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創作は登山と同じ。そこに山があるから登る。作りたいものがあるから作るだけ。

創作って、辛い事が多い。
生み出す苦しみというよりも、その後の評価の事での悩みが辛いって事が多いと思う。

誰だって、評価されたい。

でも、創作って、本来点数をつけられるものじゃないし、それによって序列がつけられるものじゃないと思うんだよね。

創作者はアスリートじゃないんだから。


創作者は登山家のようなもの

アスリートと思うから、苦しくなるんだと思う。
新記録だ、日本一世界一だ、オリンピック優勝だ何だ何位入賞だ、
そういう結果が全てと捉えちゃってない?

いいね数やフォロワー数で測られる社会だから、数=戦闘力に捉えちゃって、その多い少ないによって勝ち負けや優劣を感じてしまうのは仕方ない。

でも、創作って本来そういうものじゃない。
創作って、登山と一緒だと思うんです。
そして創作者は、登山家だと思ってる。

エベレストに100回登頂した登山家だけが凄くて偉いのか?決してそうではないよね。
登山家って、たくさんいる。山の魅力を教えてくれる登山家、登山の情報を発信してくれる登山家、山の絶景を撮ってくれる登山家……素敵な登山家はたくさんいるよね。

それに登山に、優勝も何もないよね。

何の為に山に登るの?有名になる為?金稼ぐ為?エベレストに100回登頂成功させてギネスに載る為?
たぶんそう答える登山家は、ほとんどいない。

登山家は皆、「そこに山があるから」ってだけ答えると思う。
山があるから、ただ登るだけ。

これを創作に当てはめると、「描きたい、作りたいから。それだけ」って事になるのかな。
何の為に作るのか?作りたいから、ただ作るだけ。
創作者の原動力って、シンプルに考えれば「作りたい」という単純な理由から生まれてる。

悩んだらまず、自分の創作の原点に立ち返って

作っているうちに評価うんぬんが入ってきてこじらせて悩んで、「評価されたい」になってしまって目的が見えなくなっちゃう事が多いけど、
悩んでしまったらまず、初心に立ち返って。

創作者の皆、君は何の為に作るの?
「作りたいから」じゃない?


評価を得られなかった、得られなくなった為に筆を折ってしまった人はいると思う。
評価を抜きにしても、自分の満足いく作品が作れないスランプに陥ってしまい、筆を折ろうかと考えてしまってる人も。

「もう作りたくない、作らない」となってしまったなら仕方ない。

でも、「まだ作りたい」という思いがあるのに、「自分はこれが限界なんだ。自分にはもう無理だからやめよう、やめるしかないんだ」となってしまうのはもったいなさすぎる。

評価に打ちのめされて、または自分の創作に満足できなくなって、自分の無力さに絶望する事もある。
でもそこで、「自分の創作者人生は終わった」となってしまうのには「それは違うよ」と言いたい。

登山に終わりはない。
エベレストの頂上に立ったとしても、永遠にそこにいられる訳じゃないし、いつかは下山しなければならない時が来る。

でも、下山は終わりを意味しない。

エベレストを下りたからといって、下りざるをえなかったからといって、登山家人生が終わる訳じゃないのと一緒でね。

もう一度再挑戦してもいいし、別の山に登ってもいい、登頂するという目的や目標だけにこだわらなくてもいい。山の景色を撮るとか穴場スポットを見つけるとか、視点を切り替えてもいい。
そうやって登山は続いていくように、創作もまた続いていくものだと思ってます。

評価に振り回されて筆を折ってしまうのは自分の創作に対してもったいないし、申し訳ないし、癪に障るでしょ。
自分の中で創作を愛する思いがまだ残っているのなら、その思いに寄り添ってあげてほしい。
「作っていいんだよ」と言ってあげてほしい。

全創作者が、自分の創作を再び愛せるように。

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