20. イサクとイピゲネイアの人身御供

題:イサクとイピゲネイアの人身御供 

 旧約聖書の『創世記』第22章では、アブラハムという人物が彼の息子のイサクを、神に対する焼き肉の贈り物の材料としようとする場面が描かれています。

 神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。(中略)アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は人と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。(中略)神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。」(創世記22:2, 6, 9-10、新共同訳)

 このようにしてアブラハムはイサクを殺して、神への捧げ物の材料にしようとするのですが、そこに待ったがかかります。「主の御使い」が止めに入るのです。

 そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。(略)」アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角を取られていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。(創世記22:12-13)

 このようにしてイサクは命拾いをします。

 これと似た話が、エウリピデスの『タウリケのイピゲネイア』(『ギリシア悲劇 IV』ちくま文庫)の中で語られます。生贄にされそうになるのは、主人公の女性、イピゲネイアです。イピゲネイアの父アガメムノンが軍船を出発させようとするも、天候が良くならないため、占い師に相談します。すると、娘をアルテミス神のための人身御供にせよ、という託宣が下るのです。

 それを折からの逆風で船がいっこう出せない始末に、火の占いに掛けたところ(占師)カルカスが言うようには、「このところなるギリシア国の運勢を統べ率いたもうアガメムノンよ、必ずとも船勢が陸を離れて出ることはかないますまい。そなたの娘イピゲネイアをアルテミス神が犠牲として受けられぬうちは。そのわけは以前そなたは何にもあれ、その年中にいちばんの立派なみのりを、この光明の御神に捧げ参らそうと祈ったものだ。その折、館の奥方のクリュタイメストラが女子をあげられた」――と、その美い供物に私をなぞらえて――「それゆえその子を贄にされねばなるまい」と言うのだった。(『タウリケのイピゲネイア』呉茂一訳)

 アガメムノンは占い師の託宣を信じ、アルテミス神に娘イピゲネイアを焼き肉の捧げ物にしようとします。しかしそこで待ったがかかるのです。

 それでオデュッセウスの謀りごとから、アキレウスへ嫁入らせるとて、私を母親の許から連れ出してき、さてアウリスに着くというと、無慚にも私を火を焚く壇へ高々と引き揚げ、すんでのこと剣の刃にかけようとした。それをアルテミス神がアカイア人からそっとお奪りになって、身代りに小鹿を置き、耀いた高そらを分け、このタウリケの地へと私を遣わし、お住まわせになったのである。(『タウリケのイピゲネイア』)

 イピゲネイアはイサクのように、自分を焼くための祭壇に上らされた後、いざ殺されそうになるときに、アルテミス神の介入によって命を救われ、代わりに小鹿が捧げられます。
 ただし、イピゲネイアのバージョンでは、父アガメムノンは最後まで娘を生け贄にしたと思い込んでいます。「女神アルテミスは、牝鹿を私の代わりにおいて、私を救け出してくださいました。それを父上は贄にささげて、私の身に鋭い剣をさし徹したとお思いでしたが。」

作:Bangio
2021年02月19日(木)

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