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はじめて借りたあの部屋は

今振り返ると、ちょっとめんどくさい部屋だったなあと思う。

その部屋は、大学に進学するにあたり一人暮らしをするために借りた部屋だった。田舎で家族に囲まれてぬくぬく育った私にとって、京都のど真ん中で始める一人暮らしは、わくわくよりも心細さの方が勝っていた。

初めてする一人暮らし、初めて借りる部屋ということで、結構適当に部屋を決めた。というか、適当に決めざるをえなかった。選択の余地がなかった。

といのも私は第一志望の国公立大学の受験に失敗し、滑り止めの私立大学に進学しようと決心したのは3月中旬。部屋探しのスタートが遅く、好き勝手選べる程に大学付近のアパートの空き室が残っていなかった。


進学した大学の生協のお兄さんに相談に乗ってもらいながら、ああでもないこうでもないと悩んで決めた部屋は、今思うとすごい部屋だった。


築34年の古い建物。

脱衣所がない。

3階建てでエレベーターがない。

洗濯機がベランダの外にある。


これはまだ全然大丈夫。4年間で外に置いていた洗濯機はボロボロになっちゃったけど。


オートロックがオートロックじゃない。

正確にはオートロックなんだけど、自動ドアではなくて、がちゃっと開けるタイプのドアだから、住人の皆さんは開けっ放しで出かけちゃうことが多い。常に開けっ放し。誰でも自由に入れちゃう。そして両手がふさがるほどの荷物を持っている時に限って閉まってる。なんでやねん。


毎月大家さんに家賃を手渡ししにいかないといけない。

これは本当にびっくり。平成の時代に。家賃を手渡し。

銀行振り込みではだめだった。「毎月、住居者さんの顔をちゃんと見ておきたい」という大家さんのご意向で、私は毎月、アパートから徒歩5分のところにある大家さんの家に、家賃の入った茶封筒の握りしめて持っていかなくてはいけなかった。これがまあ、めんどくさい。

数万円が入った封筒を、5分間も握りしめて大家さんの家に持って行く。今思うとなんてことないんだけれど、当時18歳だった私には大ミッションだった。5分の間にこの家賃数万円を落としたらどうしよう、盗まれたらどうしようとヒヤヒヤしながら大家さんの家への道のりを急いだ。


毎月毎月、家賃を持って行くのは正直すごくめんどくさかった。けれど同時に楽しみでもあった。

私が大学に入学するとほぼ同時に、大家さんに姪っ子が生まれた。大家さんの家に家賃を持って行くと、その姪っ子さんが必ず出迎えてくれた。


生まれたばかりの頃、ベビーベッドで眠っていただけだったの大家さんの姪っ子さんは、やがてハイハイをするようになり、立って歩くようになり、「はい、どーぞ!」と私に家賃の入った封筒を返してくれるようになった。


大学生の4年間、この大家さんの姪っ子さんの成長を見守るのが密かな楽しみとなっていた。


また、家賃を持って行く度に大家さんはいつも何かしらのプレゼントをくれた。6月には水無月という三角形のういろうの上に甘煮の小豆を散らしたあのお菓子をくれた。無知な私に「京都では6月30日に、この水無月というお菓子を食べるのが習慣なのよ。」と教えてくれた。年末には「大掃除ちゃんとしなさいね」と、ごみ袋をくれたこともある。


家賃を毎月手渡しをするのは正直とってもめんどくさかった。だけれどいつしか、毎月大家さんに会うのがとても楽しみになっていた。


大学を卒業し、就職をしてから私は3回も引っ越しをした。社会人になってから住んだアパートはどれも家賃は銀行から引き落とし。毎月勝手に家賃が引き落とされる。

平成から令和に代わり、時代はキャッシュレス。そもそも現金を持ち歩く機会も少なくなったから、今思うと家賃を手渡しなんて考えられない。


でも、ちょっとめんどくさかった家賃手渡しは、大家さんの優しさや温かさに触れる貴重な時間だった。


大学生の頃、あのちょっとめんどくさい部屋を選んでよかったな。あの部屋に住んでよかったな。


#はじめて借りたあの部屋

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