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【ジェンダーフルイド】子供時代のヒント

子供の頃って、特に根拠もなしに「自分の状態や生きている環境こそが普通だ」と思い込んでいる時期があると思います。

そのまま何の障害もなく成長できるなら良いのですが、私の場合はそうではなく、モヤモヤを抱えて育つことになりました。

ただ、今振り返って見ると、どうやらその「モヤモヤ」や、自分が何の気なしに信じていた「当たり前」に、ジェンダーフルイドとしての自分に気付くヒントがあったな、と思ったので、今回書いてみました。

これは、性的少数者の中でもさらに少数派(と、現時点で思われる)ジェンダーフルイドに最近気付いた当事者のお話です。色々ありまして自覚するまでに30年ほどかかったのですが、それはまた別の回に書きました。世の中の大多数の方は経験しないお話だと思いますが、それでも興味をお持ちの方は、どうぞこの先にお進みください。

【この記事は、ジェンダーフルイドや性的少数者の全てを代弁したりするものではありません。あくまで、私の経験と思考に基づく個人的なお話です。】


普通のジェンダーからちょっと外れた家

私は、令和の今はごく普通になりましたが、平成の当時には珍しかった家庭に生まれました。会社員の共働きで、母は土日にも出勤し、父親も仕事をしつつ私の保育園の送り迎えから料理に洗濯、掃除まで、必要な家事を当たり前にやる家だったのです。

別に意識が高かったというわけではありません。夜ご飯はファストフードになることもしょっちゅうで、家族の誰もそれを気にしませんでした。両親とも必死で働いていましたので、そうしないと家庭が回らなかったのです。小さい頃、私はこれを普通だと思って育ちました。

しかし、当時の日本では普通ではありませんでした。共働きで子供を育てることについて、親が年配の方(つまり、赤の他人)に小言を言われたことも1度や2度ではありません。今なら炎上するような話題です。

生まれる世界線を間違えたかもしれないが、メンタルは鍛えられた

生活は楽しい一方で大変でしたし、両親は疲れてケンカをすることもよくありました。私は当時「大人になったら仕事してお金を稼いで食べていくのが一番大事で、それさえできれば他は何でもいい。しょうがない。大変なんだから」と思っていました。

これが後になって、自分が何なのか迷ったり悩んだりした際、メンタルを支える防衛ラインのようになっていました。「最悪、自分が何なのか分からなくても、自立してそこそこ健康に生きてるだけで及第点だよね」と、思考を放り投げられましたので。まあ、そのおかげもあって自覚に30年ほどかかったわけですが。

余談ですが、後に「イクメン」という言葉を初めて聞いた時、私は「親が普通のことをやるだけなのに、どうして男親にだけポケモンのようなあだ名を付けるんだろう。」と反射的に思っていました。生まれる世界線を、ほんの少し間違えたのかもしれません。

全く気付かなかったけど、ヒントはあった

ヒント①身体に違和感はない。逆に、男女両方の服装にも違和感がない

幼少期から両親は私を「娘」として扱いましたし、私もそれが当然だと思っていました。けれど、幼少期から、男の子っぽい服も女の子っぽい服も、今思えば両方着せていましたし、私といえば、なぜかそのどちらにも特に違和感がありませんでした。

男女両方の服を着せていたからといって、両親が私にジェンダー教育をしようとしていたわけではありません。洗えて丈夫な服を着せていただけで、特にこだわりがなかったのです。

当時の写真を見ますと、男の子っぽい長袖シャツと半ズボンを着て、ショートカットにしていた頃に撮ったものと、小学校の入学式でスカートとブラウスを着て、セミロングの髪で写っているものは、兄妹くらい違って見えます。

当時を思い出しても、この両方とも、特に意識して男の子っぽくしたり、あるいは女の子っぽくしたりしようとしていた記憶はありません。自分はその都度違う格好をしているだけで、別に普通だと、その時は思っていました。

ヒント②他人に性別を間違えられても「分かるだろ」とキレる(面倒くさっ)

そのようなわけで、私は自分が普通だと思ったままのびのびと育ち、ある程度大きくなってから、学校や外の世界でモヤモヤの壁にぶち当たることになりました。

確か、髪をショートカットにして半ズボン姿でランドセル(当時は、女の子は赤、男の子は黒と決まっておりました)を背負って母と歩いていたある日、知らない人に「あなたは男の子?」と聞かれた時、なぜか私は腹が立って「いいえ、女です!」と言い返していました。

今思えばその方は「この子、見た目は男の子のようなのに、どうして女の子のランドセルを背負ってるの?」と不思議に思われたのかもしれません。

私の方は「(あくまで、当時の自分にとっては)普通の格好をしているだけなのに、どうして男の子か、女の子か、知らない人に聞かれなきゃいけないんだろう。私は女の子だし、ランドセルは赤なのに!」と、ちょっと憤慨していました。

……つまり、会話が全く噛み合っていなかったのです。

母はそんな私を見て「面白い子だな」と思っていたそうです。娘としましては、他人事かい、と母にツッコミを入れたくなったエピソードですが、私が知る限り母は性自認もジェンダーも女性なので、まさに他人事で当然でした。

ちなみに、小学生の頃は日によってスカートも履いていましたし、特に意識して女の子らしくしようと思うこともなければ、いわゆる男の子っぽい格好(例えば、ロングジーンズに大きめのトレーナー、スニーカー姿)をしたからといって、男の子になりたいといった願望も特にありませんでした。

ヒント③「小学校が息苦しい」で、中学受験を頑張ることに

最後のヒントは中学受験でした。

私は公立の小学校に通っていましたが、荒れた地域でしたし、高学年になると、周囲のクラスメートや同級生からは「お前、不思議だ/ヘンな奴だ」といった趣旨のことをよく言われました。

自分でも何が何だかわかりませんでしたが、彼らからしてもそうだったのだと思います。もともと集団生活は得意ではありませんし、その地域がそこそこ荒れていたことも手伝ってか、きついことを言われて言い返したり、衝突することも多くなりました。

お互い子供で違和感や悪意を意識しないまま、ブレーキが効かなかったのかもしれません。クラスメートにポツリと「よく分からないやつだからいじめてやろうと思った。でも、お前は強かった」と言われたことがあります。

「何かが普通ではない」ことに、私自身も親も気づいていたと思います。私にとっては運のいいことに、親は私を中学受験の塾に入れました。勉強はさほど好きではありませんでしたし、長時間の授業やテストが繰り返される塾も同様でした。

しかし「勉強を頑張っていい学校に行ければ、将来の選択肢が広がる」(これは、当時に限っていえば、半分真実でした)と言われたことと、塾では皆自分の成績が一番大事なので、成績さえ良ければ大抵の問題はなくなることが、自分のモチベーションになりました。

中学受験で私が受かったのは、いい意味で他人の見た目を大して気にしない、進学校の女子校でした。ここで6年間を過ごしたことが、私にとって違うヒントとモラトリアム期間を与えることになります。そのことは、また別の回に書きたいと思います。

長い文章をここまで読んでくださり、どうもありがとうございました。

それではまた。




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