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黄昏に消えた翁

立川にある、諏訪神社のお祭りに行ってきた。
諏訪神社は、
大国主命の二人目の息子
といわれている神さまで、
長野県の諏訪大社を総本社とする
全国展開型の神社の一つ。

諏訪神社のことは、
大学3年のときに
一度論文で読んだことがあった。

四年に一度、
御頭祭と呼ばれる、
鹿の頭を神前にささげる神事があり、
現代のこの世にまでそのような、
いわゆる生贄の儀式(実際は剥製だけど)が残っていることに驚いて、記憶に残っていた。

立川の諏訪神社のお祭りは、
100に近い露店が出店する大規模なもので、
神社までの道のりでは、
いくつもの山車が出ていて、
祭りへ向かう気分を盛り上げていた。

backnumberのわたがしという曲が大好きで、
ここ二年くらいずっと
お祭りでわたがしを食べたかったのだけれども
念願のわたがしを食べた。
口で溶かそうとしたけれど、
溶けきらなかった。
歌と違ってうまくいかないんだな。

生まれて初めて、お面を買って、
ずらして頭につけた。

キツネの面。

こういう昔ながらのキツネの面なんて売っているの、初めて見たよ。
面というのは、もともと、
つけることで神に扮する意味がある習俗で、
なんだか自分が人間界のお祭りに観光しにきたような気分になる。

広い境内の中、
ひときわ拓けた場所に、
お化け屋敷が出店していた。

「お祭りでお化け屋敷に入るなんて、御霊祭り以来だね」

なんて言いながら入った。
昔ながらのお化け役の方はちょっと優しくて、
脅かした後に、
驚いたわたしが落としたヘアピンを指差して、
落としたことを教えてくれた。

お化け屋敷を出ると、
向かいの露店で焼きそばが売っていた。
キクラゲが入った、珍しい焼きそば。

並んでいると、突然現れたおじいさんに、
声をかけられた。
白いTシャツに
バカボンのパパのような腹巻き。

あ、えびす顔だ。と、思った。

晴れてよかったねぇ、
と天気の話から始まる会話。

「でも、ここの神は、もとは水神だからね、雨が降っても、べつによかったんだよ」
おじいさんは言った。
「まあ、そうなったら、ここの露店は全滅だけどね」

言われて周りを見渡すと、
境内を埋め尽くす露店や、
そのオレンジ色の光、
浴衣を着て走る小学生、
からあげを頬張りながら歩く精悍な高校生が、
フィルムの中の世界のように切り取られて脳裏に焼き付いた。

ずっと昔は、雨が降ってこそ、
この地に笑顔が溢れたのだろう。

人間界を観光している気分を引きずっていたわたしは、雨を降らすことの意味が、昔と今では変わってしまったのだと、ぼんやり考えていた。

「それはそうと。このお化け屋敷ね。俺のガキの頃からここの場所でやってんだ」
物思いに耽るわたしを、おじいさんの一言が現実に引き戻す。
おじいさんは推定70ほど。
おそらく60年も前から、
ずっとお化け屋敷はここに出店される。

些細なことかもしれないけれど、
そんな伝統が密かに、しかし脈々と受け継がれていることに、感慨深くなってしまう。

そして同時に、
70年も同じ場所に住み続けているという、
固定の地に住まい、その地を守り続けるなんてことが、この東京にもまだ生き残っていたことに愕然とした。

おじいさんは、
焼きそばを3パック買うと、
わたしに別れを告げ、雑踏に紛れた。
3秒後、もしかして夢だったのかしら
ともう一度振り返ったとき、
おじいさんはもう姿を消していた。

あ、そういえば、今、黄昏時、なんだっけ。

久々に訪れた、地域に根付いた歴史ある祭り。
もう随分と永いこと、
神事という本来の意味が失われている
現代の祭りの中で、
伝統と「異」に触れるという、
不思議な体験をした気がした。

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