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おたがいに〜美術館さんぽ8/3〜

テート美術館展 国立新美術館

友達と電車内で待ち合わせして美術館へ出かけた。
国立新美術館。最寄り駅は日比谷線・六本木駅もしくは千代田線・乃木坂駅。
乃木坂駅は美術館と直結しているので、改札を抜けたら階上に向かうだけ。
今回は日比谷線を利用した。
この猛暑、ギリギリまで外に出たくない!
ミッドタウンを経由して、地下迷路をくぐる体で美術館を目指した。

テート美術館展 光  ターナー、印象派から現代へ

「英国が誇るコレクションより光でたどる美術史」らしい。
柔らかな光を描いたターナーの作品は何度か目にしている。
本展は18世紀末から現代までの名品120点を公開。テーマごとに7つの部屋に分かれていた。

古代、光の解釈はこうだった。
「善と純粋」
対しての闇は「破滅と悪」として忌み嫌われた。光は暖色で柔らかに暖かく。災禍の中に灯る光は希望のようだった。
闇との対比。そこで思ったのは「光はそれだけじゃ輝けないこと」。一面が光り輝いていたら光は認識されないだろう。
深い暗闇の中にあるから光の存在が増すのだ。

印象派の時代、制作は自然の中でされるようになる。光や大気、動きの束の間の変化をカンヴァスに留めるためにそうしたらしい。
描かれる光は自然なものになっていく。
対比ではなく、そこにある光。
朝露に反射する光や雲間から射す光。
どこかで目にした瞬間を一瞬で思い出させる。

体験型の作品もあった。
ジェームズ・タレル《レイマー、ブルー》は作品を見つめるうちに自分が近づいているのか遠くにいるのか分からなくなった。
平面なのに迫ってくるような。直島で見たタレルも不思議な感覚だった。

造形作品は視点を変えると印象が変わる。
何度か立ち位置を変えて見直した。
錯覚かもしれない。会場の照明かもしれない。覗き込んだり離れたり、好きなように楽しめる。

トップ画像にしたのはオラファー・エリアソン《星くずの素粒子》。素粒子とは物質を構成する基礎となるものらしいが、これが星くずの基礎?緻密な構造物の影が白い壁に映し出される。

光って壮大なテーマなんだな。
自分の言葉を当てはめてみても次々と浮かんでくる。眩しかったり暖かかったり胸を撃ち抜かれたり。
アーティストたちの中にどんな光があったのか。もう一周してみたくなる展覧会だった。


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