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死の不可逆性

毎晩、眠りにつくころ、僕はよく死について考えている。

思い返すと、僕が死を意識しだしたのは、確か幼少の頃だった。当時、どうして僕が死を理解したのかは正直覚えてない。

テレビ?
年の離れた兄の影響?
誰か亡くなったんだっけ?

なんだったかは覚えちゃいないけど、確かに、そこにある死を認識していた。

小さな頃から空想の世界で生きていた僕は、なんか変わった子供だったと思う。
両親は不仲で、かなり貧乏な家庭だったし、毎日不安を感じながら暮らしていた。

僕の暮らしが周りと違う事は子供なりに気がついていたけれど、それを認めたくないから可愛くて愛嬌のある子供を演じ、どす黒い僕の本質は誰にもバレてなかっただろう。

そんな、暗い井戸の底にいるような何も希望を見いだせない暮らしの中でも、僕は死ぬ事に対しての恐怖心を常に感じていた。

どうして、死ぬことは怖いのだろう。
それを僕はいつも考えている。
「動物としての本能だよ」といえばそれまでだけれど、不幸な暮らしの中でも生きることを選択する僕は、チグハグで不思議な生き物だ。まあ、それはみんなそうなのかもね。

「我思う、ゆえに我あり」有名なデカルトの言葉だ。デカルトが何をした人なのかは知らんけど。思考が止まるという事は、自分の存在を認識することができないわけで、それは確かに怖い。
その一方で、僕は自分と向き合う事が怖い。そんな自分が消える事は願ったりかなったりじゃん。なのに怖い。これは正に死のパラドックスだ。

でも、僕の認識している死は、人の肉体が動きを止め、この世からその肉体がなくなってしまう事だ。ならば、人は死んだらその意識はどうなるのだろうか。もしかして、意識だけは残り続けて、天国なんて場所からこの世を眺めてたりするのだろうか。
でも、その時間てどのくらい続くんだろう。永遠に意識だけが残り続けているのも、それはそれで苦痛だよね。死んでるから眠ることもできないし。でも、眠くならないのか。死んでるから。

そうか、天国はきっと退屈だ。だから生まれ変わりの整理券を神様が渡してくれて、ランダムで各国の胎児の中に、その意識を戻してくれるわけだ。
でも、前世の記憶があると、死んでも生まれ変われる事を覚えている人間はすぐに人生をリセットしちゃって、そうなると天国の生まれ変わり待ちの人たちの行列ができちゃうから、一旦記憶が消されている訳か。神様も粋なはからいをするものだ。

いや、でも意識は永遠に続いたとして、前世の記憶を認識できないのであれば、それは一周目の人生と何ら変わりないし、そこでもまた同様に死の恐怖心を感じながら生き続けて、結局またリセットされて、
なら、もしも死の果てには無しか待っていないのだとしても、結局同じことか。感覚としては無に還ってる訳だし。
そうなると、もしかしたら僕のこの命も誰かの無の先を生きているのかもしれない。
まあ、もう少しこの人生で暇つぶしをしようかな。神様から整理券を貰うのは、まだ先でいいや。

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