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読書会はやるものではなく楽しむもの▶泉ハナ

横浜読書会KURIBOOKSの一般参加者 泉ハナ です。
横浜読書会KURIBOOKS - 知的好奇心を解き放とう~参加者募集中~

なぜなのかさっぱり知らないけれど、コロナ前の一時期、読書会ブームというのがあって、あっちでもこっちでも読書会のお知らせがあがっていました。
ついでに、あっちでもこっちでも読書会開催したい、ファシリテーターになりたいって人が声を大にして言っておられました。
やりたいって思うのは良い事だけれど、実行に移すのはなんでも難しいし、実際それをやる(この場合開催する)のはもっと難しい。
私、仕事でいろんなイベントやったし、個人でもチャリティのパーティやらイベントやらやった事があるのでわかりますが、ほんと、”やりたい”と実際”やる”の間には、深くて暗くて険しい谷が横たわっています。

まず、普通は人が集まりません。
それこそ、フォロアー数十万人のインフルエンサーならまだしも、普通の人間には集客力は基本ない。
やたらゲーム強いゲーム友が、配信やったらいろんな人が見てくれるはずだとYoutube初めてみたら、1週間経っても3人くらいしか見てくれなかったとすぐにやめちゃいました。
読書会とてそれは同じ。
次に、主催者は参加者を選べません。
最初は誰しも初対面。本について話しましょうという基本ルール以外、共有するものはなし。どんな人が来るかは神のみぞ知る。
基本、自分のビジネスの売り込みとかそっち系は禁止になっていますが、そうじゃなくても思わぬ事態というのは起こります。
いろんな人が来るというのは、それだけ楽しい意外な面白い出会いもありますが、真逆の事も当然起こりうる。
主催者はその差配をし、うまくまとめてみんなが楽しめる場と空気を作らなければならない。
やったことあるからこそ言えるけど、これ、ものすごく大変な事です。

横浜読書会の主催KURIさんが以前、「本好きならそれでいい。私はもっといろんな人に本を読んでほしい」と言っておられました。
この読書会は徹頭徹尾、その言葉のもとに運営されています。
人が集まれば、いろんな事が起きます。
過去思い起こせば、オタク関係、同人関係、ゲーム関係、いずれも思わぬとんでもない事態が起きたり、おかしな言動をする人によって困った事になったりしました。某著名作家の方のファン同士でも起きて、ファンクラブ離散になったのも見ています。
巻き込まれて嫌な想いをしまくり、ゲーム辞めたり同人活動から手を引いてしまったりした人もいます。
好きな事をやめてしまうくらいだから、そりゃもうよほどの事。
私自身、そういうのを見聞きして経験もしてきたから、自分で何かを主催する事はやめたし、初めて何かに参加するのにも躊躇する気持ちが先にくるようになりました。
そこから考えると、KURIさんの「本好きな人なら誰でもウェルカム」って言葉のもと、長く運営されているという事実はかなりすごい事だと思います。

今年で3週目の「源氏物語」ですが、私は高校生の時、田辺聖子さんの訳で読んでいました。
読書会でやるからと再読、毎回楽しみにしていたのですが、中盤に差し掛かって、あり?と気づく事あり。
「このまま進むと、残り二か月を残して私が読んだ源氏物語のすべてが終了する……なんで?」
なんでじゃないわ。
なんと私、「宇治十帖」の存在を知りませんでした。
馬鹿なのか! 馬鹿だろう! 古典で習っただろうに!
慌てて探した田辺聖子版宇治十帖、kindleで出ていてよかったです。
それをみんなに言ったら大笑いされ、「読書会に出ていてよかったね」と言われました。
ほんとです。
読書会出ていなかったら私、「宇治十帖」を知らぬまま、源氏物語完読したつもりのまま一生を終えるところでした。
あの世で紫式部にあわせる顔がない。

たまにこの読書会でも”私も読書会を開催しようと思ってます”という方をお見掛けします。
志はとてもいいと思うし、ぜひとも開催して成功させてください。
でもその前に。
いち参加者として読書会を楽しむ事、それって大事なんじゃなかろうかと思うんです。
楽しいってとても大事。
楽しくなければ人は集まらないし、続きません。
開催のノウハウを学ぶ事も大事なんだろうけど、参加者として、ひとりの本読みとして何を感じ、何を話し、何をどうみんなと語り合ったか。
その体験こそが読書会の醍醐味ではなかろうかと思う次第。
それを味わわずして読書会を開催しようとするのは、ちょっと無謀じゃないかい?と、その道をちょっと歩いた事のある私は思います。

泉ハナ



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