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留学で変化した「家族観」

私の母と父はお互い「いい母親・父親像」をもてる環境で育っておらず、
迷走した少し特殊な家庭で私は育った。

業務連絡のようなラインしかできない父は、
長らく単身赴任中であまり会えておらず、
私は父の存在をたまに忘れてしまうぐらい、
私の人生の中での父親の存在感が薄くなってきている。

家族ラインはずっと動かないままだったが
今年の夏から弟はリトアニアへ、私はアメリカへ留学のために飛び立ち、
この留学を機に現状報告のために初めて家族ラインがちゃんと動くようになった。


私は60代のご夫婦の家の一部屋を借りている。
「ホームステイ」をするつもりはなかったが、
遠くからきた私が、できる限りのことを経験できるようにと
レシピを教えてくれたり、お気に入りの場所に連れて行ってくれたり、
まるでホームステイのようにアメリカ生活を過ごしている。

奥さんとは沢山のことを話してきたが、
お孫さんの習い事の試合に必ず応援しに行き、
仕事をしながらも家族と過ごす時間を沢山作る
非常に家族思いで、愛に溢れた奥さんに私の家族のことを話すと

「お父さんはあなたのこと誇りに思っているし、
 気にかけているけど
 どうしたらいいのかわからないと思うの
 だからあなたからお父さんに話さなきゃ!
 私に今日こんなことをしたよって教えてくれたみたいにね」

と、会って3日目ぐらいで言われたのである。

私は、
仕事ばかりで不器用で、自己中心的な父が苦手だった。
母が、まるでひとり親のように1人で苦しみ頑張っているのを知っているし
父が帰って来ると必ず喧嘩をする両親をみていて
母が離婚できないのは私たち子供がいるからなのではないかと
本当に思い悩んでいた時すらある。

家族が離れ離れになっているという絵すら描いたことがある

将来は
父とは違って一緒の時間を大切にしてくれる人と結婚したいと本気で思ってきた。

私は
私が父の存在を忘れがちなのは、父の自業自得だし、
関係修復は私ではなく、父の方から頑張るものだと思っていた。

しかし、このままでは良くないし、
私から頑張ってみてもいいんじゃないかと
人生の大先輩に言われて一歩踏み出してみた。

すると、父から初めて父が写っている写真が送られてきた。

すごく嬉しかったのだろう。

私は英語を中国に住んでいる間で学んでいたため、
今回の留学のメインは語学力アップではなく
将来の夢を叶えるためにずっと憧れてきたアメリカで生活をし
自分と向き合い、色んな経験をすることだった。

更に物理的距離が遠くなる家族のことはあまり何も考えていなかったが
留学開始から1ヶ月が経ち、奥さんとお話をしていて1番変化したのは

私の家族観だった。

崩れてしまってもおかしくない家族だと思っていたけど
みんな不器用なりに奥深くでどうにか繋がろうとしている。

捨てたものではないと感じた。

もし寮に住んでいたら
私は父と依然変わらない業務連絡ラインしかしていなかっただろうし
父が苦手だと感じ続けていたと思う。

出会うべくして奥さんに出会ったのだろうし
来るべくしてここにきたのだと感じる。

まだ留学して1ヶ月しか経っていないが

人生においてとても大事なことを学んだ。

この先を変えることに今足を踏み出すことができた。

あと5ヶ月でもっと人生に活きる経験をしていきたい。


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