おそらく、僕が「勝つ人生」を歩むことはないだろう。
「人生で”勝つ”ってなんだろう」という疑問から、今日のnoteは始めていこう。
「勝ち組の人生」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。
大企業に就職する
会社を興して成功する
結婚して子宝にも恵まれる
有名になる
これ以外にもいろいろあると思う。
まとめると、「お金」or「家族」or「名声」のどれか、またはすべてを手に入れた人が「勝ち組の人生」と言えるのではないだろうか。
そう考えた時、僕の人生に「勝ち」は無いなと思った。
それは昨日のnoteに顕著に表れている。
雇われの身で「有能」と言われるのは、
卓越した技術を持つ
周りと連携を取れるコミュ力を持つ
これのどちらか一方を持っていればいい(両方持ちは最強)。
でさ、コミュ力って結構才能の部分が大きいと思う。
コミュ力って「話す力」と思われがちだけど、本当は「人に好かれる力」だと思うんだよね。
同じ言葉を言っているのに、一方の言ったことが受け入れられるということがあると思う。
「俺も同じこと言ったんだけど?」ってやつだね。
そうやって話を聞かせる=相手の懐に入るというコミュ力は、簡単には付かない。
「ならば技術を磨こう!」となるのが普通である。
しかし昨日のnoteを読んでほしい。
「技術を磨く努力をした」と、どこかに書いてあるだろうか。
書いてない。
だってやってないんだもん。
自分の技術不足を認識しながらも、改善する素振りを取らなかった。
だから店長は、僕に贈る言葉を悩むし、悩み絞られた言葉を見た僕は「自分は無能なんだ」と気がついた。
すべては僕の努力不足が招いたことである。
思えば、何かに全力で取り組んだことがあっただろうか。
学生時代、勉強は全然できなかった。
そしてできなかった勉強を頑張ったこともない。
部活では、半端に運動能力があるせいで部内では上位に位置していたけれど、大会に出て賞を取ったのは一度だけ。
その一度の賞も「優勝目指して頑張るぞ」と、練習に励んで取ったわけではない。
受験だって自分の学力で行ける学校を受けただけだ。
今まで全力を出したことが無い。
いや、これが僕の全力なのかもしれない。
「努力しない」のではなく「努力できない」のかもしれない。
それは「半端にできる」と思っているがゆえの怠惰なのか、環境が僕を半端にしていることから来る怠慢なのか。
どれも違う。
そもそも「向上心」が無いのかも。
行動の原動力や理由には、必ず”想い”がある。
「これを成し遂げたい」という想い。
「コイツに勝ちたい」という想い。
そんな”想い”が、僕には無い。
お金持ちになりたいとは思わない。
興味があることへつぎ込める余裕と、興味を持つまで生活ができるお金さえあればそれでいい。
結婚願望は特にない。
それは「そういう人」に出会っていないだけなのか、「そもそも僕に魅力が無い」なのかはわからないけれど、今のところ結婚願望はない。
「有名になる」が一番希望を持てるかな。
こうしてnoteで活動しているわけだからね。
とはいえ「有名になる」ために努力するわけではなく、書きたいことを書いて、それが「有名になる」という副産物を生み出すといいなぁぐらいの、無責任な願望程度の話である。
僕は人生を「勝ち」とか「負け」で判断するものだと思っていない。
人生とは、楽しみ尽くすもの。
そもそも「この時代に人間として生まれたい!」と、願って生まれてきたわけじゃない。
なぜか勝手に生み落とされ、よくわからんけど生かされているだけである。
そんなあやふやな「生」に、確固たる勝敗がつくとは思えない。
あやふやな「生」には、あやふやな「楽しい」をくっつけておけ。
「楽しい」の基準は、勝敗のような相対的なものではなく、完全主観の絶対的なものである。
僕が「楽しい」と思えば楽しいのだ。
だから僕の人生で「勝つ」ことはない。
せっかく頂いた「生」である。
丁度おもしろいことがたくさんある世の中だし、楽しみ尽くしてみようと思う。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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