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むやみに「多様性」を連呼するの、やめません?

もしそうなったら、もしかしたら性別に関係なく、生きやすくなる人が増えるんじゃないかな、と考えたので、書いてみました。

ここから先は、あくまで個人の見解です。興味がある方のみ、お進みください。書いた人は、ジェンダーが時によって揺れ動く性的少数者の「ジェンダーフルイド」を最近自覚した者です。だからこそ、就職活動や社会人生活をしていてモヤモヤしていたことがあります。

自分の会社の株を上げたり、優秀な人に来てもらうために、建前で「多様性」を掲げる企業はたくさんあるけど、男社会を本気でやめたい経営幹部クラスの人、実は言うほど多くないよね? とりあえず言ってるだけの人多くない?

本気で実現したいわけじゃないなら、別にそれで良いので。無理に「多様性を実現します」って、意味も分かってない絵空事を言うの、もうやめませんか? それ、結局誰も幸せになりませんよね? 

多様性って、言うだけの幹部たちは良いかもしれませんが、建前を間に受けて入社した少数派はたまったものじゃないんです。だってハシゴを外されるんですから。


多様性の実現って、結構大変だよ?

基本的に「距離感の配慮」が必要になる

多様性が平和に保たれる職場って、お互いが社会人としてスムーズに仕事をできるのが最優先で、それさえ満足にできれば、人種や国籍、性別や性思考、性自認が何だろうが気にしない。相手が言い出さなければ、プライベートな部分には無闇に立ち入らない、が徹底されてる場所だと思うんです。それこそ、オフィスやトイレだけじゃなく、チームランチやディナーまで。

そんなに線を引いて同僚と付き合うなんて淋しいじゃない。せっかく同じ職場なのに。という考え方もありますよね。

職場って、あくまで一緒に仕事をする場です。お互い感情を持った人間で、プライベートな生活もある。だからこそ、基本的に線を引いて付き合った方が、純粋に仕事で相手を評価しやすくなります。

あと、よく知らない相手といきなり距離を詰めようとするより、最初はお互い線を引いて仕事をしておいて「あなたのことは基本的にリスペクトしてますよ。全く興味がないわけじゃないんですが、あなたの地雷を間違って踏み抜きたくないので」という態度を保った方が、結果的に相性のいい相手を見分けやすくならないでしょうか。

騙されたと思って、団地のオバちゃんを見習ってほしい。

これ、実は、似たようなことを団地のご近所付き合いで軽々とやってのけるおばちゃん(現役世代)には何人も会ったことがあります。エレベーターで会った他の住民にはにこやかに挨拶して、共通の話題(ゴミ出しや改装、天気など)は軽く話すけれど、相手の名前も部屋番号も家族構成も、自分からは一切聞かないし、話さない。「私はあなたのご近所で、敵意はないよ」という点を、会話の形でお互いにさらっと共有するんです。

これ、本音でいうと、仲良くなったごく少数以外の人とは、会った時だけにこやかに挨拶や共同作業ができれば他はどうでもいいんですよね。下手にトラブルを起こしたくないし、相手はいつ引っ越すか分からない。皆、自分の生活を今の場所で平和に続けられさえすればいいんです。

「じゃあそもそも挨拶しなくて良いじゃん」と思うかもしれません。でも、平和に生きていきたいから、近所同士で最低限、リスペクトを持ったコミュニケーションだけを取る。「お互い必要以上に立ち入らないよ。迷惑はかけないようにしているよ」という意思確認のツールが上のような会話なんです。

プライベートの話題で相手のスキを見つけるの、卒業しない?

でも、私がかつて所属していた企業だと、自分より若い同僚や後輩に「自分のことは積極的に話すけど、相手のことは無闇に聞かない」スタンスを保てる人は少数派でした。

社歴が長くて、かつ上昇志向が強い人ほど、新しく入ってきた相手を探ったりマウントをとるために、プライベートの質問を不意打ちで持ち出して、答えさせようとする人は割と見かけました。それこそ性別を問わずに。

要は、自分にとって有利な立場を作りたくて、相手のプライベートに食い込もうとするんですよね。そういう意図って、会話の流れや間合いからにじみ出ます。

それならまだ、少数派を隠し通すのを覚悟して入社するくらいの方が、状況としてはコントロールが利く分マシです。安心してうっかり自分のことを話したら会社中で腫れもの扱いされたり、理解する気もない奴にイジられる、という方が、個人的には何倍もキツい。

いちいち気を使って話題も選ばなきゃいけないなんて、面倒臭いかもしれません。でも、多様性をリスペクトするって、実際必要なところに気を遣わなきゃできませんよ? それに、プライベート以外の話題って、探せばいくらでもあります。好きな音楽や映画とか、趣味の登山とか可愛いペットの話とか。

少数者のことが「分かりません」は、決して地雷じゃない。

私は性的少数者の中でもさらに少数派ですが「多様性といっても具体的に何のことなのか、メリットも含めて見えない。お金も人手もないから、投資にも限界あるかも」と正直に言ってくれる経営幹部の方が人として信頼できるし、相手の事情を理解できる分助かります。期待した分あとで失望する、という事故が、これだけでお互いに防げます。

知らないことは、努力して学んだり、相手から聞くしかない

私の家族や友人、信頼できる同僚たちが、ほとんど性的には多数派の人たちだから、そう思うのかもしれませんが、知らない、分からないことは仕方がないんです。だって相手の状況や立場を体験したことがないんですから。私だって、性別に関係なく、目の前の人の心情や状況を理解できる確信は全くありません。

分からないなりに、理解に近づこうと想像や思考を重ねて、今自分にできることの限界を素直に見極めようとする意思の方が、上っ面だけの言葉の何倍も価値があります。

私自身「目の前の相手を全員、心から理解するのは不可能だよね」と気付いたとき、他人に理解してもらおうとする期待を捨てました。その結果、生きるのが何倍も楽になりました。

お互い無理せずに「この同僚を大事にしたい」と思えるか

また、少数派が「ちっとも少数者の事情を理解してくれない!」と怒って感情をぶつけるのは簡単です。正直、辛くてそう言いたくなる気持ちは分かります。でも、それって初心者マークのドライバーに「首都高を今すぐ走れないなんて!」と言うようなものだと思うんです。

明らかに相手ができそうもないことや望んでいないことを強要すれば、相手もしんどいし、事故が起きますよね?

少しでも相手が過ごしやすくなるように、分からないなりにもっと理解したい、とお互いに思えれば、それで十分じゃないでしょうか。今すぐできることは少なくても、積み重ねていけば未来は明るいかもしれない。 

逆に、自分の事情に興味もないし、今の状況を変えたくもない、という相手に変化を期待しても、結果は対して期待できません。

必要な場所に、必要なだけの配慮があればいい。完璧な対応は不可能だし、そもそも望まなくていい。全体よりも、お互い目の前の個人とうまくすり合わせができればそれでいい、と思います。

だって、その方が叶える気もない理想よりずっと現実的で、相手に優しいから。

長い文を読んでくださり、ありがとうございました。

それではまた。

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