見出し画像

【備忘録SS】それは「不要な」ハウエヴァー。

「でもでもばっかり言ってるんじゃないわよっ!」
フロア中に、金属を引っ掻くような女性の怒鳴り声が響き渡った。

「えっ……でも」
「知ってる?逆接語は相手の気分を萎えさせるのよ。もうこれ以上あなたと話したくないわ!」
書類をテーブルに投げ付けた女性は、憤懣やる方ない様子で打合せテーブルから出て行った。

残された若い女性は、ずり落ちた眼鏡を掛け直すこともなく、俯いたまま動こうとしない。
そんな彼女の肩に、ポンと手が置かれた。
「検見川さん、少し休憩しよっか」
財布とスマートフォンを手にした四条畷紗季が、明るい口調でそう言った。

「すみません、お気遣いいただいて……」
2つ上のフロアにある休憩スペース。カフェオレの入った紙コップを両手で包みながら、検見川涼子は頭を下げた。
「いえいえ、私もアイデア煮詰まっていたので丁度良かったですよ」
炭酸を飲みたい気分だった紗季は、某メーカーの強炭酸飲料ペットボトルを、くるくると回している。
「しかし災難でしたね、大洗女史に目を付けられるなんて」
経理部の大洗引代は、経理処理の細かいミスを見つけては無差別攻撃を行うことから、本社メンバーからは【女帝】と恐れられている。

「でも、それは前月と同じミスを繰り返した私が悪いんです」
「引継内容が残っていないイレギュラーな業務を受け持っていたら、多少のミスはあると思いますよ」

先月育児休業から復職した検見川は、前任の女性が退職したタイミングに間に合わず、満足の行く業務引継ぎを行えなかった。
加えて、前任しか分からない業務が連発したため、すっかり自信を無くしてしまったのだ。
上司である寝屋川慎司からそれとなく目を掛けておくよう依頼された紗季は、彼女のモチベーションを上げるキッカケを探っていたのだ。

「……検見川さん、先日纏めていただいたデータ、凄く分かりやすかったです」
話の糸口を探るため、テーブルの上でペットボトルをクリクリしながら、紗季は話を始めた。
「あれは……たまたまお休み前によく取っていたデータだったので……」
「検見川さんがお持ちのスキルが、私の企画を助けてくださいました。貴女が復職していただいて、私は本当に良かったと思っています」

「四条畷課長って……女性にしておくのは勿体無いですね」
少し顔を赤らめた検見川は、少し咳払いをするとポツリポツリと話し始めた。
「昔は、もう少し明るい性格だったんですよ。怖いもの知らずだけだったのかも知れませんが」
カフェオレをひと口含んだ彼女は、言葉を続ける。
「詳しくお話するのは控えますが、結婚から出産、育児を経験する中で、何度かココロが折れそうなことがあって……自分自身も驚くほどキャラクターが変わってしまいました」
紗季は目の前に座っている、ひと回り歳上の女性を改めて眺めた。まだ数ヶ月の付き合いだが、今の話で全体的に感じていた自信の無さの理由が明らかになった。

(さて……どうしましょうか)

両手のクリクリを継続しながら紗季はゆっくりと思考を深めていく。

(こんなとき、あの人だったら……)

「……検見川さん」
ややあって、紗季は言葉を向けた。
「はい?」
「私の秘密兵器、見たくないですか?」
そう言ってニヤリと笑った彼女は、不思議そうな顔をした検見川に対して、手元のファイルボックスから何かを取り出した。
「それは……ノートですか?」
「惜しい!これは【ノート型のホワイトボード】です」

ペラペラと頁をめくった紗季は、少し力を加えてそれらを切り離した。
「マグネットでくっついているだけなので、簡単に1枚ずつ分けることができるのです」
「あの……これで何を」
怪訝そうな表情をした検見川に、紗季はホワイトボード用のペンを手渡した。

「今からここで、今回の課題共有と解決方法について話し合う時間がスタートします!」

そう言って、紗季は自分が考え得る『目一杯のドヤ顔』を浮かべてみせた。


◾️Kindle書籍「ショートストーリーでわかる 営業課長の心得帖」全3巻好評発売中です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?