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【働く男|星野源】「バズらせる」の違和感

「バズらせる」という言葉に違和感を覚える。

「バズる」ならわかるのだ。

人から注目を浴びること。

ネットでのことを主に指していそうな言葉だけど、もう一般化している気がする。

しかし「バズらせる」は何か違う。

「バズ」は自然現象的に起きるものであって、起こすものではない。

意図的に「バズ」を起こしたのなら「戦略勝ち」と言った方がかっこいい。

そんな意識があるのだろう。

ただ、この発言は「バズが起きていない底辺noterのやっかみ」と捉えることができる。

「バズ」は自然現象。
だからいずれ自分にもツキが回ってくる。

そう思っているところに「バズらせる方法」なんてノウハウがあってほしくないのだ。

僕はそれを知らないから。


今、星野源さんの『働く男』を読んでいる。

単行本は2013年、文庫版は2015年に発売された。

だが、中に書いてあるものの執筆自体は2013年以前に連載されていたものなので、内容は古い。

10年ほど前の源さんの言葉である。

なんというか、今の星野源よりは少し若くて幼稚な気がする。

現状をうまく捉えながらも「もっとこうしたい!」「こうだったらよかったのに!」と駄々をこねてる感じ。

「イケメンだったらよかったのに!」という言葉がまさにそれである。


なぜそのことを今話したのか?

ものすごくおこがましいけど、『働く男』執筆時の源さんと今の僕は同じ気がするからだ。

「自分の音楽が真ん中で鳴って欲しい」

そう思いながらもできあがる曲は暗めの曲ばかり。

「もっと明るければ明るい曲が作れるのに!」
「もっとイケメンなら明るい人生を歩めたかもしれない!」

そんな駄々をこねる気持ちが「『バズらせる』って言葉おかしいよね」と思う僕と重なっている。

「もっと人の目を惹くような内容を書きたい」
「そのくらい多様な人生経験があればいいのに」

まだ20代前半のクソガキが何言ってんの?

まだまだこれからいろんな経験ができるし、していくと決めている。

『働く男』を読んで当時の源さんと今の僕を繋げることができ、それを読者目線で読むことで「源さんの成長」を感じると共に「僕も成長できるかも」という希望を持った。

もし今後、「バズった」経験を持つことができて、「バズらせる」ってことをしたのならこのnoteを訂正しに来たい。

逆に「バズる」という自然現象の恩恵を受けたのなら「間違ってなかった」と、このnoteを引用して執筆したい。

執筆環境も、人に与えてる影響も、なにもかもが成長していることを願いつつ、「今を楽しむ」ということだけは変わらずにいて欲しい。

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