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失恋日記 人生は不可逆だから美しくて苦しい

もともと散歩は好きだったけど、失恋してからより散歩を好むようになった。散歩をしていると、自然と前を向ける、というよりも強制的に前に歩むことしかできないのだということを実感させられる。歩くということは、無理矢理後ろ向きに歩かない限り、前にしか進めない。来た道を戻ることはできるけど、それは時間まで巻き戻せるわけじゃない。2度と同じ景色を見ることはできない。そんな当たり前のことを感じて、人生って不可逆なんだなと感じる。だから振られて2度と会えないことが辛いし、2度と一緒にいた日々に戻ったり、後悔だらけの日々をやり直せないことが辛い。でも同時に、前しか見れない、戻らなくて済むことに少しありがたいような気もしている。戻れないことを自分の足でしっかりと実感することで、少しだけ諦めがつくような気持ちだ。もし、人生がやり直せるかもしれないと思ったら、そう簡単に諦めがつかない。不可逆であることでちょっとだけ諦めがついて、心が軽くなって前を向ける気がした。

不可逆という言葉を使うと、伝説的火曜ドラマ、カルテットを思い出す。季節的にもぴったりだと思い、アマゾンプライムを開いて、久しぶりにカルテットを見てみた。このドラマでは、人生は不可逆なんだということが一つのテーマとなっている。
例えば、第1話では、唐揚げにレモンをかけるかかけないか、についてを例にそのことを暗示する。

家森「別府くん唐揚げは洗える?」
別府「洗えません。」
家森「レモンするってことは不可逆なんだよ。」
別府「不可逆?」
家森「2度と元には戻れない。」
別府「・・・すいません。」

カルテット第1話より

この唐揚げにレモンのシーンは、覚えている限りでは一番最初にセリフで不可逆について向き合うシーンであったと思う。初めて見たときは、それよりも唐揚げにレモンをかけるというデリカシーのなさについてここまで語り合うある意味ハイレベルな会話が印象的すぎて、ここで人生の不可逆について触れているということまで気が及んでいなかった。しかし、第1話で人生の不可逆というこのドラマのテーマを提示することが、後々このドラマの大事な場面で効いて来るのだ。

物語は後半になり、もう一度人生の不可逆さについて家森が語るシーンがある。

家森「2種類ね、いるんだよね。」
別府「はい。」
家森「人生やり直すスイッチがあったら、押す人間と、押さない人間。
   僕はね、もう・・・押しませ〜ん。」

カルテット第9話

そしてその言葉を表すかのようにすずめと真紀はドミノ倒しを楽しむ。ドミノ倒しも、反対には決して進むことができない。人生の道は既に決まっていて、そう歩むしかなかったのだと言わんばかりにドミノ倒しが綺麗に倒れていく。

不可逆であることは、時に人を辛い思いにさせる。その代表例が別れかもしれない。でも、カルテットの4人のように、出会ったり、人を好きになることも、また不可逆なのだ。だから、人生やり直しスイッチがあっても押さない。今そばにいてくれる友人や家族、そして自分が大事に生きてきた人生はどれも宝物みたいに大切だから。別れは辛くて苦しくて寂しいけれど、あなたのことを好きになれたその時間も愛おしくて、人生が不可逆でよかったと心から思う。

巻さんは奏者でしょ?音楽は戻らないよ。前に進むだけだよ。
一緒。心が動いたら、前に進む。好きになった時、人って過去から前に進む。私は、巻さんが好き。

カルテット第9話より

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