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書けばわかる書かなくちゃわからない

これまで棕櫚に四つの短編小説を書かせてもらった。少し前のnote「曲を作るように小説を書いてみようとした」で述べた通り、僕の小説は良く言えば即興的、悪く言えば場当たり的な書き方をしている。最初に脳内に浮かんだ映像ありきなので、手を付ける前に「今回はこういう事をテーマにして書いてみよう」と考えるということはまず無い。何を伝えたいのかという事が明確にならないままふわっと書いている。

それでも最近、作品を通じて言いたい事が何も無いというわけでも無い、ということも分かってきた。何故なら、このnoteを書くために今まで自分で書いた四つの短編をあらためて見直してみたら、どの作品もつまるところ同じような事を言いたいのだな、ということに気が付いてしまったからだ。良く言えば一貫性があったし、悪く言えばワンパターンだ。

何度も言うが、こんなことを作者本人があらためて書くなんてたぶん興覚めかもしれない。でも今は、思ったことは全部書くと決めたから書く。

僕は、自分が自由でいられることを確認するために書いている。
おそらくたぶんきっと。

自分はこういう人間
自分はこうでなければならない
自分はここでなければ生きていけない
あなたはそういう人間
こういう集団はそういう属性
日本人は
男は
女は
でなければならない
そうに違いない

人間は、世界は、本当はもっと自由なもので良いと思うのに、僕も普通の人間なので、知らず知らずのうちにそんな呪いのようなものを自らの思考にかけてしまっていることがある。放っておいたら思考停止に陥ってしまいそうなそんな無意識を、自ら作った作品が少し解いてくれているような気がする。つまるところ、自分の救済のために書いているのかもしれない。

それをこうやって作品として発表しているのは、もしかしたら読んでくれた他の誰かの似たような呪いも少しは解けて、気持ちが軽くなってもらえたならとても嬉しい、という事かなとも思う。

このnoteを書かなければ自分でもそこまで整理できなかった。こうやって何かを書くという行為自体が思考の謎解きのようなものなのかもしれない。

だから好きです。

あ、でもここまで書いて気が付いたけど、バンドで曲を作って演奏することについても全く同じような事を過去に言ってたな、自分。

*イラスト:津川智宏

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