。一つ一つのまとまりが短くて読みやすく、読み終わると不思議と気持ちがリセットされるような感覚で、村上さんが人気がある理由が少しだけわかったような気がしました。

話は少しそれますが、私は言葉より音にどうしても先に注目がいってしまうので、たとえば歌い手さんの歌も言葉よりもまず音色やメロディーが入ってきます。極端な話、たとえおかしな内容の歌詞でも一聴だけでは声やメロディーが美しければいい曲だなと感じてしまうとおもいます。それほど言葉に対しては鈍感なのかもしれません。

ただ最近NOTEで少しずつクリエイターさんが書かれている小説を読んで気付いたことがあります。また文章表現で表現されたいことは様々だと思いますが、やはり世の中、善悪や道徳でもわりきれない隙間のようなものがあります。その隙間を無視して、みないでいることもできます。ただ、そこに動く人間の機微をひろいあげようとしているのでは?と言葉に鈍感な私も今更ながら意識して感じたのでありました。また作者にそういう意図はなくとも、そこから滲み出る作者の人間性には興味があります。

個人的に自分に関して言えば、大人になるにつれ社会性を必要とされ子供のときほど感受性がなくなっているように感じます。

ただ最近少しだけ小説や文章を読んで感受性が刺激されました。

今日はそんなことを少し感じました。

本日は以上です。ありがとうございました。


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