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暮瀬堂日記〜文化勲章と永井荷風

 今年も文化勲章受賞者が発表された。巷間の知るところでは橋田壽賀子氏の名が見られるが、この時期になると思い出すのが、小説家永井荷風である。

 権威や権力に対しては冷笑的で、それらとは無縁に思われた荷風散人であったが、昭和二十七年秋、朝永振一郎、梅原龍三郎らと共に勲章を受ける。

 選考委員の一人であった久保田万太郎が説得したとか、文化功労者年金に惹かれた、など色々言われているが、『断腸亭日乗』にはその経緯は記されていない。ただ、その日記の中で、文化勲章受賞に値するものがあるとしたら、断腸亭日乗を書き続けたことであろう、と述べている。


 昭和十九年三月九日の日誌には、空襲で住居「偏奇館」が消失する際に、草稿と日誌をカバンにつめて逃げる様を克明に記録している。
 日記は、一九一七年(大正六年)から、死の前日の一九五九年(昭和三十四年)まで、一日の休みもなく、執念のように書き続けられた。

 漢文様式の格調高い名文で墨書され、自ら和紙で綴じていたが、戦後は大学ノートにペン書きとなる。

 昭和八年春には、日記が十七巻になるのを顧みて、

  かぞへ見る日記の巻や古火桶

 一句を為している。
 日記の最後は、

   四月廿九日。祭日。陰。

 祭日は昭和天皇の誕生日である。翌日、家政婦に喀血しているのを発見され、傍らのバッグの中には、通帳や土地の権利証、文化勲章などが入っており、通帳の残高は二〇〇〇万を超えていたとのこと。当時では相当高額であるが、莫大な印税が入り続けていたのだろう。

 荷風には遥かに及ばぬが、私も日記をつけて丸十四年となった。毎年、十一月三日には、荷風散人を偲ぶことにしている。

  文化の日ひねもす荷風日記読む


(新暦十一月三日 旧暦九月十八日 霜降の節気 楓蔦黃【もみじつたきばむ】候)

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