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女だから。とか男だから。とかじゃなくて「自分は自分だから」で良いのでは?

適応障害克服体験談は一旦おやすみして、今回は会社を休んだ日に考えたことを書いていこうと思う。


私は今日、会社を休んだ。言わばズル休み。
ただ、会社で女性社員に月1回認められてるブルーデー休暇というものを使ったから表面上は病欠。実際にブルーデーであることは間違いではないし。と思いつつも、少しだけ罪悪感を感じながら休みの連絡をした。

午前中はグタグタとYouTubeを見て、お昼に洗濯を回し、適当にお昼を済ませて前から行ってみたかった「上島珈琲店」に来てnoteを書いている。

今日休むことは昨日決めた。ブルーデーが来たこともあるが、最近少しだけ職場での自分の態度に余裕がないと感じていたからだ。他部署からの短納期の依頼にイライラしたり、愚痴がこぼれたり。先輩の意見を素直に聞けなかったり。自分の嫌な部分が出てきていた。これは完全に余裕がない証。こういう時は自分のために1日ゆっくり過ごして少しだけ余裕を作るようにしている。

今日締切だった業務大丈夫かな…。先輩に負担かかってしまって申し訳ないな…。と思ってしまうが、そんな時は、「その分、明日沢山頑張ろう。」と思うことにしている。(こんな後輩でごめんね、先輩…。)


ブルーデー休暇といえば、会社に制度ができた時、当時直属の上司だった女性先輩が怒っていたのを思い出す。

「男女差別だ。」

そう言って怒った先輩を見て、私はポカーンとしてしまった。生理痛が重い私にとっては願ったり叶ったりの制度だったし、女性が働きやすい職場作りは大切だと思っていた為、先輩の感情に全く共感は出来なかった。

「私は、上に行きたいの。性別なんて関係なく、一人の人間として役職についてバリバリ働きたい。まだまだ性別による差別があるから、それを無くしたい。だから私は、結婚も子供も役職に着くまではしないし作らないって決めてる。なのに、なんなのこの制度は。差別じゃない。女ばかり優遇してバカにされていると感じる。」

先輩は怒りながら、そう言い放った数ヵ月後に会社を辞めた。

難しい。とても難しいと思った。

会社としては、女の人が働きやすいように「産休」や「ブルーデー休暇」などの制度を作っているのにそれに対してこんな意見も出てしまう。

ジェンダーレスという言葉をよく耳にするようになった近年。正直、私は性別関してそんなに深く考えず生きてきた。男だから…女だから…という考え方をする人達が周りに居なかったからなのかもしれない。というより正直性別に関してどーでもいいと思っていた方が強い。今まで私は男の人としかお付き合いした経験はないけど、中学生の頃、姉のボーイッシュなお友達をとても尊敬していて、好意を持って毎日お手紙を書いていた。返事がくると飛び跳ねて喜んだ。もしかしたらあれは恋だったのかもしれない。結局、性別なんて関係なく、人を好きになる時は人間として好きになる。友達もきっとそう。私に男友達が多いのは、たまたま女友達よりも人間として気が合う人が多いだけ。気が合うなら男でも女でもどっちでもいい。実際、友達は男女関係なく、自分の意見を持っていて、行動力がある子が多い。

だらだらと書いてしまったが、何が言いたいかと言うと。性別とかもうそんな考えなくて良くない?て話。

自分らしく、自分軸で、自分の幸せを最優先して、楽しく生きればいいじゃないか。

それに対してなんか言うやつは、自分軸で生きれないおつかれピーポー(古い)だなって思って哀れみの視線をプレゼントしてあげればいい。

自分が幸せであることを最優先して、最終的に自分を幸せにしてあげられている人が勝ち組なのだから。




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