キツい上り坂では、地面に足をつけないこと
最近、というか前から「もしや?」と思っていて、それが最近「確信」に変わったことがある。
二つのことを同じ日にできない!
これを書いている時点では、ものすごくゲーム熱(マイクラ)があって、noteの熱が下がり気味になっている。
今はね倉庫の建築をしてるんだけど、すげぇ満足できる建築ができてるんだよね。
それとは対照的にnoteはほんとにネタが浮かばないし、浮かんだとしても「ありきたりだな」と自分の発想を卑下しがち。
逆の場合もある。
「何建築しようかな…」と悩み、なんならログインすらしない時もある。
そういう時はnoteが熱くなる。
ネタは浮かぶし、ありきたりなことだとしても自分らしくひねることができて、満足のいく執筆ができる。
なんならみなさんからのスキも増えてる気がする。
これらはあくまで一例だ。
だけどこういう出来事は過去にもあった。
例えばバイトがある日は他の物事に手が付かないとか、用事がある日もその用事にしか思考が向かないとか。
「バイト」も「用事」も一日中やるわけじゃない。
たしかに長い時間を使うことではあるけれど、出勤前の1時間とか、帰ってきた後の自由時間とか、他のことに手が付けられないほど時間が無いわけじゃない。
それなのに何もせず、TwitterやYouTubeを徘徊するという「やらなくてもいいこと」をして時間を潰してしまう。
そんな経験をしてきて「僕は二つのことを同じ日にできない」ということに気がついた。
これはとてももったいないことである。
「人間は平等だ」
そうやって綺麗事を言う人はいるけれど、人間は平等じゃない。
生まれや育ち、性別、学歴、能力、才能などなどが全く違い、一つとして同じ人はいない。
「人間は平等だ」という言葉が適用されるのは、死とそれまで続く生活だけである(星野源曰く)。
人は必ず死ぬ。
そしてその死までは生活が続く。
「何年続くか」というものから、もう平等ではない。
つまり、何年続くかもわからない1日を、僕は一つの事柄をやるためにしか使えない。
noteを書くなんて1時間あればいい。
それなのにその1時間のために丸1日を捨てるのは、どう考えても損である。
解決策は見出せていない。
ただ問題がわかれば解決、最低でも打開策を講じればいいだけである。
今のところの提案としては、生活を「1日」と見るのではなく「1週間」として見てみること。
noteで言うなら例えば、週の後半に発想、執筆の停滞が起きたとする。
週の後半、もっと言うなら「木曜日」がダメな日だとして、「1日」で見ると「今日はダメだったな」という卑下が起きる。
だけどこれを「1週間」で見てみると、確かに週の後半は停滞した。
だが週の前半は好調だった。
つまり「今週は好調と停滞の過渡期だった」ということがわかるようになる。
というように「1日」で見るとダメな日だと思う日でも、「1週間」で見るとそういう流れであることが見えるものだ。
もう180日も毎日投稿をしてきた僕である。
好調の次は停滞が起き、停滞しても必ず好調な時が来る。
そういう「サイクル」があることは認識済みだ。
停滞期の時は「停滞してるな~」とのんびり捉え、とにかく続けることに集中する。
坂道を自転車で上る時に大事なことは「地面に足をつかないこと」だ。
足をつけると再出発が困難になる。
遅くてもいいからギアを軽くして「漕ぎ続けること」。
坂道には必ず終わりがあり、その先には平坦、なんなら下り坂という楽な状況もある。
上り坂では「きっつ」と笑いながら、景色を楽しみつつ漕ぎ続けること。
大丈夫。
必ず好機は訪れる。
そしてまたマイクラ熱が下がるのだ。
両立したいよ~!
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
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